北海道の山 山名考 札幌周辺の山
- 藻岩山・・・inkar us pe[見る・いつもする・もの]
- イチャンコッペ山
- 多峰古峰山
- ペウレ(小樽前)
- 丹鳴岳
- フレ岳・・・松浦武四郎の安政4年の記録にフウレナイノホリとある。フレ/フウレはアイヌ語の hure[赤い]で、岳が赤いのではなくフレナイ hure nay[赤い・河谷]の水源の山と言うことと思われる。
- 百松沢山
- 烏帽子岳
- 神威岳
- 八剣山(観音岩山)
- 札幌岳その1(札幌岳・札幌)・その2(発寒・和寒・厚沢部)
- 空沼岳
- 手稲山
- 和宇尻山
- 恵庭岳・・・e- en iwa[その頭・尖る・山]
- 無意根山・・・muy ne sir[箕・である・山]/muy ne hi[箕・である・処]
- 小白山・・・「小川」と「白水川」の間の山だから、川の名の頭の一文字ずつをとってつけられたのではないかと「札幌の山々(さっぽろ文庫)」にあり、それが妥当ではないかという気がする。三角点があるが山らしい山でもないので、三角点の名としてそう付けられたのが林相図などを通して山名になったかと思われる。
- 余市岳・・・余市/イヨチは ru puci[道・の出口]の転訛でないかという気がしている。この場合の道とは石狩平野南部から張碓のカムイコタンを避けて積丹方面に入る豊平川〜白井川を越えて余市川に下ってくる道と考える。倶知安や岩内から余市に向かってくる道かとも考えてみたが、その道の方向だとメナシの方角に向かうことになりそうなので、出口ではなく入口になる気がしている。
- 春香山・・・海岸から急斜面を上がった国道などのある春香町などの台地をアイヌの人が hurka[高台]と呼んでいたのがそれとなく伝わって、hurka の奥の山が「はるかやま」となったのではないかと思う。
- 並河岳・・・大正11年1月の北大スキー部の脇方から喜茂別岳、無意根山を経て定山渓線に至るツアーで、大正10年12月に洋行した並河功スキー部長の徳を偲んで無名の一峰に命名したという。
- 遠藤山・・・大正5年3月に遠藤吉三郎氏がスキー適地であることを見出し、隣の毛無山と共にスキー登山が盛んに行われるようになって遠藤山と呼ばれるようになったという。
- シリセツナイ山・・・シリセツナイという川の源頭の山ということで、シリセツナイは古い記録にチリセツナイとある。支笏湖の落ち口であるペッパラのすぐの所にある car sut ne -i[口・の根元・である・もの(川)]の転がチリセツナイと考える。
参考文献
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
渡辺隆,蝦夷地山名辞書 稿,高澤光雄,北の山の夜明け,高澤光雄,日本山書の会,2002.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1982.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
札幌市教育委員会文化資料室,さっぽろ文庫48 札幌の山々,北海道新聞社,1989.
北大スキー部三十年史,北大スキー班々報 第1,北海道帝国大学報国会全学会鍛錬部スキー班,1941.
部史餘録,北大スキー班々報 第1,北海道帝国大学報国会全学会鍛錬部スキー班,1941.
小川玄一,年報,北大スキー部十五週年記念号,北海道帝国大学文武会スキー部,1926.
(2017年4月30日分割)