那智山と熊野川の間の山。山名は山頂直下にある「帽子岩」に因むと言う。地元では「帽子岩」「帽子岩山」と呼び、「烏帽子」の名は1891(明治24)年の陸軍参謀本部発行の五万分一地形図に、そう記されてからと考えられると言う1)2)。
地元の新宮山の会では発会式をこの山の山頂で行い、会報の名もこの山に因むと言う。新日本百名山に和歌山県代表として選ばれている。以前は展望の無い山頂だったが、刈り分けられて高田や子の泊山、玉置山が望めるようになった。山頂から僅かに下れば新宮の街や勝浦の街をはじめとした海岸線や、周囲の那智妙法山や光が峰など、西方を除けば展望には恵まれている。
江戸時代の紀伊続風土記は、この帽子岩について役行者が護摩修行の時に天から降ってきたと言う説と、役行者が残した帽子が岩になったとの2つの説を伝承として伝える。
紀伊続風土記はこの山に帽子岩のほかに、護摩壇、瓶子岩、亀岩などがあると伝える。瓶子岩については南尾根にある蓋付きの徳利(瓶子)に似た巨岩がある。護摩壇はテリコの滝の上流左股の岩場のようだ6)。亀岩についてはどの岩のことかよく分からない。北尾根上には山頂直下に岩場があるが、それが亀岩だったのだろうか。どなたかご存知の方が居られたら御教授願えれば幸いである。
![]() 烏帽子山連山 右から烏帽子山、 見透堂(みとおしどう)、 大宝(おたから)山 太地町森浦から |
![]() 烏帽子山 新宮市高田から |
![]() 帽子岩 |
参考文献
1)二河良英,烏帽子山のことあれこれ,pp10-11,100,会報烏帽子,新宮山の会,1978.
2)二河良英,烏帽子山のことあれこれ,熊野の研究,二河良英,二河良英論文刊行会,1992.
3)新宮山の会,南紀の山と谷,新宮山の会,1977.
4)岩崎元郎,ぼくの新日本百名山(朝日文庫),朝日新聞社,2007.
5)仁井田好古,和歌山県神職取締所,紀伊続風土記 第3輯 牟婁 物産 古文書 神社考定,帝国地方行政学会出版部,1910.
6)二河良英,那智四十八滝について,pp37-42・p26,5,熊野誌,熊野文化会,1960.
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