五稜郭タワーから

函館山中腹から函館市街
函館山 (334m)
はこだてやま

 二股になっている渡島半島の股(松前半島と亀田半島)の付け根に位置する陸繋島の山。函館は北海道では古くから和文化が流入して繁盛した地なので、和名だけでも幾つかの名前が伝わる。近代以降は戦争の為に山頂部のかなりの部分が改変された一方で、戦争のために立入禁止にされたがために山腹では自然が多く残されるという結果になった。しかし近世から近代明治中頃までに「箱館」の隆盛で自然環境は、かなり危機的になっていた。都市の緑地として大事ではあるが、その後の再生した姿が北海道本来の自然の姿なのかどうかは分からない。函館要塞で一般人の立入が禁止されるまでは山麓部に植林された杉を除くと禿山だったようだ。

 函館山は臥牛山の別称が示すように横(南北)に長い山体で、ロープウェイのある最高峰の御殿山以外にも多く山の名が付けられている。これらの山の名は絶頂(ピーク)とは限らず、山麓(主に函館発祥の西部地区)から見上げて、尾根の張り出しが三角形で山のように見えるからという理由で山名が付けられていることもあるようだ。

 登山に要する時間は旧登山道コースや汐見山コース、観音コースで最高点の御殿山山頂まで登り1時間弱である。南峰にあたる千畳敷最高点と御殿山の間の稜線歩きは30分程度、七曲コースから地蔵山を経て千畳敷最高点までも登り1時間弱である。

★山麓から山頂へ ★その他コース
※以上のコース分けは地元のパンフレット等に準じるが完全に一致させているものではない。
函館山の地図


函館山バーガー
@ラッキーピエロ
山頂にアンテナも
立っています

削られて
テレグラフヒル

★山名考

 松浦武四郎(1845(弘化2)年)はアイヌの言葉としてイチンケシを聞き取っている1)。函館山が伏せたecinke亀の形のようで、彼以前の和人が「亀嶺」と記していたようにも書いているが、イチンケシが函館山のことなのか、当時の函館西部地区付近の地形のことなのか、文章だけではハッキリしない。イチンケシの解がecinke us -iで「亀(のようなもの?)についているところ」というようなニュアンスならば、アイヌ以前から人が住み続けた函館西部地区を指しているように思える。そうだとすれば、函館山のアイヌ語名はカタカナで書けばエチンケとなるのか。亀の頭に当たるのは鞍掛山だろうか。函館はウシュンケシ/ウスケシ(us-or kes/us kes)といったアイヌ語での呼称が知られている。イチンケシはウシュンケシの転化したものだったのではないかという気がしている。

 同時に鶏冠峯の字も残している。これは五稜郭タワーなどから函館山を見れば頷首出来ないこともない。かつての函館山山頂部に鶏冠石(=夜泣石=題目石)という石があり、松浦の文章では最高峰より3丁ほど東が鶏冠峯のように書かれているので、鶏冠峯は現在の薬師山だろうか。題目とは日蓮宗の「南無妙法蓮華経」であり、この七文字を鶏冠石に日持上人が書いたと言う伝説があり、夜泣石は日持上人の出身地と関連のある「小夜の中山夜泣石」伝説を仮借したものと言われるが、どちらも創作であって史実ではないとされている2)

 臥牛山の名は天保年間の函館在住の文人たちの漢詩の中で使われだしたのが始まりだと言う3)。更科源蔵4)は函館山の南西端、立待岬付近のアイヌ語地名、ヨコウシyoko usi[狙いをつける・〜するところ]と、牛が臥せたような(横になったような)山の姿を掛けて臥牛(ヨコ・ウシ)の字を充てたのではないかと推測しているが、立待岬附近をyoko usiとする出典を私は探せていない。永田方正(1891)は立待岬のアイヌ語の名をピウシと記し、「岩磯の上に立ち魚の来るを待ち漁槍を以て突いて捕る処と云う」と説明しているが、ヨコウシと言う別名があるとは書いていない。

 菅江真澄(1789(寛政元)年)は当時の薬師山(現・御殿山)を指すアイヌの言葉として「イタクサ(委多久差)の峰」を聞き取っている6)が、意味はよく分からない6)7)。須藤隆仙8)は菅江真澄も松浦武四郎に先んじて函館山をイチンケと記しているとしたが出典を私は探せていない。菅江真澄は海上からの函館山を、亀でなく鰐(ワニ)が這うようだと記してはいる6)。1799(寛政11)年の渋江長伯の東遊奇勝は「其形大鼇の山を戴て浮るか如し」と亀として函館山の形を記しているが日本語である。

 江戸時代末期に来函したペリー一行の一人はテレグラフヒルと呼んだ10)。これを聞いた人が「電信ヶ丘」と言う和訳を考え出したらしいが、未来においてテレビ電波を含めた無線アンテナが林立するような状態になるまでは予測していなかっただろう。TelegraphHillは絵描きが遠望の岡と言いたかったのではないかと思う。

参考文献
1)松浦武四郎,吉田武三,三航蝦夷日誌 上巻,吉川弘文館,1970.
2)須藤隆仙,北海道意外史 上,みやま書房,1979.
3)函館区役所,函館区史,名著出版,1973.
4)更科源蔵,アイヌ語地名解,北書房,1966.
5)永田方正,北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
6)菅江真澄,内田武志・宮本常一,菅江真澄全集 第2巻,未来社,1971.
7)菅江真澄,堺比呂志,菅江真澄と北海道,堺比呂志,1993.
8)須藤隆仙,函館のアイヌ語地名に関する疑問(第6回アイヌ語地名研究会講演記録),pp174-178,5,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター(発売),2002.
9)渋江長伯,山崎栄作,東遊奇勝 蝦夷編(渋江長伯シリーズ 中),山崎栄作,2003.
10)M.C.Perry,オフィス宮崎,ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1,栄光教育文化研究所,1997.
11)中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.



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(2009年9月13日上梓)