コイカクシュサツナイ岳
北面

山名考

コイカクシュサツナイ岳

 「コイカク」、「コイサツ」などと略称される。

 新日本山岳誌(2005)はコイカクシュサツナイについて「アイヌ語で『東の乾いた川』の意」としているが、山名の元になったコイカクシュサツナイ川が本流である札内川に対して南西にあるのに、「東の」とされる理由を言わなければ片手落ちである。正確には koyka kus SATNAY[波の上手・を通る・札内川]となろう。アイヌ語の koyka は「東」ではない。koyka コイカはアイヌ語で方角を指す言葉だが千島海流の波のうねりを基準にした方角とされる。「波の上手」とは千島海流の上流側と言うことである。だが、コイカクシュサツナイ川は札内川の「波の下手」側の支流である。この山の名が付けられた頃はその基準が分かっておらず、日高地方などで koyka が主に南方と重なることから、南方の意味で十勝地方にある札内川の支流にも当てはめてしまい、札内川の南西支流の名が koyka kus SATNAY と創作され、その源頭に位置する山ということで名付けられた山名である。日高地方では東となることもある koyka だが、十勝地方での koyka は海岸線が南東側となるので北東〜北西となる事が多い。

 コイカクシュサツナイ岳は「コイボクサツナイ岳」とされていたこともあった。koypok SATNAY[波の下手・札内川]或いは koypok kus SATNAY[波の下手・を通る・札内川]で、現在のコイカクシュサツナイ川がコイボクサツナイ川とされ、その源頭の山の意であったのだろう。コイカクシュサツナイ川はコイポクサツナイが本来の名であったと思われる。

 橋本誠二(1940)が現在のコイカクシュサツナイ川を、北大山岳部ではコイボク札内川と呼んでいたがこれは誤りであって、コイカクシュ札内であるとしているが、当時のコイボクシュ/コイカクシュの理解は半解であった。現行(2015年現在)の地形図のコイカクシュサツナイ川の記載はこの頃から附けられた誤ったものと思われる。山田秀三(1982)がアイヌ語地名に於けるコイカクシュ、コイボクシュなどは一定の方位ではなく、千島海流の波のうねりを基準とした方角であることを明らかにした。コイカクシュサツナイ川の名は元のコイボク札内川の方が正当である。橋本誠二(1940)は、「われわれのずっと前に、太古そのままの日高の山旅に水脈を追って入って行ったアイヌの感興をそのまま与えた美しい名を、われわれが勝手に、別の地に、沢に与えて良いという理由もまたないであろう。」としている。コイカクシュサツナイ川の名をコイボクサツナイ川に、コイカクシュサツナイ岳の名をコイボクサツナイ岳に戻すことも考えて良いのではないか。

 サツナイの札内は sat nay[乾いた・河谷]であろう。

 石川和介の観国録の安政3年9月8日条にベロツナイ(歴船川)の水源の山として「ベルブ子」が挙げられ、ベルブ子山には沼があって南西の大風の時は沼が溢れて洪水となるという伝承と共に、ベルブ子の水はサツナイ(札内川)とベロツナイに落ちる由とされている。日高山脈主稜で札内川と歴船川に斜面を持つのはコイカクシュサツナイ岳だけである。コイカクシュサツナイ岳が「ベルブネ」の山でないかと考えてみるが、コイカクシュサツナイ岳に沼はない。

参考文献
安田成男,コイカクシュサツナイ岳,新日本山岳誌,日本山岳会,ナカニシヤ出版,2005.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
山田秀三,アイヌ語地名の研究(山田秀三著作集)1,草風館,1982.
橋本誠二,カムイエクウチカウシ山、コイボク札内岳などの山名について,あの頃の山登り,橋本誠二,茗渓堂,2002.
木部誠二,福山藩蝦夷見聞「観国録」と有所不為齋雑録の北方関係史料,添川廉齋遺徳顕彰会,2017.



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(2015年6月10日上梓 2020年6月16日改訂)