函館山 薬師山(252m)

函館山(薬師山)の地図 薬師山は函館山の前衛峰的存在。薬師堂があったように昔の絵図には描かれているが、要塞が築かれて跡形もない。薬師山は函館山の代表名になっていたこともある。途中でロープウェイと同じ展望が得られる。2009年8月に登頂。


★旧登山道分岐から薬師山へ

 旧登山道野鳥観察小屋を過ぎて四合目に達する前のカーブから北に分岐する薬師山コース。分岐点にシマリスがいた。緩やかな登り坂が終わるとロープウェイの索道の下をくぐる。くぐったすぐ先に刈り分けがあり、ロープウェイとほぼ同じ、ウェストの引き締まった函館市街地が眺められる。下からは函館市街の喧騒が、上からは函館山山頂のアナウンスが聞こえてくる。

 更に平坦な歩道を進むと要塞跡がある。緩やかなここまでの道も要塞建設のための工事の軍用道で自動車も走ったのだろう。

 要塞の入口にベンチとテーブルがあり市街地を眺められるが、少し草が茂っていた。十字路になっていて、直進すると要塞の砲台跡、右へ入ると塹壕、左へ入ると観光道路に登る。

 ここは薬師山砲台。直進して要塞施設に入るといきなり石積みの回廊状になっている。足元は緑のオオバコで敷き詰められ、ちょっと宮崎アニメ映画の「天空の城ラピュタ」を思い出す。いろいろ探検できる。

 見張所の上辺りが薬師山最高点で、木が少なく麓や御殿山のロープウェイ駅がよく見える。ここにどのような大砲がどのように据えられていたのか、どうも見当が付かない。現地にいると、砲身がどちらを向いていたのかなどが知りたい感じがする。

 塹壕は石積みで細く仕切られた溝で、砲台跡から吸い込まれそうなスロープで砲台の外周に連絡している。連絡スロープから角を曲がると緩やかなカーブと傾斜。もう塹壕の中にも木が生えたりしている。ここを兵隊が連絡に走ったりしたのだろう。塹壕を最後まで行くとグルッと西側を回ってベンチに戻る。


旧登山道からの分岐

函館市街の展望

ロープウェイ駅舎が見える

緩やかな道

要塞の入口
ラピュタっぽい

砲座跡

とりまく塹壕

★薬師山から観光道路へ

 ベンチから丸太作りの少し狭い階段を登るが、あまり手が入っていない印象を受ける。この道は車道に出てオシマイなので管理者の函館市としても薬師山には旧登山道から往復するのにとどめて欲しいというのが本音なのかもしれない。薬師山に旧登山道から往復しても20分程度である(要塞見学時間含まず)。

 すぐに観光道路に出てオシマイ。観光道路は、この辺りでは少し幅が広くなっているが、駐車しても良いのだろうか・・・?車道を歩いて山頂に達した。


★山名考

 江戸時代初期の元和2(1616)年に河野政通の末孫の密教僧・良道が金銅の薬師仏を納め天下太平国土安民を祈念して以来、薬師山といったと言う。その後、江戸時代中期に尻沢辺(現・谷地頭町)の薬師社を函館山の山上に移した事もあったと言う1)。医療の現代ほど発展していなかった江戸時代前中期、薬師信仰の地としての函館山があったようだ1)。薬草なども採取されたのだろう。本峰が薬師山と呼ばれていたことに関しては、やはり江戸時代初期(1650年頃)の記録があると言う(蝦夷実地検考録)2)。江戸時代末期〜明治時代初期の絵図では現・薬師山の位置に薬師堂が記載されているのが分かる3)。松浦武四郎は弘化2年の紀行の初航蝦夷日誌で函館山の山頂(現在の御殿山)を「薬師山」と、現在の薬師山と思しき「薬師山より三丁程東に出たる処」を「鶏冠峯」としている。観音コースの入口にある鶏冠石の元の位置だったようである。

 だが、なぜ納められるのに薬師仏が選ばれたのかに疑問が残る。何かしら「ヤクシ」という音の地名伝承が先にあって、それに基づいて薬師仏が納められたか、「ヤクシ」という音を説明する為に薬師仏が納められたということにしたのでないかと疑う。

 函館の名は室町時代に築かれた館が箱のように見えるので箱館と呼ばれるようになったと言われるが、蝦夷地に築かれた館はいずれも館に所在地の地名を冠して呼ばれており、館の名が逆にそのまま地名になった所はなさそうである。

 函館山は全体が急峻な山で、どの方向から遠望してもその急峻さはすぐに分かるが、中でも急峻なのは西面の津軽海峡に面した側である。

 函館山の西面を「はけ(崖)」と見、その上に連なる函館山の稜線を「はけ(崖)・せ(背)」と呼んだのが訛ったのが「やくし」、崖の西面の山の裏側の多少緩くて風除けの舟入地に近い元町の辺りを「はけ(崖)・を(峰)・うらて(裏手)」或いは「はけ(崖)・ど(処)・うらて(裏手)」と呼んだのが訛ったのが「はこだて」でないかと考える。

参考文献
1)須藤隆仙,函館の歴史,東洋書院,1980.
2)道南の歴史研究協議会,函館山のルーツを探る,pp703-712,72,道南の歴史,いせや書房,1981.
3)吉村博道,市立函館図書館藏 函館の古地図と絵図,道映写真,1988.
4)松浦武四郎,吉田武三,三航蝦夷日誌 上,吉川弘文館,1970.
5)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
6)楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
7)中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.



トップページへ

 資料室へ 

現代モイワ群へ

函館山メインへ
(2009年9月19日上梓 2022年2月20日改訂)