函館山
エゾダテ山(129m)
宮の森コース
エゾダテ山は函館山中腹のコブ。ちょっと山とは言いにくいピーク。中世、コシャマインの戦の後で函館周辺が寂れていた頃にアイヌの砦があったと言う話があると言う2)。エゾ(蝦夷)のタテ(舘)でエゾダテ(蝦夷舘)か。永田方正は「チャシコッ(砦跡)」と記している。宮の森コースは、そのエゾダテ山の山腹を巻くハイキングコース。殆ど登り坂がないので気楽ではある。気楽なだけに名前に期待すると損をするかもしれないけれど森林浴には良い感じ。2009年8月歩きました。
★エゾダテ山
函館山ふれあいセンター横から直進し、軍橋を渡って旧登山道コースを右に分けて洞爺丸などの青函連絡船遭難慰霊碑の広場の裏を抜けて観光道路の車道を渡り、山肌に取りつく。あまり歩かれていない雰囲気で里の草が多い山道の印象。
荒れた感じのする空が開けた部分が多いが道は狭い。時々ベンチがある。最後のベンチから少しの急登でエゾダテ山山頂のベンチがある。ベンチが設置された頃より木が茂ってきているのか、あまり展望はない。
急傾斜を階段で下るとすぐに宮の森コースの木道に突き当たる。
碧血碑の方へ進むと木道はすぐに終わる。雑木林から杉林に変わる。この辺りは「宮の森」。函館八幡宮の「宮」の森で、函館山が禿山に近かった頃から相応の杉の森があったのではないかと考えたりする。
木橋と看板があり、砂防工事の多い谷を横断する。杉の植林地と古びた砂防ダムは本州の山にいるような錯覚を覚える。看板は函館ロータリークラブのもので、すぐ下に野鳥観察小屋があることと野鳥観察地を作った旨が説明されている。
ここで木橋を渡らずに砂防ダムの沢沿いに下るとすぐロータリークラブが建てた野鳥観察小屋があり、更に下ると左に逸れて函館八幡宮の一角に出る。
木橋から碧血碑へ進むと森の雰囲気が、シンプルな杉林から本州っぽい雰囲気のある雑木林に変わってくる。妙心寺の裏山だからだろうか。よく剪定された庭木のような木が現れるようになると碧血碑。函館の静かな秘境的観光地である。
碧血碑から道なりに下るとすぐに谷地頭町の住宅街に下りる。下りる途中で山肌に付く道があり、これがエゾダテ山・宮の森コースだが、もう車の幅がある砂利道だ。このあたりが「谷地の森」とのことで、宮の森や観音森と共に函館山が禿山だった頃から森があったということでないかと思う。
車道に出て歩道は終りだが、特に何もないところだ。観光地・立待岬の自動車の帰りの指定路なので向こうから自動車が次々来る。谷地頭温泉まで10分程度、市電の谷地頭電停まで15分程度だ。
登りは細い道 |
杉の森 |
木橋 |
探鳥小屋 |
空が見える |
稜線が見える |
光も・・・ |
★宮の森コース
青函連絡船遭難慰霊碑の裏手から少しだけ車道を南に下り、ヘアピンカーブで横断すると芝生の広場がある。自動車の接近が見えにくいヘアピンカーブなので注意を要する。
芝生の広場は飯盒炊爨施設とバンガロー・テントサイトがあるが宿泊は出来ないようだ。芝生の真ん中に真っ白なペンキを厚く塗られた仏舎利塔がある。誰もいないバンガローの並ぶ芝生の広場に大きく白い仏舎利塔が一つポツンとある風景は不思議なものがある。
仏舎利塔から奥は芝生が次第に狭くなって、道の幅になると木道が始まる。はじめのうち、周囲はヤブである。山側が立ち上がってくると木道には手摺が付くようになる。ずっと木道なので歩きやすいことは歩きやすい。エゾダテ山を回り込むと斜面が変わるので日当たりが変化して別の森の顔が見える気がする。カエデなどの大木がある。
まもなくエゾダテ山コースと合流する。
芝生のテントサイトの先に道 |
大木があった |
コブのある木 (カエデ) |
汐見山断面模式図 |
「蝦夷の館」を疑う。函館トンボロの東海岸の見張り程度なら使える場所だとは思うのだが、アイヌ語のチャシコッを和人が蝦夷舘と言い換えるものだろうか。西海岸を見通せないのは見張る場所として致命的だと思う。
汐見山の細長い直線的な尾根の下方に肉盛りして貼り付けたような段というのがエゾダテ山の実態である。古語で歯茎のことを「どて(土手)」という。「どてっぱら」は胴体の立った面の下方で胸郭より前にせり出している腹のことだろう。汐見山という歯並びのように整った尾根筋の下に肉盛りしたような下手の段を、「をそ(峰背)・どて(土手)」と呼んだのが訛ったのが「えぞだて」と考える。
参考文献
1)ちだひろし,わたしたちの函館山,独立青年会館臥牛牧舎,1973.
2)須藤隆仙,函館の歴史,東洋書院,1980.
3)永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
4)中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
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