日本百名山山名考

 北海道分(1〜9)は別項

14.早池峰・・・東西に細長く延びた山である。横長に延びた尾根であることをいう「はひ(延)・ちね/つね(尾根)」の転が「はやちね」と考える。「ちね /つね」は北海道方言で尾根の意で北東北出身者由来と思われる。「つる(蔓)・ね(嶺)」の約まったのが「つね」で、更に訛って「ちね」となったと考える。

15.鳥海山・・・旧郡名・旧国名の出羽(いでは)が鳥海山の古名だったのではないかと考えている。出羽郡は鳥海山の南裾であり、出羽国の中央に鳥海山は位置する。その後、出羽が訛って「でわ」になり、出羽の崩れた山頂一帯を指して「でわ・くえ(潰)」と言ったのが「てうかえ」などを経て訛って「ちょうかい」、「でわくえ・せり(山)」が「ちょうかいさん」となり、出羽が鳥海山の古名であったのが忘れられたのでないかと考える。

30.谷川岳・・・谷川の岳。谷川の名は利根川河畔から一段高い水上中学校のある平坦地を指す「たな(棚)」の所から利根川に落ちる「たな(棚)・かわ (川)」の転が「たにがわ」と考える。オキノ耳は奥側にある耳殻状のものということの「おき(澳)・の・みみ(耳)」、トマノ耳は手前にある「つま(端)・ の・みみ(耳)」。「つま」が tsuma になる前の tuma の音から toma になったと考える。

43.浅間山・・・活動的な活火山で今ある山の姿になってまだ間が浅い山と言う印象であることを言う、「あさ(浅)・ま(間)・山」と考える。古代に活動的 であった富士山も浅間とされる。活動的な火山で山肌に樹木が無く「あらわだ」とか「むき出しだ」の形容動詞「浅ま(「ま」は情態)」な山かとも考えてみたが、「浅ま」が用いられた時代がやや新しいということと、富士山・阿蘇山の名を合わせて考えると、荒削りで新しげな様をいう形容動詞「あさま(浅間)」を推定する。或いは「あさ(浅)・さま(様)」の約で、むき出しで深みのない山肌一帯を指して呼んだか。

44.筑波山・・・男女の二峰がくっついて一つになっている「つき(付)・を(峰)」の転が「つくば」でないかという気がしている。


沼田付近から見た
筑波山

47.鹿島槍岳・・・鹿島川の奥の岳ということの「鹿島入りヶ岳(かしまいりがたけ)」の転訛が「鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)」と考える。鶴ヶ岳は 双耳峰として一続きであることの「つる(蔓)・ヶ岳」と思われる。

48.剣岳・・・剣沢の源頭の岳であろう。剣沢の名は、上の方が広く緩やかで、緩やかな上の方から引っかかるように続く急峻で険悪な剣沢の下の方の様子を「たれ(垂)・ぐえ(潰)」と言ったのが、「つ」が tsu ではなく tu であった鎌倉時代以前の音で転訛したのが「つるぎ」ではなかったかと考える。或いは「つり(吊)・ぐえ(潰)」か。剣沢は西から下りて行く方が認知しやすいかと考えたが、 東の黒部川の方から知るならば剣沢大滝付近のひたすら連なる崖場を指して「つる(連)・ぐえ(潰)」も考えられるか。

50.薬師岳・・・折立から黒部川に山越えする、薬師岳と北ノ俣岳の間の撓んだ太郎兵衛平・薬師峠一帯を「ひよ(撓)・こし(越)」或いは「ひよ(撓)・を (峰)・こし(越)」と呼んだのが転訛して「やくし」となり、「やくし」の横の岳、或いは「やくし」の沢である薬師沢の源頭の岳ということが「やくしだけ」と考える。鞍部になって撓んでいる太郎平は「つり(吊)・を(峰)」平の転、太郎兵衛平は「つり(吊)・を(峰)・ひよ(撓)」平の転と考える。「つ」は tsu ではなく鎌倉時代以前の tu から ta に転じたと考える。

51.黒部五郎岳・・・五郎はゴーロではなく、黒部五郎カールを指す「げら」か、カールの山ということの「げら・を(峰)」の転と考える。黒部五郎小屋の南側の九郎右衛門谷の名がカールの向こう側の「けら・うら(裏)・の(助詞)・たに(谷)」と考える。野口五郎岳の五郎もゴーロではないと考える。野口も山麓に離れた野口村に由来するとは考えにくい。五郎沢の高瀬川への落ち口右岸にある高い垂直な崖を「ねまち(嶺区)・ぐら(ー)」と呼んで野口五郎という沢の名となり、「ぐら」だけでもその沢と識別できるということで五郎沢となり、五郎沢の源頭の岳ということで野口五郎岳の名となったと考える。或いは「ねまちぐら(沢の源頭の)・を(峰)」で「のぐちごろう」か。黒部は黒部川扇状地の滑らかな広がりを「けら・ば(場)」と言ったのが転じたのが「くろべ」と考える。「けら」は飛騨方言で雪を踏みつけて滑らかにしたよくすべるようにした所を言い、滑るような滑らかな地形も言ったと考える。「げら」は「けら」の濁音化したものと考える。

52.黒岳・・・黒岳の名は私も見て色の黒い山だと思ったが多分色の事ではないと思う。水晶岳の名は滑らかで広大な一枚の北西斜面を指す「すべ(滑)・そは(岨)」の転が「すいしょう」だと思う。或いは南斜面もか。六方石山の「六方石」は「すいしょう」と読ませるつもりで書かれたのだろう。越中奥山廻りの記録にあるという、中岳剣、中剣岳の「剣」は滑りやすい斜面ということの東面のカールをいった「けら」の転の「けん」ではないだろうか。「くろ」も「けら」の転かもしれないと考えてみる。

53.鷲羽岳・・・三俣蓮華岳が元禄の奥山廻りの記録に鷲ノ羽ヶ岳とあり、文政の頃に今の鷲羽岳が東鷲羽岳とあったというのは、岩苔乗越から落ちた黒部川本流の源流が南流から西流に曲がる処の横の処と言うことの、「わ(廻)・そ(処)・の(助詞)・は(端)」の転 が「わしのは」と考える。

56.常念岳・・・万能鍬の雪形で呼んだ「じょれん(鋤簾)・を(峰)」の転訛が「じょうねんぼう」だろう。「常念」は「じょれん(鋤簾)」だろう。

60.御嶽

61.美ヶ原

62.霧ヶ峰・・・なだらかな斜面の山上ということの「けら・が(助詞)・みね(峰)」の転が「きりがみね」と考える。車山の名も「けら・ば(場)・やま(山)」の転が「くるまやま」と考える。

69.瑞牆山・・・特徴的な西面が釜瀬川の開けた最奥の崖場ということの「みつ(奥)・が(助詞)・ くえ(崩)」山の約・転が「みづがき」のような気がしている。「みつ」は「みつ」が付く最奥に位置する谷の名や駿河湾最奥の三津(みと)、また 陸奥(むつ)から考えたが古語辞典等に見ていない。元は「み(深)・と(処)」ではなかという気がしている。「みつ」の付く奥の例を集めたい。

70.大菩薩岳・・・岩塊斜面の広がるガレた旧大菩薩峠の所である賽ノ河原の所で尾根を越える道であると言う事の、「つえ(潰)・をそ(峰背)・ち (道)」の転訛が「だいぼさつ」と考える。妙見大菩薩は同ガレ場を、つえ(潰)の部分を言い換えた「めげ(壊)・の・つえをそち」とも言ったと言う事だろう。 八幡大菩薩は同様に「はつれ(解)・の・つえをそち」だろう。「をそ」の「そ」は「せ(背)」の交替形で、諸地の尾根越えの「獺越(おそごえ)」などに見られる「おそ」や「うそ」と同じものと考える。「つえ(潰)」の「つ」は今の tsu ではなく鎌倉時代以前の tu から da に転訛したと考える。「ち(道)」も今の chi ではなく、ti から tu 、或いは t へ転訛したと考える。


親不知ノ頭から見た
旧大菩薩峠と妙見ノ頭
賽の河原の岩塊斜面

72.富士山・・・浮島沼の富士郡側の一角の陸地であった「ふけ(湿地)・す(州)」が「ふじ」の語源と考える。連濁して「ふくず」或いは「ふくじ」に訛り、「わたくし(私)」が「わたし」になったように狭い母音の第二音節が脱落して「ふじ」になったと考える。或いは置賜(おいたま)のように第二音節の子音 k が脱落して、更に母音の連続が約まったか。「福慈」は常陸のような遠い所に元の音に近い呼び方の音が残っていたと言うことでは無かったか。

79.鳳凰山・・・鳳凰三山が横長に広がって一つの山体として聳えて見えることを言う「はひ(延)・を(峰)」の転が「ほうおう(鳳凰)」ではないか。四国の法皇山脈も高さの変化の少ない山並みが一直線に続いて聳え続ける「はひ(延)・を(峰)」山脈ではないか。

82.塩見岳・・・塩見沢の源頭の岳ということで、塩見沢の名は沢口が狭くなっている「すぼみ(窄)」の転が「しおみ」と考える。

88.荒島岳

89.伊吹山

91.大峰山・・・山上ヶ岳(さんじょうがたけ)は大峯山寺などの中世以前からの寺社領の山と言うことの「散所(さんじょ)・尾(を)ヶ岳」かと考える。或いは大峰山脈において最も広い山上台地を持つ山と言うことの、「さら(緩い頂上?)・ど(処)・を(峰)」の転か。八経ヶ岳(はっきょうがたけ)/仏経ヶ岳(ぶっきょうがたけ)/八剣山(はっけんさん)は東面の崖に注目した「岨(はっけ)・尾(を)ヶ岳」/「岨(はっけ)・の・山(せり)」と考える。

92.大山

93.剣山・・・つるみ(連)・せり(山)。剣山と次郎笈と言う二つの山が連なって一つの大山となっているということだろう。次郎笈(じろうぎゅう)は南面のガレ場に着目した「ズリヶ尾(ずりがを)」の転訛でないか。

96.祖母山・・・「うばがたけ」の「うば」は「うばがふところ」などという時の「うば」で輪状に囲われた行き止まりのような所を指し、大障子岩から尾平越 の祖母山の稜線で深く囲われた奥岳川源頭域の山地を指していたと考える。祖母山だったという古祖母山は「すば(窄)」か「すば(窄)・を(峰)」で、南側から引き絞った山容に見えることを指し、後ろの北側に「うばがふところ」などという時の「ふところ」と同義の「ふど(節処)」で奥岳川源頭域の深い窪地があるということで「ふど(節処)・すば(窄)」或いは「ふど・すば・を」ともいっていたのが訛った「ふるそぼ」を、神武天皇の祖母を祀っていることにするなら一帯の最高所である新祖母山の方が良かろうということで「古祖母」を主流であった「祖母」から置き換えたと考える。添利山は、本当に古祖母山のことなら、「すば (窄)・ね(嶺)」の転が「そほり」でないか。


奥岳川源頭地図

97.阿蘇山・・・活動的な中央火口丘が今ある姿になって日が浅い山、或いは荒れたむき出しの山であるという印象と言うことの、「あさ(浅)・を(峰)」の縮が「あそ」と考える。

98.霧島山・・・韓国岳や新燃岳のような分かりやすい丸く凹んだ火口を持つ一点に引き絞られた山頂を指した「くり(刳)・すば(窄)」の転が霧島(きりしま)と考える。韓国岳の「からくに」は、刳りの浅い新燃岳や刳りの中に水が溜まっている大浪池と比べ、深く何も無い「から(空)・くり(刳)」の転だろう。高千穂峰は山頂から一段下がった御鉢の西側が崩れて高千穂河原に落ち込んでいる。崩れた段差の処ということの「とけ(解)・ちぐ()」の転が 「たかちほ」で御鉢を指し、「とけちぐ」から崩れ落ちた土石が下で溜まったのが「とけちぐ・ごら」で高千穂河原、御鉢に隣接する峰ということが「たかちほのみね」と考える。

99.開聞岳

参考文献
深田久弥,日本百名山(新潮文庫ふ-1-2),新潮社,1987.
橋本進吉,古代国語の音韻に就いて 他二篇(岩波文庫青151-1),岩波書店,2007.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.



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(2018年8月21日七山からスタート)