袴腰山の位置の地図

袴腰山
二観別岳から

袴腰山(約877m)
ニシュクアンペッ

 袴腰山は道内外に幾つか見られる山名であるが袴の腰板に似ている形状であることが由来の山名1)だという。南側から登ってみた。沢としてはガラガラの石ばかりの沢であまり面白くなかった。沢の名は現在の地形図には振られていないものだが明治時代の地図による。


袴腰山地図

★登り(ニシュクアンペッ) 

 えりも町上近浦のバス停からニカンベツ林道を歩き、標高210mでニカンベツ本流に右岸から落ち合う沢がニシュクアンペッである。ここからは袴腰山がよく見えるが腰板型ではない。林道跡が本流を渡渉して標高310m付近の土場跡まで続いている。

 沢は伏流気味で土場の辺りでも殆ど水はない。標高400m辺りまで踏み跡が有るような無いようなハッキリしない沢筋だ。踏み跡のように感じたのはこの辺りに多い鹿の道だったかもしれない。


ニカンベツ川流域の
岩塔群

林道跡の奥に
袴腰山

 沢は伏流気味のまま傾斜が強まり、630mあたりが水源で完全に消える。その後もしばらくガレガレの沢筋である。白い花崗岩質の岩が美しい。750mあたりから熊笹のヤブ漕ぎ。熊笹の丈は高め濃いめ。


下の方には苔がある

白いガレの沢

源頭

稜線

 鞍部に上がると三角点のある西峰より東峰の方が高いような気がしたので、まずは東峰に行ってみた。稜線に上がると膝ほどの積雪にハイマツブッシュが煩くて歩きにくい。東峰の頂上は高いハイマツの壁を抜けた向こうにあり、潅木に囲まれた非常に展望の良い場所だった。純白の楽古岳を始めとした日高山脈主稜線の山々、二観別岳豊似岳、それぞれ聳えて美しい。

 三角点のある西峰へはヤブが濃く、積雪で地面も見えないので横たわるハイマツの幹の上を歩いていくが、中でもハイマツとアカエゾマツのミックスのヤブは引っかかり易くて大変。三角点の手前から踏み跡っぽいものが現れた。三角点の周りはエゾマツが生えてそれほど展望が良くない。

 標高だがハンディGPSでは東峰で870m前後、西峰で865m前後を指していた。東峰の方が5mほど三角点より高いと思われる。三角点の標高が872mなので東峰の標高は凡そ877mと見積もった。


東峰から二観別岳

東峰から西峰を望むと

西峰付近から
豊似岳

二観別岳と豊似岳の間の
922mピークは目立つ

★下り(西尾根)

 下りは標高650mあたりまで西尾根上を下り、その後、北面の沢を下った。時節柄南向き・西向きの斜面を下りたかったが、西側の沢は覗き込むと非常に急峻で下りられそうにない気がした。

 西尾根の下り始めは等高線のイメージよりは急斜面のような印象だ。時折消えているが薄い踏み跡が有った。780mの出コブは枯れた針葉樹が多く荒涼とした雰囲気。オオワシが背後から近付いてきて驚いた。680mの出コブは危険なヤセ尾根で参った。このコブに登らずに北面に入れば良かった。


780mコブ

西尾根下り

天狗岳は冴えない

 北面の沢はニシュクアンペッの名を記しているのと同じ地図ではシヨーナイの支流に当たる。全く水のない沢で苔と岩礫だけが目立ちナキウサギの声が響いていた。沢筋はニシュクアンペッ同様にガレガレで鹿の骨が落ちていたりした。落ちている鹿の角の先には鹿が歯で削ったような跡が有った。鹿が鹿の角をカルシウム補給のために食べているのか。

 シヨーナイの本流も水がないが、苔はなく真っ白な花崗岩の河原だけがある沢であった。しかしポンニカンベツの本流間際で水が出ていた。わずかに荒れた作業道跡が林道までの間にあり、ポンニカンベツ林道に出た。ポンニカンベツ林道もニカンベツ林道も状態は良く、歩行に問題はなかった。


苔と岩礫の谷

鹿に食われた鹿の角先

★山名考・川名考

 和名が袴の腰板に似ている故と言うことは冒頭に述べた。道内外の同名の山も袴の腰板の形のようである。

・ニシュクアンペッ

 ニシュクアンペッの名は明治26年の北海道庁による北海道実測切図(以下、道庁20万図)にある。標高や尾根の並びから袴腰山と思しき山(名はペタヌシリウト゜ル山)に突き上げているので、そのカタカナの音からアイヌ語の nisey ko- an pet[峡谷・に・ある・川]を考えてみた。スキーリゾートのニセコの由来と同じである。

 ニカンベツ林道沿いを歩いて見るとニカンベツ川で谷が狭まっているのはニシュクアンベツ川出合を中心として上下それぞれ1kmほど、合わせて2km強の区間であり、峡谷が谷が狭まっていると言うこと、または峡谷のごく近くということだけを言うのであればこのアイヌ語解で合致すると思う。ニセコのニセコアンベツ川出合も尻別川峡谷部に向かっているが出合付近ではそれほどの峡谷ではない。山田秀三はニセコアンベツ川の nisey をニセコアンベツ川の昆布温泉付近の崖でないかとしているが、交通路としての尻別川から nisey ko- an pet[絶壁・に(に向かって?)・ある・川]と呼ぶなら、nisey[絶壁]は奥まった昆布温泉付近の谷底の絶壁ではなくニセコアンベツ川合流点対面の尻別川の絶壁ではないだろうか。今回見てきてニシュクアンペッそのものに峡谷はないとは言える。ニシュクアンベツ出合より下流のニカンベツ川は谷が狭いとは言っても基本的に河原の川である。上流側は部分的に函状地形で、林道の頭上には橄欖岩の岩塔が何本も立っている。この峡谷部は橄欖岩ニカンベツ岩体の分布とほぼ一致している。nisey が「場所」なのかどうかがよく分からない。


so mak oma pet
前の滝(so)?
ソーマオマペッは後方左手

 道庁20万図ではニシュクアンペッ出合より少し上流に「ウヌンコイ(川の両側が狭い断崖になっていて、川伝いに登っていった人がそこから先は通り抜けることができず引きかえさねばならぬような地形)」「シュオ(函)」と記している。ニシュクアンペッ出合の300mと500mほど上流側には、ウヌンコイのイメージと合う函状地形があった。また、ニシュクアンペッ出合の200m下流で合流する右岸の沢にソーマオマペッと記している。so mak oma  pet[滝・の後ろ・にある・川]と考えて辺りに滝がないか、ソーマオマペッ出合の下流側を観楓橋(ニカンベツ川とポンニカンベツ川の合流点付近)から遡行してみたが、50mほど下流に落差1m程度の岩盤の落ち込みはあるものの滝と呼んでいいのか疑問の残る姿であった。しかし下流側にそれ以上の落ち込みはなかった。

 ソーマオマペッの一本下手の右岸支流でニカルシナイとある谷筋はニカンベツ川の河谷の平野部分の上端の奥側に位置し、平野部がなくなった本流の河谷から平野部に戻るような向きで山の斜面になっている。ニカルシナイとあるソーマオマペッの一本下手の右岸支流が本当のソーマオマペッで、河谷の平野部の後ろにある so mak oma pet[平らになっている所・の後ろ・にある・川]だったのではないかと考えてみる。

・シヨーナイ

 シヨーナイは so o nay[滝・についている・河谷]と考えた。が、滝はなかった。大きな谷筋だが水もなかった。一本下手でポンニカンベツ川合流する袴腰山西面の沢は7,8mのきれいな滝となってポンニカンベツ川に落ちていた。また、この川は上流部にも数十m規模の大きな滝があるのが対岸の天狗岳から見えた。道庁20万図の記載ミスでシヨーナイは地図記載の位置より一本下手の支流で、so はポンニカンベツ川縁にいては見えない上流の滝ではなく出合の滝を指すと思ったのだが、アイヌ語地名では川尻の滝の川尻を指す o-オソウシ o- so us -i[その尻・滝・についている・する所]のように語頭につくようである。袴腰山西面沢出合の滝は暗くなってから通過したので写真に撮れなかった。

 道庁20万図ではペタヌシリウト゜ル山がポンニカンペッの左岸にあるのに、ポンニカンペッの一番下の右岸支流としてペタヌがある。二番目の右岸支流にシピナイがあり、その上で左岸支流のシヨーナイである。ペタヌシリウト゜ル山の名がペタヌと関連するのなら、川のペタヌとペタヌシリウト゜ル山のどちらかの位置が誤っていると考えても良さそうである。ペタヌシリウト゜ル山は現在の袴腰山の標高に近い標高付きで書かれているので怪しいのは川のペタヌの方である。

 ペタヌはアイヌ語で川の又を言っているとされる。道庁20万図でペタヌとされるポンニカンベツ川右岸支流は小さな支流というわけではないが、本流のポンニカンベツ川に比べればかなり小さく、同じ規模の支流は他に沢山ある。ペタヌとされた支流が川の又という意味でのペタヌという川の名であったとは考えにくい。何らかの別の意味のアイヌ語がペタヌに訛って支流の名となっていたと考えるのは捨てきれないが、川の名の採録から図化までに誤認があって、ニカンベツ川とニカンベツ川の右岸側に分かれる大支流のポンニカンベツ川の又をペタヌという場所と聞き取ったのが、ポンニカンペッの右岸支流の名として地図に載ったと考える方がありうる気がする。

 道庁20万図の記載ミスではなく、大きな水のない石ばかりの谷筋ということの、si- pinay[大きい・涸れ谷]の転がシヨナイかと考えてみる。

 シピナイが道庁20万図のポンニカンペッの下から二番目の右岸支流の名としてあることは先に述べた。この支流は林道が落ち口を渡っており、私が袴腰山下山時に通った時に見たら、水は流れていた。道庁20万図でポンニカンペッの右岸支流名となるペタヌとシピナイは、左岸支流名のシヨーナイとプミニュツペッとは別の採録で図化で入れる位置に誤りがあり、アイヌの人によってはシピナイが訛ってシヨーナイとなっていた同一の支流名ではなかったかと考える。但し、ペタヌとされた支流やシヨーナイよりポンニカンベツ川上流の大きな枝谷に水が無いかは見ていない点を保留としておく。

・ペタヌシリウトゥ

 道庁20万図では袴腰山の位置にペタヌシリウトゥル山と山名がある。ペタヌはポンニカンベツ川の一番下の右岸支流(天狗橋の次の支流)だけに振られるが、ペタヌシリウトゥル山の記載からポンニカンベツ川とニカンベツ川で pet-awna[川・の内側]を為していると考える。松浦武四郎の記録に猿留川の上流の山の名として、よく似た音のヘタンシルトルがあるのが気になる。猿留川のヘテウコピ(川の二股)の間にあり、猿留川二股の左はアベヤキ川の後ろに行くという文章から推測されるヘタンシルトルの位置は二観別岳の位置である。資料によってはその辺りを「ペタンヌプリ」と記している。道庁20万図に振られるようにニカンベツ川流域だけのペタヌに因む袴腰山の名だったのではなく、ニカンベツ川と猿留川の二つの pet-aw、計四つの pet の枝に囲まれた二観別岳の山塊としての名であり、その一角としての袴腰山にペタヌシリウトゥル山の名がニカンベツ川の又の内に限局されて明治時代に付されたのではないかと考えてみる。ペタヌシリウトゥル、ペタンシルトルはアイヌ語の pet aw -na sir-uturu[川・の内・の方の・地・の間]ということではなかったかと考えてみる。当初は pet-aw un sir-uturu かと考えていたがアイヌ語の wu は日本語のウやアイヌ語の u とは別の音なのでペタヌまで母音が少なくなることはなさそうにも思われる。

 地名アイヌ語小辞典は aw の意味の一つに「木や鹿角の枝」をあげているが、アイヌ語沙流方言辞典とアイヌ語千歳方言辞典にその意味が見られない。また、永田地名解がペタヌとペタウで、ウとヌは通音と書いて、ペタヌも pet-aw とされてきたが、意味はそれほど変わらないがペタヌは pet-awna と考えた方が音が近いと思う。両アイヌ語辞典にも見られる「内」や「隣」の意味で捉えて、pet-aw pet-awna は「枝川」という意味は実は無くて、「二股」「落合」に挟まれた領域や形態である pet-awna (川の内側)ではないだろうかと考えてみる。

参考文献
1)邑山小四郎,夷語地名解,様似町史,様似町史編さん委員会,様似町,1962.
2)北海道庁地理課,北海道実測切図「襟裳」図幅,北海道庁,1893.
3)知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
4)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
5)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
6)工業技術院地質調査所,地質図幅「幌泉」,工業技術院地質調査所,1955.
7)松浦武四郎,秋葉實,武四郎選集4 巳手控,北海道出版企画センター,2004.
8)田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
9)中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.



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(2009年12月11日上梓 2021年12月3日改訂)