安房歩道の位置の地図安房歩道(花之江河歩道)

 ヤクスギランドから屋久杉樹高第一位の「大和杉」を経て、石塚小屋に寄って花之江河に至る歩道。またの名を「花之江河歩道」、「安房登山道」とも言い、石塚小屋〜10km峠より下部は昭和47年の、国体登山競技の為に新しく拓かれた1)ものだという。競技でなく観光登山として歩くには疑問の多いルート取りで、地図上の起終点から考えられるより時間がかかり、疲労する道と言える。本来の安房歩道はトロッコ全盛の時代には安房川沿いのトロッコの終点(奥石塚沢の次の「終点の沢」但し小杉谷から徒歩)からの短い距離だが、安房の岳参りは宮之浦岳まで行かず太忠岳止まりだったそうで、旧安房歩道は岳参りの道が元になっているというわけではないのかも知れない。

 一時荒れていたようだが、近年整備されたようで道標の類は少ないけれど普通の「登山道」の体はなしていた。整備には地元のガイドの皆さんがあたっていると聞いている。感謝したい。

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★花之江河〜石塚小屋


花之江河から
みはらし岩下手までの地図

 下り記録である。花之江河の木道の一大交差点を後に東へ向う。すぐにテンバにも使えそうな広場が道の南脇にある。更にそのすぐ先で石垣と広場状の湿原のある花之江河小屋跡に達する。石造りの小屋は大雪の重さでつぶれたという。一帯はすっかり湿原になっていて、苔に埋もれた木道の上を水が流れている。水に触れずに歩く為に敷かれた木道が溝となって水が流れていると言うのは随分皮肉な自然だ。小屋跡の内側にも苔が茂り、杉の木が成長している。

 ここから道はやや湿った状態になり、浅い雨裂で雨の後は樋のように水が流れているが、マサが主体でぬかるんでいると言うほどの所は数箇所である。高さのある少々恐い丸木の一本橋で、きれいな沢を渡ると右手に展望が開け、対岸のボウズ岩、やや後方にトーフ岩(本高盤岳)などが見える。


花之江河小屋跡

石割水

丸木の一本橋

石塚小屋

 1694m標高点を回り込んで東斜面に入ると下降が始まり、はしごの所や、深い雨裂、倒木がひっくり返ってつながりが分かりにくい箇所もあるがそれほど問題はなかろう。ただ、細い丸木を斜面のトラバースや沢に渡しているところでは、丸太は苔むして滑りやすく危険なので、必要に応じて丸木から下りた方が良いと思う。

 川の上流も下流も大岩でさえぎられた、大岩の下から水が流れ出している沢が石塚小屋の最寄の水場として確実そうだ。ここを「石割水」と言うらしい。その後、それほど展望のない露岩の上を通ると平坦な台地の上となり、九州工業大の黄色い看板のある10km峠で天皇杉を経て小杉谷へ向う旧安房歩道の痕跡を分けて、次第に横に大きく枝を広げた広葉樹が多くなり、石塚小屋に到着する。小屋のすぐ手前の左の沢にも細々と水が流れていたが、いつでもあてに出来るという感じではなかった。緩やかな地形だったのである程度は下までズンズン下りていけそうではあったが。

 石塚小屋はブロック作りで情緒のない外観である。窓のガラスにはひびが多く入っている。好んでこんな山奥で窓を叩く輩もいないだろうに、風によるひびなのだろうか。小屋の中はきれいであった。


★石塚小屋〜ヤクスギランド


みはらし岩の下手から
ヤクスギランドまでの地図

 小屋の後方(下手)は強くヤブを払った形跡があった。作業にあたった地元のガイドさんたちなどに感謝したい。

 この後はヤクスギランドまで延々と細かいアップダウンが続き、なかなか標高が下がらない。消耗する。屋久島に限らず日本では昔の、原動機がない頃、生活の為の歩行の為に作られた道は、少しでも歩く負担が少ないように緩く等しい勾配で歩けるように地形を選び、ジグを切り、コブを巻き、山や峠を無理なく登るように作られているが、モーターライズ化された近代以降の新しい道作りではそうしたことが忘れられ、無駄に疲れる道がまま見られる。安房歩道の10km峠より下部も残念ながらそうした道と言えそうである。

 上の地図では石塚小屋から「みはらし岩」の間に二ヶ所「水」と書いたが、水場になるような沢は他にもあった。展望はないがどこもきれいだ。一部に道の上が、深い水溜りに杉の落枝が積もってぬかっていて不潔な感じがすることもあるが、その水の流れ出た水流でもきれいで、思わず掬って飲みたくなる。

 みはらし岩は下が岩屋になっていて、木の根や黒く太い比較的新しいロープをつかんで岩の上によじ登ると、奥岳が西側にバーンと広がるはずだ・・・。私が着いた時は西から雲が湧いて黒味岳と思われるピークがガスに飲まれた直後で、一番南(左)の本高盤岳しか見えなかったが、晴れたら投石岳から宮之浦岳までの連なりの見える素晴らしい展望台であろう。また行ってみたい。


丸い
苔むした岩

後ろの子供とも
言うべき岩

 左写真は、みはらし岩の少し先の道の左側の沢にまんまるな岩があったので写真に撮ってみたもの。丸い岩の後ろには子供とも言うべきもうひとつの丸い岩があった。どこから転がってきたかも知れない不思議な岩だ。

 1599m標高点を過ぎて標高が1500mを下回ると木々が大きくなり雰囲気の良いヤクスギの森が広がり始める。

 道は大きくU字を描いて荒川支流「ビャクシン沢」渡渉点に下り立つ。尾之間歩道の鯛ノ川渡渉点ほど大きな沢でなく、平水なら一跨ぎである。ロープが張られている。周辺の地形は、あえてU字を描くべきな厳しい地形というわけではないように見えるのだが、なぜこのようななルートになったのか判らない。


三穂野杉?

安房川渡渉点

 渡渉点のすぐ下流は、苔の緑を映した小さな淵で結んで浅く広いナメ床になっており、非常に美しい。

 安房川を渡って60mほど登って再び尾根の上に出、アップダウンの続く道を歩いていく。無名のヤクスギが次々と現れる。高い木の梢まで苔むしきった苔の天下だ。「無名の」と書いてしまったが、地元では標識をつけてなくても識別用に結構名前を付けているらしい。幾つか現れたヤクスギの中で、周囲に全く木のない左手の開けた谷間に特に大きな一本の屋久杉があった。これが名前は聞いたことがあり、どこかの地図で見たもののどの地図で見たか思い出せない「三穂野杉」でなかったかと思う。地元鹿児島県の登山家・三穂野善則氏を記念したものだろうか。ただ、刈り払ったような周囲に他の木がない状態はやや不自然で、乾燥などの問題はないのかなと思った。


大和杉

 大和杉は国土地理院の地形図に書いてある地点とは違う地点に立っているようだ。安房歩道から30mほど離れた谷間に生えており、よく整備された階段で下りて近付く。縄文杉や紀元杉、万代杉に比べるとすらっとしており、育ちの良さを感じさせるヤクスギだ。

 なおも次々と無名のヤクスギは現れるものの、越えるべきアップダウンも延々と現れる。ホトホト疲れきった頃、ヤクスギランドの150分コースに階段を下りて合流する。太忠岳・花折岳の姿が木の間越しに眺められる。

 整備されたヤクスギランド内でも150分コースは30分、50分コースに比べると荒れていて、普通の「登山道」程度の歩きにくさではある。シューズなら行けるがサンダルなどでは無理がありそうだ。



安房歩道上の
九工大の看板

★天皇杉?
歩行日・・・2005年10月6日
参考時間・・・10km峠-0:35-天皇杉

 10km峠には、九州工業大学ワンゲル部の遭難碑が旧安房歩道上にあるが道は荒れている旨を表記した黄色い看板がある。昭文社の山と高原地図(2004)に「天皇杉」の名が旧安房歩道上10km峠から下約650mの位置に記されているので、行って見てくることにした。

 黄色い看板の年記は1981年となっており、その頃は遭難碑での慰霊などで、道も遭難碑までは整備されていたのではないかと考えた。しかしこの辺りかと予想して入った辺りまでの途中には遭難碑は見つけられなかった。

 旧安房歩道は看板を後にすると、すぐ杉などが茂りかなり不明瞭であるが、足元は一部苔が生い茂った部分を除いて比較的明瞭に残っている。時折、桟道のほか擬木の丸木で作られた近代的な(?)階段も見られる。木の枝やサルトリイバラの蔓が胸の高さ辺りを頻繁に横断しているので殆ど腰を屈めながら進む。時折、古い白いビニールテープが目印として結んであるが、かなり黒ずんで風景と一体化して、あてにならない。

 道自体は山の中腹を徐々にトラバースしながら下がっていく昔ながらと思われる歩きやすいコース取りで、旧安房歩道がトロッコが開通したから奥岳への最短ルートとして開削された全くの新しいルートではなく、安房の岳参りが太忠岳どまりだったにせよ、道自体は岳参りと関係なく木材の搬出などの目的で昔からあったのではないかと感じられた(YNAC小原氏のご意見もあり)。

 15分ほど下りていくと小さな沢を小さな滝壷の縁を歩いて渡る。遠崎史朗著「屋久島連峰」の中で「清澄小滝(清澄小谷とも)」とされる滝である。滝壺は古い銭湯の浴槽ほどの広さの浅い滝壷で、滝は非常に小さく、ちょうど風呂場の吐水口のような姿をしていた。これを赤星昌編「屋久島」にもある「こけ風呂」と早とちりした。後で確認すると「屋久島」では「小滝沢」と書かれていた。

 「苔風呂」の名は現在発行されている地図類にはその名がない。昭文社山と高原地図(2004)では苔風呂と同じと思われる地点に「鏡明水」と書かれている。「屋久島連峰」によると天皇杉と清澄小滝(清澄小谷)の間に上からコケ風呂、鏡明水とあるが、水場になりそうな流れはよく分からなかった。

 清澄小滝の先で何度か桟道の壊れかけた岩場を渡って進んで行くと、左下手に大きな堂々とした木が見え、これが天皇杉であろうと思った。事前に昭文社の地図の位置から採ってきたウェイポイントともほぼ一致した。旧安房歩道から10mほど谷側に離れている。だが、苔風呂・鏡明水を確認できなかったので、ここが天皇杉だと今ひとつ確信が持てない。

 ぐるりと周りを歩いてみると、どうやらこの本体である屋久杉は既に枯死しているようだった。その空洞になった幹の内部から新しい(と言っても既に太い)杉が直立してこの杉のメインを為し、枯死した部分には多くの着生が付き、太いヤマグルマもまとわり付いて、全体で堂々とした樹形を形成していた。

(補記2009年8月)
掲示板を通してabsentさんからご意見をいただいた。この木は天皇杉ではなかったようだ。以下転載。

[70] 天皇杉 absent   2009年8月17日23時20分
 通りすがりの者ですが、何処に書いていいのかわからないので、こちらに寄せてもらいました。
屋久島資料室、なかなか面白いですね。さっき気づいたのですが、こちらに載っている「天皇杉」は間違いです。天皇杉は今でも元気に生きています。その少し手前には水場も湧いています。私は3回行きましたが、年々わかりにくくなっています。今年も行きました。数年前剪定鋏で薮刈りしたことがありますが、以前より酷くなってました。行ったことがあるのに途中何度か???となってしまうくらいです。

[74] 天皇杉へ absent   2009年8月21日22時38分
 天皇杉の位置は、昭文社の地図より遠いような気がします。感覚的に。水が流れている支流は3度渡ります。全体的には本流とパラレルですが、本流に向かってかなり下る箇所が2度ほど。しかし本流まで行ってしまったら行き過ぎです。九工大の黄色いプレートに(割れて落ちている)「天皇杉」と書かれているので分かります。
(以下略 ありがとうございました 以下の文章をこの情報に基づいて書き直しました)

 「屋久島連峰」では天皇杉は「天王杉」と、著者が命名したように書かれている。図ではその位置は伐採限界に位置している。私が見てきた限りでは、この杉の周辺では急に細い木が増えた印象であったが、どうやらもう少し下だったようだ。「直径2m程度」と「屋久島」に書かれる姿はほぼ一致はしていたが。もう一度、苔風呂や、湧水で看板があったという鏡明水も含めて確認しに行きたい。

 鹿鳴峰の位置は、上にあげた1年しか違わない二冊の本の中で一致していない。「屋久島連峰」では旧安房歩道と安房歩道の分岐である10km峠の所に「鹿鳴峰」とある。「屋久島」では安房川南沢左岸の投石岳から延びる尾根に「鹿鳴峰」とある。1960年代にははっきりと言える人が少なくなっていたのではないかと考えてみる。


小滝沢
或いは清澄小滝(清澄小谷)

危ないかと言われれば
危ない箇所もある

天皇杉ではなかった

参考文献
1)吉川満,鹿児島県の山歩き,葦書房,1991.
2)遠崎史朗,海上アルプス 屋久島連峰,雲井書店,1967.
3)赤星昌,屋久島,茗渓堂,1968.
4)太田五雄,屋久島 宮之浦岳(山と高原地図59),昭文社,(2004).



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(2003年12月19日上梓 2005年10月19日天皇杉関連追加 2009年7月19日苔風呂修正 2009年8月27日absentさんの意見を頂き補記・修正 2021年11月12日地図書き直し・改訂)