北海道の山 山名考 日高山脈
・主稜線の山(北から。狩振・剣久山・チロロ・ピパイロ妙敷・イドンナップ尾根・札内勝幌・1839を含む。一段空けた下は山行記付属の山名考)
- オダッシュ山
- 狩振岳・・・石狩国と胆振国の境にあることから、石狩の「狩」と胆振の「振」の一字ずつを取った合成山名。
- オクロク・熊見山
- ペケレベツ岳・・・北の山脈16号(1974)に載った北海岳友会の昭和45年1月の記録に「ルミナップ岳はペケレベツ岳ともいうらしく、夏道もある模様である。」とあり、一原有徳の「杖の頂」に「札幌の京極紘一さんの登ったときにはルミナップの標識があったという。」とある。北海岳友会のこの昭和45年1月の山行の際のリーダーは京極紘一氏で、当時ルミナップ岳という山頂標識があったようである。
- 芽室岳
- 久山岳
- 剣山
- 雪盛山・・・rik-ru or o -i[高い所の・道・の所・にある・もの(山)]の転訛が「ゆきもり」でないかと思う。
- チロロ岳・チロロ西峰
- 伏美岳・・・山麓の伏美地区の名に因む。伏美はその両側の伏古と美生から一字ずつ取って命名された。「ふしみ」という音で京都の伏見などと字が違うのはその為である。
- 妙敷山・・・「おしきやま」。だが、「みょうしき」と読みたくなる漢字が宛てられたのには「みょうしき」に通じる何かがあったと思う。「おしき」は ru ouske[道・の根元の所]の転訛と考える。北東尾根から登って沙流方面へ抜ける冬道の最初のピークと言うことと思われる。
- ヌカビラ岳
- 戸蔦別岳
- 幌尻岳・・・poro sir[大きい・山]?
- エサオマントッタベツ岳
- ナメワッカ岳
- イドンナップ岳
- カムイエクウチカウシ山
- コイカクシュサツナイ岳
- ヤオロマップ岳
- 1839峰・・・松浦武四郎の浦河からのスケッチに描かれるヒロコタノホリが1839峰の山容そのものであるように思われる。方角も合っているような気がする。十勝入りする par katu o nupuri[口・の辺・にある・山]かと考えてみる。39で「ザンク」「ザンキュー」などとも呼ばれる。
- ルベツネ山
- ペテガリ岳
- 中ノ岳
- ソエマツ岳
- ピリカヌプリ・・・昭和54年の写真集「日高山脈(北海道撮影社)」の解説では「附近にはピリカと付く川名が全く見つからない」とあるが、明治20年頃の輯製二十万分一図にはヌビナイ川上流に「ヲシケピリカベツ」と記入されている箇所がある。が、これが由来とは言えない。ヲシケピリカベツの名はヌビナイ川の左岸支流の名であって、ピリカヌプリに突き上げていない。ピリカヌプリはヌビナイ川右股と春別川(日高幌別川左股)の南日高にしては通り易い沢で十勝と日高を繋ぐ。ヌビナイは ru-par ne -i[道の・口・である・もの]でピリカヌプリが〔par -ke〕nupuri[入口・の所・山]か、par -ke o nupuri[入口・の所・にある・山]ではないかという気がしている。pe w ika nupuri[上の方・(挿入音)・を越えて近道していく・山]かとも考えてみたのだが、越えるのは人間だから us が入ると思う。
・主稜線以外の山(だいたい北から。イドンナップ尾根・1839を除く。一段空けた下は山行記付属の山名考)
- 新得山
- イヨクウシヌプリ
- 雲知来内岳・・・雲知来内沢の水源の岳ということ。雲知来内沢の名は、hur cipi ne -i[山の斜面・の舟・である・もの(所/川)]ではないかと考えている。
- 岩内岳(沙流川筋)・岩知志山
- 糠平山
- アネヌプリ=シキシャナイ岳
- ルイベツ岳・・・北側を流れる布衣拉尓別(ぷいらるべつ)川に因む。布衣拉尓別川は明治時代の地形図にプイラルイペッとあり、その音から考えるとアイヌ語の puyra ruy pet[その激湍・激しい・川]で、山名では puyra の部分が省略されているのかとも思われるが、プイラの部分を端折っても通じる別の語源と言う事もあるのでないかと思う。江戸時代や明治初期の記録では一文字目がプではなくウやフである。プイラルベツ川落ち口下手に日高の深い山間にしては広いまとまった緩斜面がある。hur rer un pe[山の斜面・の向こう・にある・もの(川)]と考えている。
- 幌消末峰
- ヌカンライ岳
- 寿都似山
- 於曽牛山・・・o- so us -i[その尻・滝・付く・処]と言う川の水源の山ということでないかと思うのだが、更に考えたい。
- 江無須志山
- 保留寒山・・・hur iki un pet[山の斜面・の関節・にある・川]の訛ったホロカンペッという川(ホルカンノ沢)の水源の山という意味と思われる。ホルカンノ沢は新冠川本流右岸に輪状に広がる緩斜面の中ほどを割って流れ出る川である。
- 貫気別山・・・貫気別川源頭の山。ヌッケペッは静内新冠方面から沙流川筋に出る ru-put -ke pet[道の出口・の所の・川]の転でないかと考えている。
- ピラトミ山/ピラトコミ山・・・ピラトミ山は誤りでピラトコミ山が正しいと夏山ガイド等にあったが、ピラトコミ山も特別正しいというわけではないようである。古い地図ではピラトコミと書かれ、新しい地図ではピラトミということのようである。昭和34年の地形図からピラトコミ山だったのがピラトミ山になったという。ピラトミがピラトコミの誤認と言うことはあるのかもしれない。山頂に大正4年に設置された三角点「平戸古美」がある。この三角点名の選点時の点の記にある振り仮名は「ペトコビ」であったが、「ヒラトコミ」とも読めないわけではないのがピラトコミ山と言う山名の由来ではなかったかと考える。昭和初期の慶応大学山岳部部報の登高行の図では振り仮名無しで「平戸古美」と書かれた。ベトコビはアイヌ語で川の二股を意味するペトゥコピである。ピラトコミ山(ピラトミ山)は札内二股(札内川とコイカクシュサツナイ川)を分ける位置にある。アイヌ語の pira tokomi[崖・の小山]などと解されてきたが、ピラトコミ山は幽霊アイヌ語山名ではなかったか。掲示板を通して教えていただいた。
- シカシナイ山・・・鹿止内沢の源頭の山と言うことだと思われるが、鹿止内は「シカシナイ」ではなく「ロクシナイ」が本来の読み方らしい。ru kus nay[道・通る・河谷]と考えて地形図を見ると、源頭の標高は1500mを越えているし沢の中には崖記号が沢山描かれているしとても通れる気がしない。現在カシコツオマナイ(一時期カシュツオマナイだったのは誤記)と記されている一本下の左岸支流の名か別名ではなかったかと考える。カシコツオマナイはコイボクシュシビチャリ川支流峠ノ沢に抜けるに良いルートである。
- ヌモトル山・・・ヌモトル川の水源の山。ヌモトル川は新和より上流の厚別川本流の名。ヌモトルは厚別川を分ける里平川の名を考えると、ルプトロ ru-put or[道の・出口・の所]の転訛ではないかという気がしている。門別・波恵方面から厚別川上流域に出る出口で、更に里平川を続けて新冠川上流域へも向かう所だったのではないかと考えてみる。古くは「ヌモト山」と書かれた。
- パンベツ山・下川山・・・南側を流れるパンケベツ沢に因む。パンケベツ沢は古い資料ではパンベツなどと書かれていた。アイヌ語の pan- pet[下の方の・川]で、下川山の「下川」は意訳と思われるが、更に考えたい。
- ベッピリガイ山・・・ベッピリガイは put PETEKARI[出口・ペテカリ]の転でベッピリガイ沢上流の河谷のことと考える。
- ピリガイ山・・・ピリガイは pet e- kari[川・の先・を通っている(こと)]の転でベッピリガイ沢中下流の小山を囲む平坦地のことと考える。
- ピセナイ山
- ペラリ山・・・西側のパンケペラリ川・ペンケペラリ川の水源の山の意。ペラリ川は pe rar -i[その水・潜る・する所]で、古い地図にはペンケペラリ山西麓の扇状地をペラリ川が伏流で流れるように描かれていたとデータベースアイヌ語地名4にある。或いは pe e- rar -i[水・そこで・潜る・する所]か。
- 北横山・横山中岳・南横山・・・合わせてアイヌ語で samatki iwa[横になっている・山]のようである。
- アポイ岳
参考文献
北海岳友会,日勝峠から芽室岳へ,pp45-47,16,北の山脈,北海道撮影社,1974.
一原有徳,杖の頂,クライアント,2000.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
渡辺隆,蝦夷地山名辞書 稿,高澤光雄,北の山の夜明け,高澤光雄,日本山書の会,2002.
角川日本地名大辞典編纂委員会,角川日本地名大辞典1 北海道 上巻,角川書店,1987.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
山口透・鮫島惇一郎・村本輝夫,写真集 日高山脈,北海道撮影社,1979.
幕末・明治 日本国勢地図,柏書房,1983.
北海道庁地理課,北海道実測切図「夕張」図幅,北海道庁,1894.
北海道庁地理課,北海道実測切図「浦河」図幅,北海道庁,1893.
榊原正文,データベースアイヌ語地名6 日高U 新冠町,北海道出版企画センター,2014.
渋江長伯,山崎栄作,東遊奇勝 中,山崎栄作,2003.
榊原正文,データベースアイヌ語地名4 日高T静内町,北海道出版企画センター,2004.
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 下,北海道撮影社,1999.
(2017年4月30日分割)