大台ヶ原山 尾鷲道 その4(古和谷下降点以東の尾根道)+橡山
大台ヶ原尾鷲道を南行してきた場合、現在は地蔵峠から橡山林道に入るか、古和谷橡山分岐或いは古和谷下降点から古和谷林道に出るのが一般的だが、これらの林道に先行する道として「龍辻越」と言うルートがあり、古和谷栃山分岐・現在の地蔵峠・古和谷下降点を通過して、そのまま尾根伝いに又口川の矢所まで下り尾鷲に続いていた。古道「龍辻越」は大和北山の栃本(小橡)から風折谷を登り風折峠を越えて東ノ川端の出口へ出、委細谷を登り龍辻を越えて尾根を辿り矢所渡瀬で又口川を渡り、紀伊の尾鷲とを結んでいた。その道を尾鷲まで歩いてみた。水無峠から橡山の記事も合わせる。
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★古和谷下降点〜橡山〜矢所
古和谷下降点の杉の大木の先に分岐があり、ここで下降せず、尾根伝いの道を東に進む。緩やかな起伏のある広い尾根が続く。栂や杉の大木が時折見られる。広く平坦な尾根上では道の跡ははっきりしないが、起伏に掛る箇所では掘り込まれて傾斜を緩めているのが分かる。分岐から橡山までの中間附近にワイヤの散乱する架線場の跡があった。そのもう少し東で尾根はかなり広くなっており、苔むした杉の大木が見られた。松浦武四郎の記す「ぬの休場」「布休場」「奴の休場」はこの辺りかと思われる。一帯は杉の植林だが、元は湿った「沼(ぬ)の休場」であったかと考えてみる。
起伏の少ない平坦な尾根を更に東へ進む。橡山の山頂は標高970m程度で南西斜面を巻く。巻道の中間附近が不明瞭だが一部に石段が見られる。橡山山頂に最も近づく場所には小さな山抜けがあったが、通過が困難と言うほどのものではなかった。
時折尾鷲方面が 見える |
推定ぬの休場の 苔むした栂 |
右の巻き道に 入る |
橡山山頂を 巻く |
石段? |
橡山山頂付近の拡大図 |
巻き道が終り、橡山山頂から下りてくる道と合流する。西の尾根から橡山山頂への道ははっきりしないが、南の尾根からの道ははっきりしている。標高950mの尾根の分岐は西に向かう尾根の方がはっきりしており、引っ張られそうになる。古い道型は尾根の分岐の手前で東斜面に入って東の尾根へ下っているが、細くなっており藪がうるさく分かりにくい。標高910m附近には架線場の跡があった。架線場より下のやや傾斜の掛った所を道は尾根の右手(南側)に絡んで掘り込まれて続いている。道型は掘り込まれているので倒木が中に溜まっていて辿ろうとすると歩きにくい。道型のすぐ左手の尾根の上を歩く事になる。
864m標高点手前の鞍部に下りると古い酒瓶が落ちていた。864m標高点附近は尾根の南側に棚状の平地がついていて、古い道は864m標高点には登らず、この棚の上を通っていたようである。棚の上は間伐材が散乱していた。
次のコブは南側から巻く。巻いた後の鞍部を過ぎると次第に尾根が広くなる。844m標高点へは直登する。標高810m附近から下りだす感が強くなり、掘り込まれた道型がウネウネと尾根線の右手(南側)に続いているが、ここでも道型の中に倒木が溜まっており、道型の底を辿るのは難しい。標高780mで南東から東へ向きを変えて更に傾斜が掛る。標高720mで一旦緩む所で尾根線から外れ、一旦南斜面の小尾根を標高680m辺りまで下りて、南斜面のトラバース道となり、標高650mで尾根線に戻る。トラバースの部分ははっきりした道があるが、南へ下りる小尾根の部分は細くやや不明瞭である。
標高650mから600mはやや平坦である。道型は主に尾根の左手(北側)に付いているようである。植林に二次林が混じるようになる。標高600mから500mは傾斜がきつく、掘り込まれた道型は切れ切れに残っているものの浸食されて全く分からない場所もある。石の多い箇所では石段もある。標高460mで北側からの送電線の巡視路に合流する。ここより下では送電線の巡視路でもある。北側への巡視路は隣の尾根の木津方面への鉄塔へ続くトラバース道である。
尾根の東斜面が若い植林となって鹿除けのネットの脇を下りる。時折ネットの隙間から便石山など尾鷲方面が見える。次の400m等高線のコブは直登する。この辺りは道型が分からないが東斜面の方は鹿除けネットが連なっているので入って確認する事が出来ない。ネットが無かったとしても若い植林で下草のヤブで確認は難しそうだ。コブの上に鉄塔がある。このコブの南の下の方からまた古い道型がはっきりしてくる。コブを下りきった鞍部からは道の具合が一段と良くなる。非常にはっきりしたよく踏み固められた幅の広い道となる。
次のコブは西側を巻く。古い道は東側を絡んでこのコブを通過していたようだが、このコブの南半分は索道か何かの設備を作る為に切り取られたようで、切り取られた岩場を避けるように西側に道が付け替えられたようである。切り取られた岩場の下に下り立つと鉄棒の斜めに突き出したコンクリの遺構があったが、何の遺構なのかは分からなかった。索道の跡か。
山抜け跡 |
杉の巨木 |
橡山山頂からの道と合流 |
864m標高点西の棚 |
掘り込まれた 道型に間伐材が 詰まっている事が多い |
南斜面を巻く |
石段? |
送電線巡視路に 合流する |
コンクリ遺構 |
便石山が見えた |
はっきりした道 |
標高180m附近 |
尾根末端附近の拡大図 |
また尾根が広くなって、標高300mで尾根上での最後の顕著な下りである。道は尾根の西側に広く付いている。
又口川の対岸へ続く正面の送電線を見る最後の鉄塔で右手(西側)の斜面に入る。鉄塔のすぐ下の入るところだけ少しはっきりしないが、西斜面に入るとはっきりしたジグザグの小道が下りている。所々に石段がある。標高150m程の、下に古和谷林道が見えてくる所で木馬道に合わさり、僅かに木馬道を辿りまた分かれて斜面をジグザグに下りるとすぐに古和谷林道である。木馬道と書いたが古和谷のトロッコ軌道跡かも知れない。
古和谷林道を横断し、更に斜面を下りる。古和谷林道からは林道入口のゲートまで木の間越しに見えるが、道型は分からない。古和谷の水まで見えるようになると林道開通前の歩道があるのが分かるが、すぐに古和谷林道入口のゲートの前に出てしまう。
最後の送電線鉄塔より 南を見る |
木馬道と 交差 |
林道に 下りつく |
矢所橋から 又口川 |
★矢所〜坂場西町
矢所から尾鷲へはもう一つ山を越えなければならない。坂下(さかげ)トンネルのある山並みである。
坂下峠越の地図 |
国道から横を向いた 山の神の祠 |
矢所橋が出来る前の龍辻越がどこで又口川を渡渉していたかは分からなかった。北畠親房加判木本分領際目証文が「矢所ハ渡瀬」と書いた所だがクチスボダムで水が取られていることもあって、一帯はどこでも徒渉出来そうである。国道425号線の矢所橋で又口川を渡り、ゴミ処理場を過ぎると道の北側に山の神の小祠がある。国道から見るとこの小祠は横を向いていて道路の方を向いていない。小祠の向こう側に龍辻越の旧道があり、祠のところで曲がっているので今の国道に対して横を向いている。この旧道の矢所方面は産業用(?)の更地になっており途切れている。尾鷲方面は現国道に重なっている。国道が左にカーブすると左手の国道と祖父木屋川(仮)(新旧坂下トンネルから矢所の又口川に下ってくる川だが名がわからない。尾鷲市史下巻にこの川の中ほどが祖父木屋(じやごや)とあるので当頁では祖父木屋川(仮)としておく)の川縁の間に旧道の道型が続いているのがアスファルトの上から見える。
便石山登山口を見送って国道425号線を尾鷲へ向けて進む。祖父小屋(じやごや)林道を分けて谷はいよいよ狭くなり、掘り下げられた坂下トンネルが見えてくる。坂下トンネルの西口の南側法面には土管に収まったようなお地蔵さんが一基ある。新旧坂下トンネル開通前の旧道と思われる峠道は坂下トンネル西口に南から合わさる沢沿いに続いているが、坂下トンネルが掘り下げられていて、沢はその法面をコルゲートパイプで流下しているので沢沿いに辿れない。一旦国道の北側の斜面に上がり、坂下トンネルのポータルの上を通ってコルゲートパイプの上の口にたどり着く。
コルゲートパイプの上から沢伝いは短く、少し登ってすぐに尾根に取り付く。沢伝いの旧道跡なので水流や倒木で荒れているが昔の路盤は残っている。水は少なく、沢の正面が立ってくると左手の斜面に取り付く。山の斜面に掘り込まれた道がゆるゆると登っている。一部でコシダが茂っているが踏み跡程度ではある。
稜線にたどり着く直前に大きな山抜けがあって途切れているので上側に巻く。巻き終わると峠までの路盤に戻らずそのまま推定の峠である。この峠の名が分からない。旧坂下トンネルが600mほど南方にあり、旧坂下トンネルの直上を越えていた峠の名が、尾鷲市史によると「梅の木谷上」で「尾根に平行して坂下峠に達し、トンネルを抜き」とあるから坂下峠のようだが、明治44年開通の新しい坂下トンネルの直上を通る峠の方が、路盤跡が峠の両側にしっかりしている。坂下峠の旧坂下トンネルの直上に至る尾鷲からの尾根上にも古い路盤があり、尾鷲と矢所を結ぶのに距離も標高差も現坂下トンネル直上の峠と通るのとそれほど変わらないが、西斜面を下りる路盤を探しても見つけることが出来なかった。
大正12年の「奈良県吉野郡史料 下巻」で、上北山村からの尾鷲街道にあるとされる「尾鷲峠」が、この峠の北山側からの呼び方なのかも知れないと考えてみる。当頁では尾鷲市史で「オメギ山」とされているこの峠を龍辻越の「推定尾鷲峠」としておく。
推定尾鷲峠から東の尾根の北斜面に広い歩きやすい路盤が延びている。その路盤が切り通しで南斜面に移る手前で古い路盤と分岐しており、切り通しを通らない古い路盤としばし平行する。北側の平行する古い路盤は、掘る道普請で深くなり過ぎたので放棄されたものと思われる。下りてくると時折石畳が見られる。最後に岩の溝から坂下トンネル旧道への道に下りると便石山登山口の標識がある。推定尾鷲峠を経て登るのが便石山の登山道である。龍辻越の旧道は更に尾根上を下っているが、すぐ先の紀勢道によって尾根が切られている。坂場トンネルの西口に出て坂場西町へ下る。尾鷲市街の一角である。
坂場西町から紀勢道で切られた峠道を登ってみた。尾根の末端に大山祇神の石塔があり、路盤はその北側から尾根線の北側を上手から続いていた。末端には石段が見られた。坂場西町は今は住宅街となっているが昔は索道の拠点で製材所と貯木場であったという。龍辻越は坂場西町と倉ノ谷町との境の狼塚のある道で坂場交差点を経て尾鷲の中心部へ続いていたのではないかと考えてみる。
車道の下手の 旧道路盤 |
古い石垣が 見られる |
坂下トンネル 西口 |
坂下トンネルの 上に上がる |
沢の詰めで 左手の斜面へ |
山の斜面の 路盤 |
山抜けで途切れている (上から見た) |
推定 尾鷲峠 |
推定尾鷲峠から 坂場トンネル口へ |
旧道は高速道路で 切れた |
紀勢道より下 コシダが茂るが道型あり |
旧坂下トンネル 西口 |
橡山登山道山頂付近の地図 |
橡山は栃山林道の水無峠に登山口があり、東の尾根に登山道が付いているが、栃山山頂一帯は標高940mより上の地形が非常に複雑である。この複雑な一帯は踏み跡もはっきりしていない。尾根線を忠実に辿ると何度も登り返しがあって面倒である。尾根のやや北側を登ってきた登山道が尾根線に上がる標高950mの上の最初のコブには南側に弱い巻き道の跡がある。巻き終わりの見える後半で巻き続けずに10m程下ると、谷地形の段の上に出る。この谷を渡り、山頂から東に延びている尾根に取り付いて登るのが、ヤブや倒木が少なく一番早く橡山に登れる気がしている。地形図(2014年現在)にある登山道は上の方に詰まり過ぎているのではないかと思う。
水無峠登山口 |
橡山山頂 |
参考文献
玉井定時,奈良市教育委員会文化財課,里程大和国著聞記(玉井家文書庁中漫録20),奈良県立図書情報館.
仲源十郎・仲彦助,見聞闕疑集,尾鷲市立中央公民館郷土室,1984.
松浦武四郎,吉田武三,松浦武四郎紀行集(中),冨山房,1975.
松浦武四郎,松浦孫太,佐藤貞夫,松浦武四郎大台紀行集,松浦武四郎記念館,2003.
惠良宏,志摩国木本御厨関係史料 ―荘司家文書の紹介を中心に―(上),pp1-7,130,史料,皇學館大学史料編纂所,1994.
惠良宏,志摩国木本御厨関係史料 ―荘司家文書の紹介を中心に―(下),pp6-14,131,史料,皇學館大学史料編纂所,1994.
三重県尾鷲市役所,尾鷲市史 下巻,三重県尾鷲市役所,1971.
奈良県吉野郡役所,奈良県吉野郡史料 下巻,奈良県吉野郡役所,1923.
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