開聞岳(922.2m)

 まだ日本百名山に憧れていた頃のお山。思い出語りの洗練されてない内容。

行程地図 開聞岳の位置の地図 頁内ジャンプ


2003年再訪時
竹山中腹から見た開聞岳

★指宿から登山口まで

 前日は指宿の湯の里YH泊。ここは小さなYHで特にウリになるツアーなどもないようだが、ペアレントさんが柔らかいいい人で良かった。晩飯の献立はメインが1泊目が揚げ立てのさつま揚げで、2泊目がキビナゴの刺身だった。それに薩摩煮がつく。季節の地元の美味しい魚が上品に食べられたと思った。「今度屋久島に行く時は寄ります」と言って後にしたけれど、まだ一度も再訪していない。いつか再訪しなければと思っている。窓からは、やしの木の公園の向こうに魚見岳が見えるロケーション。

 朝ごはんを食べて、YHのママチャリレンタサイクルで開聞岳に出発。YHから徒歩10分ほどの指宿駅にもレンタサイクルはあるが営業時間の関係でYHで借りた方が良い。少しは安いし。

 海岸に出て南下し、いわさきホテルの入口で右折して指宿枕崎線の線路を渡る。湯の浜は朝の冷え込みでずいぶん湯気が出ていて旅情ある光景だった。開聞岳は頭だけ見えている。しかしちょっと山蔭に入るとすぐ見えなくなる。この日の道中の至る所で開聞岳は見えて、場所によっては羊蹄山より大きいように見えたけれど、本当はそれほど大きくない山だ。

 山川港を回りこんで山川の中心部へ。魚の工場が多い町だと思った。

 山川の街のはずれの金毘羅鼻(こんぴらどん)から長崎鼻にかけては九州自然歩道の人参畑の中の車の来ない気持ちの良い道(なぜ金比羅鼻の「鼻」は「どん」なのか?)。ニンジンの葉は涼やかで気持ちよい。タクアンにするのか、切干大根か、大根がはさ掛けに干されている。竹山(202m)は桂林のような雰囲気の山で、ソテツの自生地との看板があった。登って見てくればよかった。猛禽類の渡りが見られた。自然歩道であると同時にとても良いサイクリングロードであった。


長崎鼻の釣り人

 右手には人参畑の真ん中に山川地熱発電所の蒸気がもうもうと上がっているのが見える。この辺りはもしかしたら地熱で霜も下りないのだろうか。

 岡児ヶ水の狭い路地を抜けて菜の花畑を通って観光地、長崎鼻へ到着。売り子さんが賑やかだ。竹島と硫黄島が見える。屋久島は見えなかった。ブーゲンビリア、青い野菊、ツワブキ、サザンカが満開。ハイビスカスもちらほら咲いていた。

 開聞岳の北東麓は有料の自然公園とやらになっていて、自然歩道はその中をトンネルで抜ける。変な話だ。トンネルは勾配があって、真っ暗で楽ではない。時折トンネルの窓(!)から見える風景は、公園というよりゴルフ場だ。トンネルを抜けても海岸風景がそれほど見えた記憶がないが、ずっと開聞岳は見えている。真西の田の崎まで来ると開聞岳の500m付近の円錐の乱れが見える。開聞岳唯一の弱点だ。

 地図には載ってない水平の道が登山口まで伸びていて、山麓の町に下りずに登山口に到着。一帯はグラススキー場になっていた。隅の方に自転車を停めて登山を開始。


★開聞岳登山

 有名ならせん状登山道。気温は8度と低いが風がなく蒸し暑い。照葉樹林の為、展望は所々にしかなく、落ち葉が少ないのが印象的だ。9合目まで上がると展望が開けてくる。枕崎方面の海岸風景が良い。

 山頂に着く頃には天気は曇りになり、少々寒かった。桜島、高隈山が雲海の上に浮いている。しかし一方で山頂の火口側の岩の間にはゴミがたくさんはさまれており、悲しいものがあった。山頂では焼肉をしているグループがあり少しご馳走になった。北海道から来たと言ったら驚かれた。


★池田湖を巡って指宿へ

 登山口まで駆け戻り、開聞町の市街地にダウンヒル。鉄道を渡る直前の役場で登山証明書をいただく。時間がなかったとて枚聞神社に寄ってこなかったのが残念である。開聞町から池田湖までは緩やかなだらだらした登りで、下山直後の足にはママチャリではつらいものがある。流しソーメンで有名な唐船峡公園もこの時期は静まり返っている。西側の火口壁のような地形では紅葉が見頃で「さすが南国」と感心した。

 池田湖は九州島の端っこにありながら九州最大の湖だ。開聞岳を均してこの湖に埋めると丁度いっぱいのような気がする。

 湖畔のお土産屋さんで夜香木の香水とコダカラベンケイの葉をお土産に買う。訳のわからないものを買っていしまったものだ。香水は今でも捨てられず、コダカラベンケイも居間で茂っている。腐れ縁だ。

 湖畔を離れ、池田の中心街に登りつき振り返ると、池田湖越しの開聞岳が絶景。

 ここから東に向かい、茶畑の中を足を伸ばして下っていく。漕がないとちょっと寒い。魚見岳半島の基部の吹越集落はその地名のように風が強いのであろう、飛ばされた瓦の替わりに青ビニールが屋根にならんでいる家が多かった。ちゃんと乗っている瓦は本当に重そうだ。

 知林ヶ島はトンボロか。風が強くて自転車を下りてまで見る気がしなかった。もっとゆっくり再び訪ねてみたい。指宿の町に入ると風も弱くなる。湯の浜の、翌日が新館オープンだと言う市営砂蒸温泉に入る。入浴料は710円だった。浴衣を着て砂をかけてもらう。砂は時々取り替えてくれる。無理をして20分粘ったが汗が目に入っても拭けないのに耐え切れず出してもらった。


★2003年12月再訪


竹山

 2003年12月、念願のこの地域再訪。湯の里YHのペアレントのご夫妻も頭に白いものが混じるようになっておられた。今回はYHのレンタサイクルではなく指宿駅の貸し電動アシスト付き自転車「楽チャリ」を借りた。営業時間は9時からの貸し出しだが、貸し出し窓口の駅レンタカーは8時から営業しているので8時から借りられた。2時間300円、4時間600円。温泉は、もう砂蒸はケッコーなので市街の村之湯温泉へ。とても鄙びた温泉でいいトコロであった。

竹山登山・・・ 竹山は中腹のお社までの道しか見つけられず、その上は傾斜がきつくて危険な感じで登ることが出来なかった。下山してから北西斜面を見ると、こちらは深いヤブが山頂まで続いているように見えるので登れるかもしれない。中腹のお社までの道ははっきりしたものである。竹山の切り立った斜面はソテツがわらわらと生えていて、不思議な光景である。ソテツの実はかなり大きく丸っこいはずだが、あのような急な斜面に種が留まる事がありえるのか、不思議である。山上へ分布を伸ばすのも、ソテツの身長ではいったい何年かかったことだろう。お社手前の手前のピークに踏み跡があり、開聞岳の素晴らしい展望が得られる。

スメ

竹山・鳶之口峯の地図

鰻池と鰻地区・・・鰻池は水面の標高が122mであるが電動アシストがあるので楽々到達できた。バスは1日1往復。自転車で国道から数十分だが、置き忘れられたような静かな古い日本が残っていた。殆どの家が古い木造家屋で、各戸とも「スメ」と呼ばれる温泉の噴気を使う調理スチームを敷地の中に持っている。その湯気が町のあちこちから立ち上り、良い雰囲気だ。公民館の公衆電話は今では殆ど見かけなくなったピンク色の大型のものが現役で使われていた。


★今後の課題

 三国名勝図会によると竹山(竹之山)の七分と絶頂に祠があるという。山頂へ行ける道もあったのか。540mほど南東の鳶之口峯(203.7m三角点)と共に天狗の住む山だという(三国名勝図会の文中では鳶之口峯は竹之山の「八町許東」とされている。八町は約870mとなるが、竹山から870m以内には203.7m峰しかない。その次に東側で近い山までの距離は約1300mである。竹之山と鳶之口峯は「其根相連り」とされ、挿画に描かれる山容も203.7m峰が合っているので203.7m峰を鳶之口峯としておく。今の地元の人は鳶之口峯と呼ぶのだろうか?鳶之口峯には登路はないのだろうか?)

 三国名勝図会は開聞岳の西の脇からの登山道を川尻からと共に記して、その八分辺りに湧き水があるとしている。現在(2017年)の地形図には途中で途絶える脇からの道が描かれているが、今も水は湧いているのだろうか。尤も絶頂にも「小清泉あり」とされているが、開聞岳の山頂で水が汲めるという話は他に知らない。


★山名考

 「ひら・くき(坂・岫)」の転訛か方言音の「ひらきき」に漢字を宛てたのが、開聞と枚聞ではないかと考える。薩摩方言で「ひら」は崖を意味するが、元は広い意味で斜面・傾斜地であり、開聞岳が名づけられた頃は薩摩地方でもそうだったのが、後に薩摩地方では意味が極まって崖となったと考える。全周が一様な斜面で覆われている「『斜面(ひら)』の、そそり立っている峰(岫)」の意であったと考える。錦江湾の「海門」説と今の「かいもん」の音は「開聞」の読み方が分からなかったから音読みしたものから広まったのであろう。和名抄にある開聞郷の比定地の中で、昔の人が現実的に土地を利用して風光を愛でるなどにあまり関心がなかったとしても目にせざるを得ない目立った山である。

 「空穂(うつほ)島」の別称がある。「島」は三方を水域に囲まれていることを言ったものか。貞観16年の噴火で山頂が空洞になったからそう呼ぶようになったとする説があるようだが、山頂まで登ってみないと分からない特徴で呼んだというのは多少疑問が残る。穂/秀の用例を見ると、穂/秀(ホ)とは何かの表に現れて目立つようになっているものであって、「空穂」だとすると「空の空間の表に現れているもの」ということで、矛盾した存在を指すことになりそうである(靫はホでなくてツボ(壷)で弓壷(ゆつぼ)の転でないか)。北麓にあった瑞応院の窟が「ウツホ(洞)」で、洞のある島かとも考えてみたが、開聞岳全体に比べて窟で山の名とするには窟は小さすぎるように思われる。「うずたかい」などという時の「うつ(堆)」を用いて、鉢窪の上に溶岩が持ち上がった姿を、積み重なって高くなっている様の表面で目立っているということで、「堆(うつ)秀(ほ)」と言ったのではないかと考えてみる。

参考文献
五代秀尭・橋口兼柄,三国名勝図会,山本盛秀,1905.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
吉田東伍,大日本地名辞書 上巻,冨山房,1907.
小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第2巻 いろさ〜おもは,小学館,2001.



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大手のエステ
(2003年5月15日上梓 12月14日修正 2017年8月20日山名考等追加)