ポキヤップ山(761m)
新冠川の平野が尽きる先に聳える山。麓を流れる川はポキアップ川とポキアップ支流川である。新冠町泉の新冠川に掛かる御影橋から望むと堂々たる姿である。地形図からポキヤップ山の最高点は山名の振られる761mの標高点ではなく、東方約800mの800m標高点ではないかと考えていたが、山麓から仰ぐということに重きを置くならば761m標高点で良いのかも知れない。この山名は20世紀に購入した旧版の地形図には載っていなかった。
ポキアップ川からポキヤップ山北西方約1kmの三角点「椴山」の南西尾根に林道がある。この林道は途中、分岐しながらポキヤップ山西側の窪地にまで続いている。今回は標高370m付近まで乗用車で入れた。そこから上では残雪に覆われていた。地形図上の林道は標高520m付近で行き止まりだが、作業道がそのままつながって、この付近で三方に枝分かれしている。深い積雪で道の状態を伺うことは出来なかった。
標高370m付近で林道は枝分かれしており、少し左に入った地点に駐車して登山開始。右の方が傾斜が急なこともあって左を林道の本道と間違えて300mほど進んでしまったが、道が下りだしたので気がついて尾根を登りなおした。トドマツの植林である。林道に合流すると430mのヘアピンカーブからポキヤップ山と新冠の平野の展望が開ける。太平洋も見える。
駐車した辺り |
林道終点付近 |
標高530mで作業道が三叉になっていて、登りは尾根筋を辿ることにしていたので中央を採るが、道はまもなく山肌に消えてしまった。鹿の足跡が雪を硬くしていたので、そこを踏んで登る。針葉樹の植林で暗い。
尾根に上がると冬木立で明るい。それほどの急登もなく三角点「椴山」(717.8m)に着。椴山からポキヤップ山への吊尾根は、椴山側では広いがポキヤップ山側はかなりの痩せ尾根である。椴山から鞍部までの稜線の北側には車幅の作業道がすぐ下を通っていて、北側の展望が得られる。この作業道が比宇川流域から登ってきているのか、先ほどの分岐から回り込んできているのかは分からない。リビラ山が大きく白く天使の梯子を浴びて輝いていた。
ポキヤップ山側に入ると三箇所ほど急登の痩せ尾根があり、緊張させられるがブッシュは十分である。
ポキヤップ山山頂は狭く樹林に囲まれた凡庸なものだった。リビラ山など、北方の展望はガスに覆われて得られず。東側の800mピークへは広い尾根でそれほど問題なさそうだが、風が強まってきたので中止。南の稜線は当初、下山コースの案の一つとして考えていたが北西尾根以上に痩せ尾根であるような様子が見えた。山頂の西側に小さな窪地があり、そこで午食。南側にアンテナの多い笹山などが見えていたが、新冠の平野には雪が降っていたようだ。
西斜面から登ってきた林道の終点を目指すべく下山開始。西斜面の窪地は地すべりの跡ではないかと思う。スノーシューでは少し厳しい急斜面の下りであった。椴山とポキヤップ山の鞍部の下の植林された若い椴松の中を標高550mで作業道に合流し、しばし平坦な作業道歩きで登ってきた道に合流。雪は大分柔らかくなっていた。土の香りがした。
木の間越しに新冠の平野 |
痩せ尾根アップダウン |
痩せ尾根 |
最高点800m峰を ポキヤップ山と言えるか・・・? |
冬のトドマツ 青い樹液 |
ポキヤップは元々アイヌ語の沢の名前のようである。意味は忘れられ、よく分かっていないようだ1)。今井八九郎は天保3(1832)年に「ボキヤチ大沢之由」と聞き取っている2)。松浦武四郎は安政5(1858)年に意味は不明としながら「ホキャッ(ホキヤツ)」と、「シュムンホキャッ(シュムムケホキマツ)」と「メナシホキャッ(メナシュンケホキヤツ)」を聞き取っている3)4)。ホキャッが本流で、ポキアップ川がメナシホキャツ、ポキアップ支流川がシュムンホキャツと思われる。
地元の狩野義美(2007)はポキアップ川を「ポキャッチ」と呼んでいたが意味は不明と言う1)4)。秋葉(1985)の「ホキヤツ」への翻刻注は「ポク 下の ヤチ 湿地」としている1)5)。
ポキアップ川を林道を通過する時に見た。砂防ダムが多い割りには崩れて荒れている沢筋だった。ポキヤップ山直下の源頭域では裸地が多かった。地質図を見ると腐朽して粘土質を含むことがある輝緑凝灰岩である6)。山頂直下には地すべりの跡が多かった。アイヌ語の yaci[湿った泥]を後半に据えた名かと考えてみたが、泥や谷地がそのままそれだけで川の名にならないと思う。改めて(2017年)、衛星写真(GoogleEarth)でポキアップ川の新冠川への落ち口を見ると、砂利の河原が広がっているのが見て取れる。
後半は置くとして、秋葉(1985)の前半のポクは位置名詞の pok なので先行詞が無い場合は長形の poki となりそうである。音としても pok より poki の方がポキヤツに近い。
ポキアップ川は新冠川が平野の無い山間部から出てすぐの位置で合流する川である。位置名詞長形で poki ot[そ(山)の下・にある]と、poki oci(<ot -i)[そ(山)の下・にある・もの(川)]の転訛と考えてみたが、「そ(山)の下」と何の下か明確に言わなくても、この場合に思い当たるものなのかに疑問が残る。us や un より地名で使われる頻度の少ない ot でどうニュアンスが変わるのかも説明できない。
-ot は「〜についている」の場合、戸口や窓のすだれに関して使われるようである。大きくて目立つ川のポキアップ支流川が比宇川筋と新冠川筋を繋ぐ戸口のように使われたことがあり、その頃はポキアップ支流川を par -ke -ot -i[口・の所・についている・もの(川)]、或いは par -ke -ot[口・の所・についている(もの/川)]と呼んでいたかと考えてみたが、松浦武四郎が安政5年に通ってきたのは近くの比宇川支流芽呂川と新冠川を直に結ぶルートであった。
推定 pake 地図 |
永田方正(1891)はホキヤツと同じ場所を「Top ya トプヤ 竹岡」と記した3)10)。泥地で樹木の生育が難しければ茅が茂ることは考えられる。チシマザサも湿地に生えていることはある。だが、現在のポキアップ川河口は畑地と樹林と砂利の河原である。Top ya では今井八九郎の大沢であると言うこと、松浦武四郎の記録の最後のツ、狩野義美の呼び方の最後のチの説明が付けられない。top ya ot などであったとするにしても、ya を「岡」と解釈するのは古い資料にあるが陸地や岸を指す位置名詞 ya の誤解と思われる。
地形図上の山や川の名前では語尾が「プ」である。-ot に続くなら p ではなく pe である。句末に -i の無い場合の内破音の最後の t がアイヌ語地名の句末に多く見られる内破音の p と誤認されたものか。アイヌ語では p と c に相通があるようで、pe が「チ」に聞かれることはありうる。
逆に「チュ」が「プ」になることもありうる(「チュ」はアイヌ語では拗音にあたらない)。ポキアップ川落ち口左岸は、樹林に覆われているが、高いポキヤップ山から延びてきた尾根の鼻が比高70mで突き出している。地形図だと鼻の末端に土崖記号がある。鼻を廻る道の造成による法面の崖なのか、元からあった崖なのか分からないが高い尾根の鼻であり、pake ca[岬頭・の縁(川)]の転がポキャッチ/ポキャップだったのでないかと思う。
アイヌ語で日本語のカ行拗音に相当する音はないのでポキャッチ/ポキャップをアイヌ語地名の表記として用いるのは適当でない気もするが、ポカップとかポカッチと書くと松浦武四郎や狩野義美の記憶に反するように思えるし、ポキアップとかポキヤップも音節が増えるので違う気がする。今のアイヌ語話者は日本語カ行拗音相当の音もカ行音と区別できるということでポキャッチ/ポキャップで良いのか。
参考文献
1)乾芳宏,新冠のアイヌ語地名,新冠町郷土資料館調査報告書3 アイヌ民俗文化調査報告(V),新冠町郷土資料館,新冠町教育委員会,1991.
2)谷澤尚一・佐々木利和,今井八九郎の事蹟 ―東西蝦夷大河之図を中心に―,pp58-92,43,北海道の文化,北海道文化財保護協会,1980.
3)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
4)狩野義美,新冠・静内地方のアイヌ語、郷土史話・随筆集,狩野義美,2007.
5)松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
6)北海道開発庁,地質図幅「比宇」,北海道開発庁,1959.
7)田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
8)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
9)萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.
10)永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
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