山名考

アネヌプリ=シキシャナイ岳


戊午東西蝦夷山川地理取調日誌下巻
61ページより

ア子岳(左)
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ホロサル付近からの絵
日誌本文では「ア子ノホリ」

国道237号の
幌去橋付近から見た
シキシャナイ岳(左端)と
三角点「弓部」の山

 シキシャナイ岳のアイヌ語の山の名は松浦武四郎の戊午日誌にある。ア子ノホリがシキシヤナイの水源として記され、ホロサル(現在の幌毛志の辺り)付近からのスケッチもあり、その姿は現在のシキシャナイ岳と合致する。ane nupuri[細い・山]で、その姿をシンプルに表現した名であると思う。挿画では私が初めて見た時、シキシャナイ岳を戸蔦別岳と勘違いすると同時に、幌尻岳と勘違いしたシキシャナイ岳南方の1094.8mの三角点「弓部」の山も「ヲパケシウシベ岳」として描かれている。

 ヲパケシウシベ岳は日誌の元になった手控では「ヲハケウシベノホリ」とある。

 オハケウシベは o- pake us pe [その尻・出崎突端の崖・にある・もの(川)]で、三角点の弓部(ゆみべ)の名は us の代わりに un を用いて pake un の間に挿入音の y の入った「オパケユンペ」の後半のユンベに宛て字されたものかと考えてみた。ヲハケウンベは日誌に相応の支流であるシキシヤナイを「川まヽ七八丁上にいたりて ヲハケウンベ 右のかた小川。其名義は此川に入る哉処々に屏風を立てし如く切て有りて、中せまく成て有よりして号しとかや」とあるが、シキシャナイ川を落ち口から七八丁(7-800m)遡った部分は広い河原なので、どうもよく分からない。

 聞き書きであり、沙流川の左岸支流で入ってすぐに切り立って狭いのはシキシャナイ川の特徴で、ヲパケシウシベ岳もシキシャナイ岳同様にシキシャナイ川の水源と言えるので、オパケウンペ/オパケウシペはシキシャナイ川支流の名ではなく、シキシャナイ川の別名ではなかったかと考える。落ち口から700m(標高165m付近)と1200m(標高185m付近)に左岸支流があるがいずれも1094.8m三角点「弓部」の山にはまだ程遠い小支流である。2.5kmで1094.7m三角点「弓部」の山西面に上がる左岸支流を分ける(標高240m付近)が、林道の橋を渡って川尻の様子を見たが広い河原の相応の川であった。その上の左岸支流は松浦武四郎が次に「凡一里も上るや右の方に」名を挙げているイチシナイで、シキシャナイ岳の南側の源頭に鞍部のある e- cis -nu -i[その頭・中凹み・を持つ・もの]と思われる(或いは -nu ではなく ne か、また e- cis o(/un) nay[その頭・中凹み・ある・河谷]か)。松浦武四郎の記録とシキシャナイ川の中の様子を照らし合わせるとヲハケウンベはシキシャナイ川の別名としか考えられない。


シキシャナイ川落ち口付近の地図1

 ヲハケウンベがシキシャナイ川の別名として、シキシャナイ川の川尻がついている出崎突端の崖(pake)とはどこか。戊午日誌にあるようにシキシャナイ川に入ってすぐの峡谷かとまずは考えてみたが、崖ではあるが出崎突端とは言えない。落ち口から200mほど下手で岩知志発電所の500mほど上手の沙流川に突き出ている所が pake であったかとも考えてみるが、崖と言う感じでもなく出崎にしても頭に見なすほど突き出しが顕著でない。

 更に沙流川左岸を200mほど下ると出崎のような岩場があって沙流川の流れが瀬になっている。出っ張り具合は小さいが、この岩場が pake で、o- pake un(/us) pe ではなく o- pake e- un(/us) pe[その尻・出崎突端の崖・の先・にある・もの(川)]で、沙流川筋を遡りながらの支流の名であったと考え直す。

 日誌のヲパケシウシベ岳の名が手控のヲハケウシベノホリと異なるのは日誌稿本での書き損じと考えるが、或いはシキシャナイ川を出崎突端の崖の先で川筋が回り込んだ先にあってちょうど崖の後ろのような位置となる o- pake os us pe[その尻・出崎突端の崖・の後ろ・にある・もの(川)・につく・もの]とも言ったかとも考えてみる。2.5kmの林道の橋の左岸支流とイチシナイという、二つの相応のシキシャナイ支流のどちらかがオパケウシペ本流と見なされていたことがあり、その水源の岳の意であったと思われる。

 或いは pake ではなく rake[低い所]で、o- rake un(/us) pe[その尻・低い所・にある・もの]でシキシャナイ川下流部が深く狭い谷底に流れていることを指したものの転訛でなかったかとも考えてみる。アイヌ語の r は破裂の d のように発音する人も多いと言い、この場合は破裂音の p と相通したと考える。地名アイヌ語小辞典で rake が「低い所」だが、アイヌ語沙流方言辞典では raw が名詞で「水などのもぐっていく中、深いところ、沈む底の方」とある。これに「所」・「部分」を指す名詞に付く -ke が付いた、raw-ke の訛ったものがパケであったかも知れないとも考えてみる。rake より raw-ke にあると言った方が函の底の流れをよく言い表しているように感じる。

 渡辺隆(2002)はア子ノホリの項でシキシャナイ岳の北隣の岩内岳(964m)ではないかとしているが、岩内岳は ane と言えるほど細くなく、ずんぐりドッシリした山である。また、同じ項で秋葉實・高倉新一郎の沙流岳がアネノポリではないかと言う説を挙げている。沙流岳は北方から眺めるとシキシャナイ岳同様に細い形状であるが、シキシャナイ岳ほどは尖っておらず、尖って見える方向も限られる。この解釈は十勝での記録の中の、ベケレベ(清水町)水源の山を越えた先が「ア子岳」の後ろということにつけられた頭注で、ア子岳がシキシャナイ岳でも沙流岳でも成り立つ。だが、沙流岳がシキシャナイ岳とは別にア子岳と呼ばれたとも考えられないわけではないが、シキシャナイ岳ほど沙流岳が尖っておらず居並ぶ他の高山の中でそれほど目立たないのと、同じ沙流川筋で同じ名の山があるのは紛らわしいように思われるのと、沙流岳が深い山間部にあって普段から接するとも思われないことから、沙流岳はア子岳ではなかったように思われる。

 また、渡辺隆(2002)は戊午日誌の鵡川筋の記録に現れる「ヤー子シル」をア子ノホリの同じ項で挙げているが、この山は戊午日誌を読んでみると鵡川町内の鵡川河口にほど近い豊城地区と春日地区の間の北の山際の小山(モイベツ川と川西幹線用水路に挟まれた細尾根付近か)で、シキシャナイ岳とは別の山である。ヤー子シルは「原名イア子シリ」などと書かれているので e- ane sir[その頭・細い・山]で、アネヌプリのシキシャナイ岳とは少し違うことを言い表していたのではないかと思う。


シキシャナイ川落ち口付近の地図2

 次にシキシャナイ(敷舎内)について考えてみる。

 松浦武四郎の戊午日誌に沙流川左岸相応の支流として「シキシヤナイ」とある。この中でシキシヤナイは「其名義は槲柏の実多く流れ来りしより号しとかや」とあるが、アイヌ語辞典にドングリでシキシャナイのような音になりそうな言葉が見つけられない。沙流川の少し下流にニセウ川と仁世宇地区があり、nisew にはドングリの意味があるので、誤認かと思われる。

 以前、シキシャナイはその音からシキチャナイ siki ca nay[オニガヤ・を刈る・川(河谷)]でなかったかと考えた。オニガヤは東北方言名で和名としてはヨシ(葦)のこと。方言だがアイヌ語と日本語の通訳では伝統的にオニガヤと言う名でよく出て来る。シキシャナイ川(「イワチシ川」)の河口対岸はヨシ原になっており、アイヌの人々がそこでオニガヤを刈るとしたことは考えられる気がしていた。オニガヤ=ヨシはアイヌの人々の生活では家の材料に使ったり民具を作ったりする重要な自然産品であった。siki si-ki[大きな(荒々しい)・カヤ]と分解される。オニガヤが生えていたのが沙流川右岸で、シキシャナイ川が左岸支流でも、敷舎内地区が右岸なので、考えても良いような気がしていた。

 ca チャの音がシャになっているが、近隣の鵡川筋の同日誌の中に、「刈る」という意味が添えられながらシャで表現された地名が三ヶ所あり(実質二ヶ所)、この辺りの方言でチャとシャの音が近づいていたか、互いに訛りやすいとは仮定しても良い気がする。しかし一方で、「チヤ」で「刈る」意味を示した地名も一ヶ所ある。

 だが、「オニガヤを刈る」という習慣に基づいての解釈であり、一目見て聞いてそれと分かるランドマークに基づかないことには疑問があった。大コタンのホロサルからシキシャナイまでの間にも、沙流川沿いに現在は水田になっている低地が多くあり、そうした土地にもオニガヤは生えていたように思われ、シキシャナイ川落ち口対岸の少しのヨシ原を特にオニガヤを刈る場所として、更にその対岸という多少離れた川を「オニガヤを刈る川」と命名するのはおかしいような気がしてきた。

 シキシャナイ川落ち口の400mほど南西の岩知志発電所の辺りは沙流川の河谷が河岸段丘も含めて狭まり、谷の向きが北向きから北東向きに変わる所である。この、見える視界のくびれの傍にある川である事を言った、シキシャナイとは 〔sir iki〕ca o(/un) nay[見える有様・の関節・の傍・にある・河谷]の約まったものかと考えてみるが、冗長な気もする。「シキシャ」と nay の前が開音節のように聞こえることも考慮すると sir iki e- san nay[見える有様・の関節・そこに・下る(出る)・河谷]の転訛と考えてみる。r は y に音感の近似から相通することが考えられる。アイヌ語では母音や同種子音が連続すると一つが落ちることがある。

 くびれまでの距離400mは少し大きいようにも思われる。発電所とシキシャナイ川の間で、よりくびれに近い所に注ぐ川は他に沙流川右岸に二つある。いずれもシキシャナイ川に比べると小さい。くびれの左岸側には沢はない。右岸小支流までのシキシャナイ川落ち口からの距離は約250mと約400mである。戊午日誌には相応の支流であるシキシヤナイを入って七八丁でヲハケウンベとあるので、シキシヤナイから七八丁でヲハケウンベであったということの松浦武四郎の誤認と考えるとしても距離が合わない。また、戊午日誌でシキシヤナイの下手で右岸小支流として記される、「ヘチリ」と「エ子ンケナイ(手控ではヱ子ンケーナイともある)」が、pe cir -i[その水・滴る・もの]と、e- hunki o nay[その頭・一段高くなっている地帯・にある・もの]ということなら、その名は二つの小支流の様子を言い表しているのは間違いないように思われるhunki の訳は地名アイヌ語小辞典の海岸での意からの類推。或いは e- hunki ne -i[その頭・一段高くなっている地帯・である・もの(河谷)]か。新冠町の厚別川左岸支流エネンゲも同様の地形である。)。シキシヤナイが「ヘチリ」か「エ子ンケナイ」の別名ということはなかったかと疑ってみたが、「ヲハケウンベ」が別名と考えておいた方が妥当のように思われる。

 地名アイヌ語小辞典で「関節」等の ik は、アイヌ語沙流方言辞典では一つ目の意味で「(竹の)節」と、二つ目の意味で「(子どもの)手首や足首の太っているためのくびれ」とある。節のようであったり、関節のようにくびれている所が ik(所属形は地名アイヌ語小辞典によれば iki)と言われたと考える。

 沙流川のシキシャナイ川落ち口の3.4kmほど北西には複雑な関節のような日勝竜門があり、そちらは sir iki ではないのかと言う気もするが、見える有様のくびれとするには長くて折れ過ぎということではなかったかと考えてみる。

参考文献
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
田村すず子,アイヌ語,言語学大辞典 第1巻,亀井孝・河野六郎・千野栄一,三省堂,1988.
金田一京助,増補 國語音韻論,刀江書院,1935.
渡辺隆,蝦夷地山名辞書 稿,高澤光雄,北の山の夜明け,高澤光雄,日本山書の会,2002.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 中,北海道出版企画センター,1985.



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(2017年5月21日シキシャナイ岳の頁から分割 9月8日改訂 2022年5月12日改訂)