大台ヶ原 尾鷲道 地名まとめ その4
(木組、オチウチ越橡山以東)
別ページ | |
木組峠の名の元の、木組峠の西側の登り口付近の集落(廃村)の名である。木組は急峻な山の斜面の中ほどに開かれた集落であった。木組谷が北に凸に緩く穿入している所の外側の南向きの輪のような斜面である。木組の上の尾根線上にオチウチ越の旧道があったと考えている。この尾根は木組のすぐ北西に尾根の水平な所が400mほどあり、段になっている。この尾根の段の所の輪状の斜面ということの、「ちぐ(違)・を(峰)・み(廻)」或いは「ちぐ(違)・み(廻)」の転が「きぐみ(木組)」と考える。
新宮市の千穂ヶ峯は「稚児峰」、「千木森(ちぎや)」、「鎮護峯」とも言い、山容に段がある。千穂ヶ峯の「ちほ」は木組の「きぐ」の類例と考える。
栃山林道が尾根を乗り越す鞍部である。「毛の物」が「けだもの」になったような位置の近似から起こる d と n の相通で、「みね(峰)・の(助詞)・せ(背)」の転が「みづなし(水無)」と考える。
橡山(木津峠/南峠)の辺りで龍辻越と分かれ、粉本(相賀)へ向かう途上の木津の上手の場所。丙戌前記稿本で木津峠(南峠)から木津村の間の行程に表題の順で登場するが、記述は簡潔で書かれる里程はかなり大きく、辿られたルートを地形図に落とすのが難しい。丙戌前記版本では「くり峠」が出てこない。
黒滝 左手の水は右岸支流 |
銚子川支流後谷の標高280mの右岸支流の注ぐ所で、本流と右岸支流の二つが滝になって一つの滝壺をなす処が林道のすぐ横にある。2014年に滝の前の木に「黒滝」と書かれた札が掛かっているのを見た。西80mの標高で50mほど登った林道が滝に落ちた右岸支流を上で渡る「滝の音橋」がある。この「黒滝」の所が滝の戸、また滝の戸休場と考える。「たき(滝)・の(助詞)・と(処)」と考える。2014年に木津の古老に「木津の奥に『たきのと』と呼んでいた所はあった」とまでは伺ったが、口頭の立ち話で細かい場所までは伺えなかった。
大台木津道は橡山から水無峠を経て尾根伝いに滝の戸の直上の後谷の標高370m付近へ下り、後谷の右岸に移って木津へ下りたと考えるが、古い道の跡などは確認していない。近代以降の石積みの道は滝の戸の下手から木津まで見ている。龍辻越とオチウチ越の重複道がはっきり残っている橡山南東尾根の標高650mから東北東に枝尾根を下り、519.0mの三角点の手前の490m強の鞍部が「くり峠」で、鞍部から北へ谷筋か三角点の緩い北尾根から滝の戸へ下りるルートであったかと考えて歩いてみたが、この尾根の標高650mから490m強の鞍部まで(図の緑点線)に道型は見いだせなかった。
「黒滝」の西北西約370mの林道の標高が400mに達する鞍部が「くり峠」ではないかと思うが丙戌前記稿本の里程と合わない。丙戌前記稿本では、くり峠から滝の戸休場が「十七八丁」とされるが、地形図上でこの鞍部から黒滝まで歩きやすそうな所を繋いで測ると大体450〜500mである。だが丙戌前記稿本では滝の戸休場から木津村が「六十五丁」とされる(版本では「二十五丁」)。木津峠と推定する橡山山頂から木津集落までの直線距離が約3200mなので、丙戌前記の里程は本格的な登山からは久しく離れていた老体の松浦武四郎に堪えて長くなっていると考える。木津道の後谷推定渡渉点から推定くり峠の鞍部までは約150mで、丙戌前記稿本では「から谷」から「くり峠」は「十丁」とされる。丙戌前記版本で「くり峠」が出ないのは、小さな峠で本当に峠と言うほどのものだったのかという意識が松浦武四郎にあったと言うことでは無いかと考えてみる。2014年に「たきのと」について伺った木津の古老は「『くりとうげ』は聞いた覚えがあるがよくわからない。船津の方でないか。」と話された。
丙戌前記版本には稿本での木津峠(南峠)らしき峠休場から二十五丁下って尾鷲を右に見て二十五丁「から谷を下る」とある。「から谷」は水無峠で尾鷲を右に見て南面直下の後谷上流域の水の乏しい谷の名で、推定くり峠のすぐ上手の所で、おちうち越から下りてきて初めて渡ったのではないかと思う。橡山から直接東斜面へ下りたり、水無峠から直接後谷へ下りるのは急峻過ぎて、大規模な石のつじかけが木材搬出の為に設けられた明治後期以前は道が付けられなかったのでないかと思う。から谷の「から」と、くり峠の「くり」と、黒滝の「くろ」の音が似ているのが気になる。
参考文献
天野正善,大台ヶ原山略図,付図,1(2),山上,奈良山岳会,1933.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
植野民平,新宮町郷土誌,和歌山県東牟婁郡教育会第一部会,1932.
新宮市,新宮市誌,新宮市,1937.
奈良県教育委員会事務局文化財保存課,東ノ川(上北山村文化叢書1),上北山村役場,1962.
金田一京助,増補 国語音韻論,刀江書院,1935.
松浦武四郎,松浦孫太,佐藤貞夫,松浦武四郎大台紀行集,松浦武四郎記念館,2003.
松浦武四郎,吉田武三,松浦武四郎紀行集(中),冨山房,1975.
玉井定時,奈良市教育委員会文化財課,里程大和国著聞記(玉井家文書庁中漫録20),奈良県立図書情報館.
磯永和貴,江戸幕府撰大和国絵図の現存状況と管見した図の性格について,pp1-14,16,奈良県立民俗博物館研究紀要,奈良県立民俗博物館,1999.
並河誠所,大和志,大和名所和歌集・大和志・日本惣国風土記:大和国,奈良県史料刊行会,豊住書店,1978.
トップページへ |
資料室へ |
尾鷲道メインへ |