子ノ泊山/蔵光山(906.7m)
立間戸谷

 立間戸谷は熊野川本流から子ノ泊山に直接突き上げる沢で標高のわりには規模の大きな雰囲気のある沢である。沢に沿って荒れ気味な登山道が平行しているが、核心部は沢の独壇場だ。また、最上流部の1000mにも及ぶナメ1)でも知られている。立間戸(たちまど)は下和気の別名でもあったようだ。

子の泊山 立間戸谷の地図

★アプローチ〜下流部

 楊枝口バス停の上に掛かる三和大橋で熊野川を渡って、川沿いに下流へと約1時間歩く。

 2月であれば梅の花が多く美しい。11月は道路際にリンドウが咲いている。他にもいろいろな花が咲く気持ちの良い車道歩きだが、進むにつれて廃屋が目立つ。廃屋とは言っても立派で、まだ新しい感じのする日本建築である。

 登山口は5万図に記載の沢沿いの点線の始点で「紀和林研グループ」の木作りの小さく簡素な立て札がある。登山口付近は杉の植林帯で真っ暗だがキャンプ可能。しかし雨が少ない時期は立間戸谷の水はこの辺りではすっかり伏流している。2月の時(初訪撤退)は登山口の少し手前にある梅の花咲く空き地での一夜が風情があってきれいだった。

 杉の植林の根元には石垣が多く見られる。昔はこの辺りにも人家があり、畑や田んぼがあっただろうに、今では人が去り、石垣を残したまま植林地とされたのだろう。こうした杉が植林された石垣による棚田跡は烏帽子岳の俵石付近でも見かけた。

 地形図上では道は標高220mまでしか記載されていないが、山頂まで続いている。登山口から二又(標高300m)までは沢詰でなく登山道を行く方が一般的なようだが、沢詰でも下流部は大台ケ原東ノ川を思わせる巨岩帯で雰囲気は楽しめる。登山道では標高100mまでの間に二度、本流を渡渉するが、いずれも対岸の道の続きが見つけにくい。一回目の渡渉の先のヤブの中には「天台烏薬」のような葉っぱが見られた。自生しているのだろうか。二度目の渡渉の少し下には5,6人は泊まれる岩屋がある。登山道は岩屋をくぐって、その岩屋の上を通るようにループして続いている(2012年の台風12号で岩屋の中の様子が変わり、ループしないで別の穴に出る方が歩きやすくなった)。ここでスッポンタケを見つけた。初めて見た。

 この先、沢詰では最初の滝の源助滝に突き当たる(標高100m)。二段25m程度の角張った感じのする直瀑で二段分は右岸のヤブから登れたが、その上がゴルジュになっているので越えられない。少し戻って左から合流する沢に沿って、登山道に上がるのが無難だ。

 登山道はこの辺りでは右岸の高い所を通っている。源助滝への標識もあるが、下っていくことになる。登山道は荒れ気味だが、巨岩に積まれた石の掛け橋や道を支える立派な石垣、石畳があり、苦労して作られた様子が偲ばれる。登山道ではなく、昔の林業作業道や生活路として作られたものなのだろう。和気の森(806.2m三角点)への道を左に分けて、源助滝の上の崖を細いトラバース道で行く。最近手入れした形跡もある。この辺りを「カンカケ」3)といい、「和気のカンカケ命がけ」4)などと歌われたそうな。昔は下和気からカンカケを登り、楊枝川の上流の草木谷へ抜ける湯川峠5)(ゆかわ6)とうげ)という峠道があったようだ。

 道は水平になり、次第に沢が近づく。渓相も平凡で坦々とした木馬道がしばらく続く。260mの出合で右股の、ほこヶ谷沿いに続く登山道を分け、そのまま右岸を行くと標高300mの屏風滝への左股を分ける二股の手前のカーブで途切れ、沢に下りるとすぐに二股である。屏風滝・広尾井への左は巨岩のゴーロで、本流の右は5mの滝となって出合っている。その上には柱状節理の高い崖が既に見えていて期待が高まる。ほこヶ谷出合はケヤキ平とも呼ばれ幕営が可能。

 出合から10分ほど巨岩だらけで急傾斜の左股を、前半は右岸、後半は左岸の柱状節理の下の踏み跡を辿ると立間戸谷最大と言われる屏風滝がある。高いだけでなく非常に美しい滝である。小さな滝壺がある。右岸の高い柱状節理が屏風岩2)と呼ばれているようだ。


立間戸谷下流
正面はカンカケ

源助滝

柱状節理の柱が
無造作に落ちている

屏風滝

屏風滝滝壺

核心部〜山頂

 300m二又の出合の5m滝を越えるとナメ床が始まる。すり鉢の底の様なナメ床から高い柱状節理を見上げて歩くとすぐ牛鬼滝30m(右写真)。滝の水際はツルリとして取り付けないが横から簡単に登れる。続いて10m斜瀑、これも簡単。牛鬼滝はオトシの滝2)とも言うようだ。

 次の25mが少し問題で右岸の細い尾根状のヤブを登っていくが、これまで沢山の沢ノボラーを支えることによってつかみやすい位置にある木の根や幹が枯れたり折れたりしたのであろう、ヤブはあるのにつかむものが少なく松葉が堆積した急傾斜なので滑りやすい。またこの滝の落ち口のトラバースは足場が小さく、つかむヤブも細く、落ちると滝壷までツンツルテンなので危険だ。複数で行くならロープを出した方が良さそうだ。

 更に7,8mの滝を2つ越え、ナメ床の沢が曲がって谷の中が暗くなってくると最大の山場、やせ尾根越えの30m滝である。左岸に取り付くと次第に尾根がやせてきて、切り立った岩尾根となる。場所によっては人幅しかないヤセ尾根であるが、つかむものは十分あり、吹き渡る風の中これまで登ってきた立間戸谷と熊野川が気持ちよく眺められる。何となく「立間戸(たちまど)という名前がつけられた理由がわかるような気がする(立間戸は下和気の集落の別名でもあり、谷の名が先か別の場所を指したかもしれない集落の名が先かよく分からない)。

 沢身に戻ると既に柱状節理はなく広々した、なるい谷の中のナメ床だ。すぐに植林小屋跡に着く。小屋は崩れかけていて、雨をしのぐだけの用も足せるかどうかわからない。ここの酒瓶とゴミの堆積にはひどいものがあり、人間の所為にがっかりさせられる。そこまでは二次林ぽいとはいえ自然林だったが、小屋跡の周囲は杉の植林になっている。


出合の
5m滝

牛鬼滝
(オトシの滝)

25m滝

ナメ滝が
続く

なめら谷
山小屋跡は近い

山小屋跡現る

 小屋を後にすると、しばらくは登山道が沢沿いについて赤テープが見られるゴーロだ。水中には魚がいるが小屋で食べる為に放流された生き残りであろうか。傾斜はそれまでを考えると非常に緩い。


ごちゃごちゃした山頂

 赤テープが見えなくなり、右岸から土石流の押し出しを合わせる。土石流の上流にはやはり立派なナメ床が見えている。長いナメ床は、この辺りの沢の上流の一般的な姿なのだろうか。しばらくするとはっきりしない二又があって左に入り、すぐ落ち口に巨岩の乗ったごく小さな滝を越えると名物、1000m続く一枚岩のナメ床。この時は水量が少なくて、規模はクワウンナイよりは小さく、何となくイメージしていたものとは違うと言う落胆があったが、それなりに素晴らしい。しかし、すっかり葉の落ちた林は風通しが良過ぎて、少ない水と相まって寒々しかった。緑の葉が茂っている頃の方が楽しいだろう。

 再び植林となり、稜線が杉の植林の中に見えてくる。ずいぶん明るい稜線だと思っていたら、林道があった。狙っていた浅里への登山道の稜線からは数十m離れていたので楽が出来たと言えば楽が出来たが、そこまでの良さを考えると何とも興醒めだ。戻るように林道を辿り山頂へ向う。登山道は小さなコブにも忠実につけられていて、林道は西面をトラバースするようについていて平行している。同じくらいの高さのコブがいくつか続いている。3コ目くらいのつかまるロープから登るコブが山頂である。山頂には大きな山頂標識と登山者名簿がある。

 天候は快晴無風。大台ケ原は平らに、大峰は東にそれた大普賢岳と手前になる釈迦ヶ岳が鋭い大きな山塊だ。行仙岳、笠捨山周辺の崖地形も良くわかる。振り返れば熊野灘が明るく、烏帽子山が那智の山の中で一番南に槍のように尖っている。南東方向は木が茂っていて望めない。

参考文献
1)大坂わらじの会,南紀の谷,日本登山大系 第10巻 関西・中国・四国・九州の山,柏瀬祐之・岩崎元郎・小泉弘,白水社,1982.
2)仁井田好古,和歌山県神職取締所,紀伊続風土記 第3輯 牟婁 物産 古文書 神社考定,帝国地方行政学会出版部,1910.
3)玉岡憲明,熊野の名山 子ノ泊山,pp80-81,4,地名と風土,三省堂,1986.
4)平八州史,伝説の熊野(熊野文化シリーズ1),熊野文化協会,1973.
5)三重県南牟婁郡教育会,紀伊南牟婁郡誌 下巻,名著出版,1971.
6)山崎滝之助,南北牟婁郡図,山崎滝之助,1889.



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(2002年12月9日上梓 2003年1月22日写真挿入 2012年4月1日分割 2013年1月13日加筆)