山名考
百松沢山
西側の源八沢から登ると尾根が三段になっているので「三段山」ともいう。源八沢を詰めたジルベルザッテルの上が一段目、北側を巻く900mで二段目、山頂が三段目だと言う。札幌市街から眺めると山頂が三つに割れているように見える。左側の南峰が最も標高が高いが奥なので中央の峰が最も高く見える。
明治時代には「初覚山」などと書かれた。「初覚」で「ハッサム」と読む。ハツ+サム(さめる)である。江戸時代の松浦武四郎の対雁付近からのスケッチに「ハツシヤフノホリ」などとある。古くは石狩平野側の発寒川に基づく山の名だったのに、山奥側の百松沢に因む山の名となった。
百松沢の名について、さっぽろ文庫の札幌地名考は「百松と言う人が最初に入植したからと言う説と、百松と言う人が調査に入ったまま帰らなかったからともいわれ(『郷土小金湯』)、何れも百松という人の名前から出た地名であるという説と、もう一説には、エゾ松やトド松がたくさん生えているところから百松沢と呼ばれるようになったともいわれる」としている。二つの百松人名説に続けて松材多量説を挙げているのは、「百松」と言う人物の存在が確認出来無かったと言うことで無いかと思う。松材多量説の傍証として豊平川での木材流送や苗畑や営林署作業所の存在が挙げられているが、松材が多くても何か前座がなければ「百松」とは言わないような気がする。
・アイヌ語?
百松沢のアイヌ語の名は松浦武四郎の安政5年の日誌からデータベースアイヌ語地名でペンケチライオッとされる。penke ciray ot[上の・イトウ・が群在する]である。名詞句としては項が一つ不足しており、合成自動詞の名詞的用法のようにして地名にしていると考えられそうである。項を充当させるべく -i を補うとペンケチライオチ penke ciray oci(<ot -i)[上の・イトウ・が群在するところ(が群在する・所)]となる。ciray と oci がリエゾンするとチラヨチとなる。豊平川上流のここではチライオツと「ツ」で終わっているが、「チライオチ」などと「チ」で終わって残されている場所もある。
漢字表記の「百」の「松」で森林資源に恵まれる願望のニュアンスは込められていたのかもしれない。アイヌ語のペンケには「ペ」に、チラヨチには「ラ」にアクセントがある。付会の感は拭えないが、ペンケチラィオッの訛ったもの(ペンケチラヨッ)に漢字が宛てられたのが「百松(ひゃくまつ)」だったのではないかと考えてみる。ペンケチラィオッと対になるパンケチラィオッはデータベースアイヌ語地名では松浦武四郎の戊午の日誌での川の規模に関する記述から砥石山に発する観音沢とされる。或いは現在(2013年)の地形図での観音沢の豊平川の下流側に広がる「しらいかわ」と呼ばれたこともある白川地区とそこを流れる白川がパンケチラィオッで、「しらい」に「チラィ」の音が引き継がれているのかとも考えてみるが、音の類似以外の根拠は無い。
安政5年の日誌の時の松浦武四郎は春先の中山峠越えと豊平川上流の峡谷地帯の残雪の中の高巻き等でかなり疲れていたようで、記述に分かりにくい部分が目立つ。日誌の元になったフィールドノートである手控には「其難渋筆紙につくしがたし」「何れも大難所也」と言った言葉が並ぶが、移動した距離と掛かった時間の割りには地名・地貌の記述が少く、ペンケチライオツも移動中の箇所には登場しない。登場するのは石狩平野に下りて数日後の聞き書きとしてである。複数のアイヌの人から聞き取ったようで、ペンケチライオツは豊平川の右岸支流としてと左岸支流としての記述がある。解読した秋葉實は左岸支流としての「ヘンケチライヲツ」を現在の東砥山川としている。イトウの棲める様な環境がもはや豊平川上流に残されていない以上、イトウの生息が地名の由来であったと考えようとするなら他の周辺の地形に基づいた地名との、登場順序や川の左右といった関係からパンケとペンケのチライオツの場所を推定するしかないが、周辺の他の地名の比定にも諸説がある。
山田秀三(1965)による nisey oma p を簾舞川とするのは固いようだが、松浦武四郎の記録からペンケチライオツと定山渓温泉の間の豊平川右岸にあったらしいことが分かるラウネナイは、秋葉(2001)は「板割沢」とし、榊原(2002)は「一の沢」とする。アイヌ語の解は rawne nay[深い・川]のように思われるが、谷の深い感じは板割沢も一の沢も、その間にある盤の沢でもする。周辺のアイヌ語地名もはっきりしないので、これまで日本語地名とされながら日本語でも意味のはっきりしない百松沢と白川をその音からペンケチライオツ・パンケチライオツの候補として考えてみた。白川も札幌地名考で「豊平川の渓流が狭まり、いつも白く波立っていたところから名付けられた」と「豊平川に注ぐ白川の水が水成岩を溶かして白く濁るところから地名となった」と二説書かれているが、前者では豊平川縁の地区の名前にはなるのかも知れないが川の名としての白川に説明が付きにくい。後者は白川の流れが夕張川や幾春別川のように細かい泥で白濁していると言っているのか。札幌市南区内の豊平川の水は殆ど濁っていないと思う。両者とも「しらかわ」にはなるのかもしれないが「しらいかわ」と言う音には繋がらない。
・日本語?
百松沢は下流域でほどほどに広がりのある谷筋だが、落ち口は豊平川左岸の一枚にも見える連続する急斜面の割れ目のような隙間の谷筋となって細かく屈曲して豊平川に落ちる。日本語の「ほき(崖)・め(目)・と(処)」の転が「ひゃくまつ」かもしれないとも思う。百松が入って「帰ってこない」のではなく、「ほきめと」から入ると「くえってくねる(壊えって拗る)」ということだったのではないかと。百松が「初めて入植」したのではなく、「ほきめと」が「はつれてめほそく(解れて目細く)」なっているということだったのではないかと。「ひゃく」は「ほき(崖)」との音感の類似だけだが、二つの百松氏の行状の伝が両方とも「め(目)」の存在の説明の聞き誤りと考えられそうなのは、アイヌ語地名ではなく日本語地名の方がありうるということなのかもしれないと思う。
初覚の発寒は札幌岳の頁参照。
参考文献
朝比奈英三・鮫島惇一郎,札幌から見える山,北海道大学出版会,1981.
村上啓司,北海道の山の名13,pp70-75,40,北の山脈,北海道撮影社,1980.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集3 辰手控,北海道出版企画センター,2001.
札幌市教育委員会文化資料室,札幌地名考(さっぽろ文庫1),更科源蔵,北海道新聞社,1977.
榊原正文,データベースアイヌ語地名3 石狩U,北海道出版企画センター,2002.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
山田秀三,札幌のアイヌ地名を尋ねて,アイヌ語地名の研究(山田秀三著作集) 第4巻,山田秀三,草風館,1983.
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