風不死岳は札幌近郊支笏湖畔にそびえる死火山。恵庭岳、樽前山と共に支笏湖の景観の重鎮をなす。「風不死」はアイヌ語の山名がフプシヌプリ hup us nupuri[椴松・群生する・山]ではないかとされ、その前半に漢字を宛てたもの。
登山道は樽前山の登山口と同じ所から登るルートがよく知られているが、支笏湖畔から直接登る大沢コースは利用者が少ない分、ワイルドである。岩がもろく狭い沢の中を行くのでヘルメット持参が良いと思われる。
国道から林道を5分ほど歩くと大沢コース入り口に着く。ザイルなど登攀用具の持参を勧める看板が立っている。
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沢に下りるが水は流れていない。人があまり入っていないせいか、苔むしてゴロゴロした石がこなれていないので歩きにくい。しばらく行くと細い水流が現れるが靴を濡らすほどもない。
核心部に滝が4つ。最初の滝は2-3m。滝右をへつる。その後、沢が急に狭くなりチョックストーンの滝。左岸から巻く。長くロープがたらしてあるのですぐわかる。泥斜面で登り始めが急で少し滑る。巻き道は高いがトラロープが渡してあり、わりと至れり尽せりな感がある。沢に下りるとすぐに3つ目のほぼ垂直な7〜8mの滝。右岸のガレ状の水を含んだ壁を登る。しばらく進むと最後の同じく垂直な7〜8mの滝。左岸のルンゼ状の所を登り左に抜け、滝口を左に見ながらブッシュに掴まりトラバース。ちょっと岩登りの雰囲気があるが高さがない。これで核心部は通過。
この後は、平たい石の累積した急なガレ場が続く。水がなくなってしばらく登っていると右寄りのオオイタドリのブッシュの中の赤テープが現れ、これに沿ってトラバースしていくと北尾根コースに合流する。沢を最後まで詰めようとすると直下の岩場で面倒なことになりそうだ。登れないことはなさそうだが岩がもろいので恐い。北尾根コースに出れば頂上はすぐである。水の最終地点は湧き水状になっている。
帰りは、北尾根コースを下山すると1時間半ほどで、大沢口よりシシャモナイ寄りの林道を経由して国道に出る。上部は支笏湖、恵庭岳の展望がよい。下の方も木が太く感じの良い林だ。しかし林道まで降りると細い若木ばかりであった。
大沢のアイヌ語の名はエパラセッピナイと伝えられる。北海道実測切図等、明治時代の地図にある。
風不死岳と 大沢谷頭部(右) モラップ山から |
長見義三(1976)は i para sep pinay[それ=沢=の・口・広い・かれ沢]と解き、アイヌの古老の「末広のかれ沢」と言う意訳を伝える。榊原正文(2002)は e par sep pi nay[それの・(入)口・広い・小石(涸れ)・川]と解き、谷頭部が広く、且つ大きく浸食を受けていることを指している地名とする。支笏湖温泉やモーラップ方面から眺めると風不死大沢の谷頭部が大きく開いているのが見える。
谷頭部で大きく広くなっていることがランドマークになりそうだということは、地形図は元よりモラップ山や恵庭岳から見て遠目にも明らかなので榊原正文(2002)を支持したい。が、e- に「それの」という和訳はつけられなさそうである。sep が自動詞なので、e- paro sep pinay[その頭・その口・広い・涸れ沢]となるか、e- par o- sep pinay[その頭・口・そこで・広い・涸れ沢]かと考えてみるが、頭と口という、近い場所を指す言葉を続けて意味があるのかどうかが気になる。三音節目が、後者では o- が e- だったとしても、ラの音にならないのも気になる。i- paro o- sep pinay[それ・の口・そこで・広い・涸れ沢]なども考えてみるが、i- と pinay が同じことを指すことになるのが気になる。遠目に谷頭部が広くなっているとはいえ、実際に大沢を遡行してみると、谷の広さには特に気がつかなかったのも個人的経験とはいえ気になる。pinay は「小石川」、「谷川」という訳が辞典に見られるが、支笏湖周辺では「涸れ沢」の意味で使われているような気がする。
アイヌの古老の「末が広い」という説も一部に原義を含んでいたと考え、e- para 〔sep pinay〕[その頭・幅が広い・広い・涸れ沢]で、sep は湖岸付近の谷の広さを指し、para が谷頭部の広さを指していたのではなかったかと考えてみる。この解は sep pinay が一つの単語のように捉えられていないと文法的に成り立たない。他にもセッピナィがあるとの前提での命名と考えるが、「ちとせ地名散歩」、「データベースアイヌ語地名3」を見る限り、支笏湖周辺にピナィの地名は複数見られるがセッピナィの地名は他に見当たらない。まだ考える必要がある。
par[口]は car[口]の音が変化したものだと言う。その逆向きの音の変化の混同で e- carase pinay > e- parase pinay[その頭・ザァッという・涸れ沢]で、水の無い沢ばかりの風不死岳周辺で、大沢という湖岸付近では水の無い涸れ沢が、その頭である上流では滝場を為して水流があることを言ったものではなかったかと考えてみる。
松浦武四郎の安政4年の日誌に支笏湖南岸の地名として「イチヤワツナイ」が挙げられているのが気に掛かる。日誌でイチヤワツナイは「中川、タルマイノホリの東の方より落る」とされ、榊原正文(2002)はイチヤワツナイは「クチヤワツカナイ」の誤記であろうとし、明治時代の地図にある「クチャワクカナイ」のことで、その位置をモーラップキャンプ場の西1.5kmの紋別橋のかかっている涸れ沢とする。
松浦武四郎の記録は本文だけでなくスケッチでも「イチヤワツナイ」なので誤記とは考えにくい気がするが、スケッチで振られた位置はヘンケモラフ(モラップ山の出崎)と風不死岳の北東斜面が支笏湖岸に迫っているシリシヨ(榊原正文(2002)では sir-sut とされる)の間で、大体紋別橋の辺りの印象である。だが、松浦武四郎は千歳川落ち口付近での聞き取りであり「遠く指さし教示されしによつて、却て手前の岸は聞訛(誤)りしもあらんと覚ゆ」としている。クチャワッカナイについては分からないが、イチヤワツナイはエパラセッピナイの少し前の姿で、e- carase nay[その頭・ザァッという・河谷]の訛ったものではなかったかと考えてみる。
松浦武四郎の1857(安政4)年の日誌に風不死岳はフクシノホリとフヽシノホリとある。
1891(明治24)年の北海道実測切図にはフウプシヌプリとある。
山田秀三(1984)は「フプシ・ヌプリ(hup-ush-nupuri)であったろう。一応は『椴松・群生する・山』と見られるが、湖の東岸にフプウシピナイ(椴松群生するピナイ)・アッウシピナイ(楡群生するピナイ)などの沢がある。あるいはこの山の斜面の方にもフプシピナイがあって、その上の山だというのでフプシ・ヌプリと呼ばれたのかもしれない。」としている。
榊原正文(2002)は山田秀三(1984)を受けて「フプシ(ピナイ川)の・山」とするが、「フプシピナイの存在・位置については、現在のところ文献的には未確認のままである<つまり、文献的には根拠がない>。」とする。
だが、風不死岳にはトドマツ以外の木も生えている。
山田秀三(1984)の挙げたフプシピナイは長見義三(1976)の聞き取りと検討があり、古い資料では逆の例が多いが、古老の話より支笏湖北岸からイチャンコッペ川左股に抜ける谷筋がアツシピナイで和名が七曲、支笏湖北岸からイチャンコッペ山のすぐ西の漁川支流に抜ける谷筋がフプウシピナイとされる。いずれも源頭はカルデラ壁の縁が下がった鞍部になっており急峻なカルデラ壁に食い込んで勾配は緩くなっており pinay なので水がなく、通行出来そうである。アツシピナィは okcis pinay[峠・涸れ沢]の転、七曲は支笏湖岸の七つの岬曲がりではなくイチャンコッペ川から漁川筋に出る山越え道の事だったのではないかと考える。
長見義三(1976)がフプウシピナイとする谷筋は今の地形図に右岸に点線の道の記載がある。この谷筋を上部は西寄りにとって鞍部にトラバースして漁川筋に下りるのも交通路で真駒内方面への入口であったと考える。谷筋はカルデラ壁にほぼ均等に食い込んでいるので hur cis pinay[山の斜面の・中凹み・涸れ沢]の転がフプシピナィかと考えてみるが、更に考えたい。
池田実(1974)はアイヌ語地名における hup を「地先」の意でないかとしている。「地先」の意味がよくわからなかったのだが、読んでみると「地面の突き出し」のようなニュアンスで、検討された地名の所の地形の共通点は平べったい岬のような所ということのようである。風不死岳の場合は支笏湖への突き出しである。地名アイヌ語小辞典にある hup[おでき]が地貌の表現に用いられると地面の先の方ということになるのか。
だが、池田実(1974)に hup を「地先」と見る例として挙げられる阿寒湖畔のフップシ岳の張り出しを「地先」と見るのは苦しいように思われる。
風不死岳もフップシ岳も、荒れたおできのような地面のふくらみではあるが、hup us -i[おでき・についている・もの]と考えると、おできそのものということにならない。
風不死岳は支笏湖に湖口やモラップから入って支笏湖の奥側を見た時、樽前山北面の広い緩斜面に向こうにそびえる。フップシ岳も阿寒湖南岸の緩斜面の奥に聳えるのは風不死岳と同様である。風不死岳の更に奥側にも苔の同門のある樽前山の山裾の緩斜面がある。その西にシシャモナイ沢がある。so sam o nay[平らになっている所・の傍・にある・河谷]の転がシシャモナイと考えると支笏湖南岸の緩斜面は hur ではなく so のようである。
この緩斜面を海岸の砂浜のように見立てると、風不死岳やフップシ岳の斜面は pes[海岸の砂浜より上の、山になっている所の斜面]である。天塩川沿いの産士原野は天塩山地を横断する天塩川の左岸に広がる低平地で、天塩川の岸から山の斜面が遠くなっている。この平らになっている所の脇に山の斜面が寄っていることをいう ut pes[脇・海岸の砂浜より上の山になっている所の斜面(のような斜面)]の転がフップシ、或いはウブシでないかと考えてみるが、更に考えたい。
参考文献
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
榊原正文,データベースアイヌ語地名3 石狩U,北海道出版企画センター,2002.
俵浩三・今村朋信,北海道の山(アルパインガイド23),山と渓谷社,1972.
長見義三,ちとせ地名散歩,北海道新聞社,1976.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
知里真志保,アイヌ語法概説,知里真志保著作集4 アイヌ語研究編,平凡社,1976.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1982.
北海道庁地理課,北海道実測切図「樽前」図幅,北海道庁,1891.
池田実,地名に表われた hup について,pp167-180,33,オホーツク文化,伊藤せいち,1974.
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