山名考

神威岳

・プーネシラ/プーネシリ

 松浦武四郎の安政5年の手控(フィールドノート)にシイハツチャブ(琴似発寒川本流/左股川)の源として「フウ子シラ」とある。 同年の報文日誌では「ブウ子シラ」、「フウ子シリ」とある。松浦武四郎の西蝦夷日誌等にフウネシリが 登場し、その比定に山田秀三(1965)が取り組んでいたが結論を出せなかった。村上啓司(1980)がそれを引き継ぎ、神威岳がフウネシリである事を隣の烏 帽子岳との並びの姿がアイヌコタンの cise[家]と pu[倉]の並びと同じであるところから烏帽子岳がチセネシリであることと合わせて見出し、フウネシリはアイヌ語の pu ne sir[倉・である・山]とした。

 岩塔がそのまま大きくなったような山容である。烏帽子岳に比べると一回り小さく細身で、岩の露出している面がかなり広い。手控と日誌の前の方で「ブウネシラ」であるところを見ると、手控でも「チセ子シリ」の烏帽子岳は cise ne sir[家・である・山]だが、神威岳は pu ne sirar[倉・である・岩]だったのが松浦武四郎の耳にブウネシラと聞こえ、日誌(草稿・稿本)を書き進めるうちに松浦武四郎はブウネシラはブウネシリということだったのだろうと考えて、日誌の後ろの方や後の一般向けの西蝦夷日誌等で「プウネシリ」としたのでないかと疑ってみる。

・モンパー

 「モンテ・パーペンディキュラー」の略だという。イタリア語の Monte[山]の略と、英語の perpendicular[垂 直面]の略の組み合わせであったのか。屹立した山容を言ったのだと思う。アルプスのモンブランや、登山用品ブランドのモンベルのように前半がフランス語の Mont. なら前半はモンとなるが、後半もフランス語の perpendiculaire ならモンペルになりそうな気がする。北大のスキー部が呼び始めたのでないかという。神威岳の山名が地形図に載るのは大正6年測図、大正8年発行の五万図(陸地測量部による)からなので、それ以前は無名峰扱いだったのをよく登る人達がモンパーの名前を付けて呼んでいたのだと思う。北大スキー部の創立は明治45年であった。

・神威岳

 北海道夏山ガイド1巻の神威岳の章の山の紹介欄に「神威は陸地測量部に依るものと思われる。」とあるが、山名の解釈になっていないのが気になっていた。この記述は村上啓司(1980)か、村上啓司がその10年ほど前に寄稿した秀岳荘のPR誌「山の素描」に基づくようである。村上啓司(1980)には「山の素描」への寄稿の要旨の回想で「陸地測量部の地図作りの際にその岩壁の有様から、もともとのアイヌの呼称ではないけれども神威岳とアイヌ語名をつけ、そのためエンペシ(ママ)は一つ上の山本体の名として烏帽子とされたものではあるまいか。」とある。だが、陸地測量部が山名を勝手に作って地形図に記したとは考えにくい。地形図上での位置の取り違えはあるかもしれないが、地元で呼んでない地名を勝手に一から作って記していたら地図として成り立たない。何かしら神威岳のように呼んでいたことを調べてそれに基づいて記したはずである。

 札幌地名考(1977)に「この名称はアイヌ語の『カムイ・ヌプリ』で『神の・山』の意味 であるが、一説には『キムン・カムイ』(山の神)で、クマを指すのだともいわれている。」とあるのは、アイヌ語としてのカムイヌプリという山の呼称を見ないということの暗示でないかと思う。

積丹神威岬の地図 南面に、神威岳山頂までは突き上げていないが神居沢がある。カムイという沢の奥にある岳だから神威岳と呼んだと考える方が自然ではないだろうか。山頂まで突き上げていないので、神威岳に登る沢だから神居沢という名になったとは考えにくい。

 カムイという音を含むアイヌ語地名はアイヌ語の kamuy と解釈する例が多いが、名詞としての kamuy はその衣裳を頻繁に目にする熊のような例以外は霊魂であって目に見えない。「非常に危険な」といった連体修飾的な意味なら地形描写に用いられることもあるだろうが、カムイだけで終わっているアイヌ語地名には、旭川市神居のように日本語に取り込む際に後半の名詞を省略したというのもあるだろうが、カムイとは別の音であった名詞句が転訛してカムイになっていることもあるのでないかと思う。

利尻神居地区の地図 積丹半島の神威岬はヲカムイ岬/オカモイザキであった。神威岬はひょろ長く伸びる細尾根の突端が高まった岬で、岬の先の海に神威岩がある。永田地名解に「僧帽ヲ蒙リタル如キ大岩アリ『オカモイ』崎ノ海中ニ兀立ス『アイヌ』之レヲ崇敬シテ『カムイ』ナリトシ和人之レヲ『オカムイ』ト呼ビ遂ニ岬名トナリテ『オカモイザキ』ト称ス」とある。ok e- oma -i[うなじ・その先・にある・もの(岩)]の転がオカムイで神威岩を指し、ミヅナシ(水無)と呼ばれたひょろ長く伸びる細尾根は「みね のせ(峰の背)」で、うなじとアイヌの人たちは見たと考える。

 利尻島の神居地区は神居ポン山南西面の谷筋のカモイヌカ沢かその河口辺りを指したカムイヌカというアイヌ語地名が名の元のようである。神居ポン山は地区の上手の利尻山の斜面に小さく細長く飛び出てある。神居地区は隣接の利尻町の主要部である沓形地区より標高が高く、島全体が一つの山と言われる利尻島の中央の利尻山の斜面がそのまま海に落ちずに平坦になった高台の地区である。神居ポン山という ok[うなじ]のすぐ下の辺 りの高台ということの、ok e- oma hurka[うなじ・その先の方・にある・高台]の転がカムイヌカと考える。

札幌神居沢の地図

 豊平川支流の神居沢落ち口対岸に okcis[峠]があった。国道230号線の錦トンネルのある小尾根の所である。小尾根を越える所が okcis であった。データベースアイヌ語地名3は間宮林蔵の蝦夷地図で豊平川左岸支流として描かれるヲツチシヲロベツを神居沢のアイヌ語の名と推定している。okcis or o pet[峠・の所・にある・川]で錦トンネルのくぐる小尾根の上の通行する撓みの所にある川かと考えたくなるが、小尾根は豊平川右岸にある。okcis rer o pet[峠・の向こう・にある・川]の転が豊平川左岸支流のオッチシオロベツでないか。

 オッチシオロベッとは別に、通行する小尾根の上の撓みでなく小尾根そのものに注目して、ok rer o -i [うなじ・の向こう・にある・もの(川)]と神居沢を呼んだのが転じたのが「かむい」でないかと考える。

 ok 以外でも、島牧の泊川左岸支流のカモイ川は泊川右岸の崖に向かって落ちるので、kut rer o -i[ひどい岩崖・の向こう・にある・もの(川)]の転の縮まったのがカモイでないかと考える。

 積丹半島の神恵内の地名の元でないかという「長屋の沢」に小字名で記録があるというカモイ沢などは積丹などに山越えするのに入る、rik eoma -i[高い所・に向かって行く・ところ]の転がカモイで、rik eoma -i -na -i nay[高い所・に向かって行く・ところ・の方の・ところ]とより広域で言った転がカモエナイでないかと考える。

参考文献
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松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 中,北海道出版企画センター,1985.
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村上啓司,北海道の山の名13,pp70-75,40,北の山脈,北海道撮影社,1980.
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札幌市教育委員会,札幌地名考(さっぽろ文庫1),北海道新聞社,1977.
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永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
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山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.



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(2022年2月13日上梓)