喜茂別岳の位置の地図喜茂別岳(ca.1180m)
中山峠NTTコース・裏の沢コース

 札幌の南の市界スカイラインの一峰。反対側の喜茂別町から言わせれば町の名前を背負った山。登山道は2本あるが、最高点までの夏道はない。夏道は三角点までで、三角点より3mは高い最高点へは水平距離で、あと200〜300mだが猛烈なヤブ漕ぎだ。


★中山峠コース
参考時間:中山峠-1:00-登山口(電波中継塔)-1:15-山頂(三角点)

喜茂別岳 中山峠コースの地図

 中山峠から登山口まではNTTの電波中継塔保守用の道路を辿る。細い舗装された道路でゲートは開いていた。通信における光ファイバーの利用が広まり、無線による通信は用を終えつつあり、この電波中継塔保守道路も廃道の憂き目かと思いきや、歩み進むと営林用と思われる道の分岐や送電線保守道の分岐があり、まだしばらくは現役なのかもしれない。道は山裾を巻き、稜線間近のはずだが時折沢を横断し、水量は豊富で水芭蕉が茂っているのが道端に見える。中山湿原も近いはずだがどの入口から入れば中山湿原に行けるのかはよく分からなかった。

 電波中継所の門からネット際に左へ折れると喜茂別岳へ向かう歩道である。「NTT歩道コース」と書かれた札が掛かっていた。周囲は高い疎林でなんとなく不気味である。ネマガリタケが背丈以上に道の両側に壁をなしていて展望が効かない。広く刈分けられており、水抜きの溝が歩道の両側にあり、歩道を横断する溝には木の蓋が掛けられ、砂利が敷かれ、作りは公園の中の遊歩道のようだが、押し寄せるネマガリタケなどの自然を前に覆い隠されようとしている道のように見えた。時折倒木を乗り越えなければならない。


木の踏み板

丸木の階段

不思議な森

倒木は多い

 三角点「万年草(965.0m)」の台地に上がるところで階段が初めて現れる。丸木で丁寧に作られた階段であったが、そろそろ丸木の耐用年数が来ているようだ。三角点「万年草」の周辺は疎林・湿地で小さな木橋もあったりする。横断する沢は、ここのような稜線で見るには大きいように感じる。

 頂上への台地への登りでは直角のカーブがあった。こういう道がこういうところにあると、何だかすごく珍しい。全体的に直線状のコース取りが多く、かなり大規模に作られた道のように感じる。

 標高1100mを越えると笹の丈も低くなり、後方に展望が利いてくる。恵庭岳のギザギザ頭が印象的だ。羊蹄山、樽前・風不死の山も近い。

 三角点はちょっとしたコブで、ここに立つと大きな無意根山がよく見えるが、この日(10/12,11/7)の無意根山の頭はガスで隠れていた。最高点に道は無いようなので、この三角点のピークが「みなし山頂」となるが、広場になっていると言うわけでもなく、西側には最高点ピーク(?)が広がり、狭くてちょっとガッカリな山頂である。

 10月12日の山頂付近はわずかに新雪が積もり、笹が寝て藪漕ぎが無雪時より楽なので同行のチロロさんたちと鞍部から挑戦してみたが、鞍部斜面はネマガリタケが雪で寝ているものの最高点周辺は高く太いハイマツのジャングルだったので断念した。1997年の残雪期に最高点へは一度登っているからヨシとする。


★裏の沢コース
参考時間:山頂(三角点)-1:10-登山口-0:50-国道230号線

喜茂別岳 裏の沢コースの地図 11月7日の下りとして使用した。下り記録。

 三角点を後に西へ進むと歩道は最高点の南側をトラバースしている。電波中継所から三角点までと比べるとやや若木やネマガリタケが立っている。最高点を回り込んだ辺りはハイマツとネマガリタケが押し寄せて、道がずいぶん狭くなっていた。しかし、道が南に針路を変えるとすぐにまた広くシッカリした道となった。

 ジグを切りながら南の尾根を下る。一箇所、尾根の東の縁に寄り、喜茂別岳南面の谷が目の前に広がる。この谷がコースの名前の「裏の沢」でないかと思う。すぐにまたネマガリタケの廊下の中の道となる。

 1062m標高点のコブは西側を巻く。巻いている部分はダケカンバの森でネマガリタケが少なく明るい。京極方面が木の間越しに見える。コブを西から巻き終わり次第に下り始め、標高1000m付近からコブの南東斜面に入り、正面に喜茂別岳の南面を見ながら滑らかに下っていく。時折、少しネマガリタケがかぶっている。標高830m付近はちょっとした広場になっていて道は直角に曲がっている。標高780m付近では南西への防火帯のような木のない空間が分かれていた。


1062m標高点のピーク 北から

1062m標高点を巻く道

1062mピークのの南から
喜茂別岳を望む

直角
(830m付近)

 非常に傾斜が緩やかになり左手に小喜茂別岳がよく見えるようになる。標高680mで北東に反転すると沢の音が聞こえ出し、最後に丸太の階段を下りて登山口であった。登山口は黒川上流の林道の小さな橋の袂で、林道は橋を渡った先で広場となって行き止まりであった。「裏の沢コース」の札が掛かっていた。


小喜茂別岳が見える

左が登山口

入口の看板

駐車スペース?林道終点

 林道を下る。林道下手では辺り一帯、山中なのに森がない変な場所であった。林道沿いにはダケカンバが並木状に生えていたりするのだが全体的に貧弱な森の雰囲気。標高600mを下回るところで京極方面に抜けると思われる分岐を右に分け、左手には国道230号線が見えてくる。国道まで林道本線は遠回りしているようなので、分岐していた黒川の水流に向かう古い林道の路盤を辿ると、黒川を飛び石で渡渉し、もうかなりヤブに還っていたが国道まで続いているようだ。渡渉後、途中に少し登り返しがあるのが面倒で右手の膝ほどの植林されたての幼木林の列の刈分けを伝って黒川に沿った車道(砂利道)に出た。国道230号線の黒川の吐合付近は道路工事盛んであり、道はその資材置き場につながっており、ゲートなく国道に飛び出した。黒川林道の本線の入口のゲートがどうなっているか知りたい。


★山名考

 喜茂別の由来は喜茂別川を指すアイヌ語の kim o pet[山奥・にある・川]と言われる。永田地名解に「キモーペッ 上ノ川 奥ノ川、又山ノ川ト訳スベシ」とある。

 だが、喜茂別川が喜茂別川を分けた尻別川本流と比べて特別山奥にあるという感じはしない。中山峠での豊平川への峠道のある川ということの 〔rikin ru〕o pet[上へ上がっていく・道・ある・川]の転が「キモーペッ」でないかと思う。或いは rikin でなく rikun[高い所の]か。「上ノ川」とは永田方正に教えたアイヌ古老の解説の言をほぼそのまま記したのではなかったか。

 新喜茂別町史(1997)では喜茂別岳の元のアイヌ語の名を現在の国道230号線にあたるルートで残雪期に中山峠を越えた松浦武四郎の報文にあるワッカタサノボリとしている。

 「ワッカタ」は西側のワッカタサップ川・京極町脇方に残っている。山田秀三(1984)は永田方正の「ワカ タサ wakka-ta-sap(水を汲みに下る処)」を受け「語義必ずしもはっきりしない。サはサン(出る。下る)の複数形。書かれた伝承に合わせれば『水が・そこで・ごちゃごちゃ流れ出る』の意だったのかもしれない」としているが、ta は場所や時間的位置を受けるようである。松浦武四郎のアイヌの人からの聞き書きにはワツカタサに対して「雨後水が早く来るよし也」というものがあった。榊原正文(1997)は wakka-ta-sap-p[水・汲む(ために)・(大勢で)下りる・もの]として、「(京極市街の北側の段丘上にあったと推定される)コタンの人々が飲料水を汲みに下りてきた川」とするが、動詞がそのまま並ぶのか文法的に疑問である。また、それを置いておくとしても、直前の sap の語尾が子音なので続く「もの」に相当するアイヌ語は p ではなく pe となり、カタカナで書けば「ワッカタサッペ」となりそうである。p を削って自動詞(sap)の名詞的用法で「水を汲む下ること(複数形)」と言う解釈は文法的に出来そうだが、足で下ってくる地面のことがそのまま川の名になるだろうかという気がする。

 ワッカタサノボリの名において nupuri[山]に相当するノボリを除くとワッカタサとなり、プが付いてないことが気になる。松浦武四郎の川の名としての記録でも「ワツカタサ」で、プが付いていない。

 追補京極町史(1998)は「北海道の文化」69号に掲載された扇谷昌康(1997)のアイヌ語 tasa を含むアイヌ語地名の検討を受け、Wakka-tasa-p[水・を交わす・者(川)]で、水量豊かな二つの川であるワッカタサップ川と尻別川の水流が交錯する、水を交わらせている者ではないかとする。

 アイヌ語での山名では川や谷の名から川や谷を指す名詞を落として替わりに nupuri を附け「〜〜川の水源の山」のように表現される例が多いので、ワッカタサップ川が wakka tasa p なら、その水源の山が wakka tasa nupuri と表現されるのはありうる。また、川の名などの名詞句においても最後の名詞相当が落とされて表現されることがあるという(wakka tasa なら名詞+他動詞で自動詞相当ということで自動詞の名詞的用法のように捉えるのか)。松浦武四郎の記した川の名「ワツカタサ」は、そうした例なのだろう。


2017年現在の国土地理院の地形図では
ワッカタサップ川落ち口の下手側水路が
描かれないが、いずれ描かれる事になると
思うので、その前の地図として掲げておく

 ワッカタサップ川の尻別川への落ち口の近年の空中写真(GoogleEarth等)を見ると、落ち口に中島があって、水路が三角形を為しているのが見て取れるが、古い空中写真(1974-78年)で見ると、近年の中島の北西側(ワッカタサップ川右岸側)の水路が無く、ワッカタサップ川が尻別川の上流側に向かって合流している様子が見て取れる。2017年現在の地形図もワッカタサップ川の落ち口はその水路だけであり、近年の中島の東側(ワッカタサップ川左岸側)の水路がワッカタサップ川の旧本流の河道のようである。古いとは言っても1970年代の空中写真の河道が原始の姿と同じである保証はないが、殆ど尻別川上流に向かって合流するワッカタサップ川と尻別川の水がぶつかり合い、噛み合っていた様を「水を交わす」と表現したもののようである。扇谷昌康(1997)・追補京極町史(1998)の解釈を支持したい。

 渡辺隆(2002)はワッカタサノボリをワッカタサップ川の水源と見て、喜茂別岳か中岳ではないかとしている。

 秋葉實(2007)は松浦武四郎の現地ノートである手控の解読で、ワッカタサノホリを中岳、キモウヘツノホリを喜茂別岳としている。

 松浦武四郎の戊午(安政5(1858)年)の報文ではワッカタサノボリは喜茂別川の水源の一つとして登場している。手控ではワッカタサノホリについては「ヨイチ岳と同じ位」と書き、留寿都市街地付近(軍人山付近か)からのスケッチではヨイチノホリとワッカタサノホリの間に山が無く、この二つの山は多少離れており、キモヘツノホリがワッカタサノホリの東側に少し小さく描かれている。スケッチと「ヨイチ岳と同じ位」に従うならば(余市岳は1488.1m)、ワッカタサノホリは無意根山(1464m)となりそうだが、無意根山はワッカタサップ川の水源に当たっていない。無意根山と中岳は軍人山とほぼ同一直線上に並ぶので手控のスケッチで中岳と無意根山が重なっていることは考えられるのではないかと思う。

 無意根山の南に連なる、中岳と並河岳(1258m)と喜茂別岳がワッカタサップ川の水源となる。これらの山の内、中岳の標高が1300m台後半なのに対して並河岳と喜茂別岳は1200m台前半で、一段低い。これらの山の中で喜茂別川の水源とみなしうるのは喜茂別岳だけである。尻別川水系では中岳はペーペナイ川とワッカタサップ川、無意根山はペーペナイ川の水源となる。

 松浦武四郎の留寿都付近からのスケッチの中で、約2週間後の中山峠付近からのスケッチでは「ムイ子シリ」と振られた無意根山の名に言及の無いことには疑問は残るが、中岳と無意根山が重なって見えていて、手前の中岳の名をワッカタサノホリと聞いたと考え、中岳をワッカタサノホリとする秋葉實(2007)を支持したい。松浦武四郎の手控のスケッチではキモウヘツノホリの最高点は喜茂別岳に近接してより高い並河岳で、喜茂別川の水源である現在の喜茂別岳は、その支峰的扱いだったのではないかと考えてみる。並河岳と喜茂別岳を比べると、並河岳の方が山らしい高まりが顕著である。

参考文献
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
喜茂別町史編さん委員会,新喜茂別町史 上巻,喜茂別町,1997.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.
榊原正文,データベースアイヌ語地名1 後志,北海道出版企画センター,1997.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西東西山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1988.
扇谷昌康,タサ(tasa)の語を持つアイヌ語地名 ―歌才・脇方・真歌の語源―,pp61-75,69,北海道の文化,北海道文化財保護協会,1997.
京極町史編さん委員会,追補 京極町史,京極町,1998.
渡辺隆,高澤光雄,蝦夷山名辞書 稿,北の山の夜明け,高澤光雄,日本山書の会,2002.



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(2009年11月11日上梓 2012年6月24日改訂 2017年4月16日ワッカタサップの地図挿入 2021年11月19日改訂)