三枚岳(1088m)・二枚岳(970.3m)・一枚岳(787m)

一枚岳・二枚岳・三枚岳の位置の地図 日高山脈南端に近い最後の1000mを超える三枚岳連山。最高峰は三角点のある豊似岳だが、連山の名にも使われる三枚岳・二枚岳・一枚岳の一連の名は東側の庶野集落から見た姿によると言う。

 オキシマップ山から庶野へ縦走した。オキシマップ山から三枚岳はこちらを参照。追分峠から豊似岳登山道を経由して三枚岳へはこちらを参照。当頁では三枚岳は豊似岳登山道上の1ピークとしておく。


★二枚岳へ

 豊似岳登山道で第二次大戦後の進駐米軍の無線中継所であった小屋の跡で稜線に上がり、針路を東へ取る。残雪上でも立ち木が並木状になっている部分があり、二枚岳へは小屋の跡から更に道が続いていたと思われるが無雪期の稜線は見ていない。2001年にはあった小屋跡そばの自衛隊の2枚の電波反射板は撤去されて更地になっていた。

 更地から先、二枚岳までは特に問題はない。平坦な樹林の中を歩く。


反射板跡地から
二枚岳を見る

二枚岳から一枚岳を見下ろす
バックは庶野港
地図1地図2

★一枚岳へ

 二枚岳から緩やかな斜面を下っていく。鞍部まで殆ど木のない広い斜面である。東に延びる一枚岳への稜線の南側は雪が切れている部分が広く見られた。植生は低い潅木の混じる草原であった。初夏にはツツジ類の混じるお花畑となるのだろう。鞍部から登りは樹林があるがヤブで気になると言うこともなく、上り坂も殆ど感じぬままに一枚岳山頂に着く。北側にずっと見えていた観音岳は、どういうわけか迫力が弱まってくる気がする。

 一枚岳山頂は半径5mほどの狭い笹原で雪が切れていた。笹原の周囲は樹林であるが、南側は薄く細い木が多く、木の間越しに襟裳岬も見える。南側はこの季節でもあまり展望がない。


一枚岳へ

鞍部から一枚岳 意外と高い

二枚岳東面を振り返る

一枚岳山頂の様子

一枚岳山頂から二枚岳を振り返る

二枚岳の草原

★庶野へ下山

 南側へは雪が広く切れている様子が見えたので、一旦雪堤のある北東の尾根を少し下がることにした。一枚岳からは四本の広い尾根が庶野の方向(南東)に向かって延びているが、このうち、南から二番目の尾根が庶野の街へ最短なのでこの尾根を下ることにした。

 しかし、この南から二番目の尾根は下っていくと標高500m辺りから全く雪がなくなってしまった。横を見ると一番南の尾根や一番北の尾根には雪堤が更に下の方まで付いているのが見えた。下った尾根は広いので風が巻くことが少なく雪付きが悪かったのか。植生は笹と草原で、残雪の上よりは滑りやすいものの、登山靴でも歩きにくいものではなかった。広々とした尾根で、大きな鹿の群れがダイナミックに走りまわっていた。

 標高300m辺りでダケカンバの樹林下となり、雪の上を歩くようになる。作業道のような木のない列を雪の上に見るようになると針葉樹林下となり、猿留山道の林道に出た。

 猿留山道から下は地形図にない作業道が錯綜していて、地形図上の林道を辿るのが難しかった。辿れずに庶野に下りてしまった。地形は緩く、下草は少なく、鹿道もまた錯綜しており、転ぶようなこともなく庶野に着いた。

 雪の少ない標高の低い所は林道を通って庶野へ下りようと考えていたのだが、結局、林道のある283m標高点がある尾根より一本南の尾根から庶野の上水施設らしきものの横を通って下りた。雪は標高300m辺りで完全になくなった。更に上水施設らしき所の前の65m標高点のT字路から下る道も、地形図にないシトマン川の深い渓谷に沿う車道が大きな堰堤の上まで続き、堰堤の上からは芝生を伝って堰堤の下に下りることが出来、堰堤の下から海岸線(国道)までも車の通れる幅の道があった。シトマン川の大きな堰堤から下は完全に三面張りで、大都会の街中の川のようであった。


ルーラン・駒止方面
一枚岳から

標高500m付近の草原から
庶野

標高500m付近から
襟裳岬・百人浜

★山名考


庶野から見た三枚岳連山
右手奥が三枚岳

 三枚岳の名は流通している1)が、その名は国土地理院の地形図をはじめ市販の地図にも載っていない。二枚岳・一枚岳もまた然りである。一枚岳は豊似岳のこととして高山植物群落の名に北海道庁出先機関の日高森づくりセンターHP内で用いられている。林相図を確認すると一枚岳は豊似岳の中でも1088mピークのことのようだ。三角点のある970.3mピークを当ページでは二枚岳としたが、置かれている三角点の名は「三枚岳」である。

 しかし、庶野の街の人や港の漁師に聞くと一番奥にあたる豊似岳付近が「三枚岳」で、その手前に見えている二つのピークが手前から一枚岳、二枚岳とのこと。庶野には「一枚岳に雲が掛かれば・・・、二枚岳に雲が掛かれば・・・、三枚岳に雲が掛かれば・・・」と言った漁に関する観天望気があるそうだ(肝心な部分はうろ覚えで聞き損じてしまった)。地元の人に観天望気される馴染んだ呼称の方を尊重したい。人間の心理として、手に取ることの出来ない尾根を数えるなら手前のほうから一枚二枚と数えたいし、連山としてまとめて呼ぶなら見えている限りの最高峰の名前で呼ぼうとすると思うが、どうだろうか。

さんまいのやまのえ
三枚岳の見え方
(駒止付近から)

香林農園のチーズ
「ポンヌプリ」
一枚岳がモチーフ
ではないと思うけど

 また、豊似岳最高点は庶野の集落からは見通せず、漁でも沖に出なければ1088mピークに遮られて見えない。見えたとしても標高差が小さく手前の1088mピークの方が高いように見えることも考えられる。それゆえ、当ページでは豊似岳ではなく1088mのピークを、「三枚岳」と扱うことにした。

 庶野の中でも南方の駒止地区付近から眺めた場合、三枚が素直に重なっているように見えて分かりやすい(左図参照)。ただ、この場合の三枚目は1088mのピークではなく、その南の1012mのピークとなる。

 松浦武四郎は、安政5(1858)年で野帳に観音岳から見た三枚岳連山を描き、最も左手で一段標高の低い一枚岳の位置のピークに「ホンノホリ」と山名を振った2)pon nupuri[小さい・山]と思われる。

 また、一枚岳は inkar usi[見る・いつもする所]でもあったようだ。札幌の藻岩山、遠軽の町名の元である瞰望岩などと同じである。渋江長伯一行の東遊奇勝(寛政11(1799)年)の絵にインサルシ山として描かれている。本文中では「インサルシ山形半田の沼山の形に似甚高く」とあり3)4)、この名は連山全体のような書かれ方であった。半田村(今の福島県桑折町)の半田沼の上の半田山と似た山容ということのようである。

 文化4(1807)年に完成したといわれる秦檍丸の東蝦夷地屏風にもインガルウシノボリの名が、この辺りの山として名を振られる5)6)が、デフォルメされた地図であり、どのピークか同定することは難しい。inkar usi nupuri[見る・ことをいつもする所・山]か。見るのは見張りの為であろうか。十勝アイヌと日高アイヌの抗争の伝説はこの辺りにある。山頂まで草原の一枚岳は登りやすく見通しが利き、見張りに適していたと考えられる。この山塊の最高点は豊似岳だが二枚岳まで登るだけでもハイマツや雑木で登るのは大変で、一枚岳が邪魔になって下界の見通しもそれほど良くない。

参考文献
1)日高山脈の全て
2)松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
3)渋江長伯,山崎栄作,東遊奇勝 中 蝦夷編,山崎栄作,2003.
4)谷元旦,佐藤慶二,蝦夷奇勝図巻 蝦夷紀行,朝日出版,1973.
5)保科智治,概説 東蝦夷地屏風,北海道の古地図(函館文化発見企画2),高木崇世芝,五稜郭タワー,2000.
6)高木崇世芝,『東蝦夷地屏風』と『東蝦夷地名考』,pp143-152,8,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター(発売),2005.



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(2009年4月5日上梓)