太忠岳の位置の地図

ヤクスギランド入口から
太忠岳 (1497m)
たちゅうだけ
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     ( B)

 「たっちゅうだけ」と聞こえることがある。安房の町からその山頂に立つ天柱石を指呼することが出来る。原・麦生・安房・船行の岳参りの山だという。立石権現とも呼ばれたと言う。安房の町から仰ぎ見る太忠岳は「グッジョブ!」という言葉の似合う、親指を立てた拳のようだ。「メンヒルの太忠岳」とも言われる(メンヒルは「人工の」巨石記念物の意で用いられたようである。ブルトン語で「立石(長い・石)」の意だという)。天柱石の天柱も「たちゅう」と読むことがあったようだ。三国名勝図会は「天柱石」の「天柱」に「タチウ」と振り仮名を振る。天柱石は「天長石」や「天頂石」ともされる。宮之浦岳登山や縄文杉往復よりは楽に登れることから、初めて屋久島に来た旅行者がそこそこ登っている。


太忠岳の地図 ヤクスギランド入口で入園協力金300円を払って、出身県を申告して登山は始まる。屋久島でうるさく言われる登山届の提出は、太忠岳の場合は要らないようだ。くぐり栂をくぐって、木道以上のものであるランド内の歩道を行く。しかし、50分コースを離れ、小花遊歩道(150分コース)に入ると木道の類は少なくなる。分岐では全て右に曲がるようにしていれば太忠岳方面に至る。吊橋で渡る荒川(上流は淀川)の流れは山奥とは思えないほど太く、これが増水することがあるのかと思うと恐ろしい。

 近年命名の屋久杉「ひげ長老」を右に見て、倒れてしまった蛇紋杉に達すると、湿ったあずまやと説明の看板がある。ここまで登っただけでも一汗だ。ここから太忠岳登山道になる。

 道はしばらく緩やかに登るが一旦下がる。切り口の散乱した森だが、残された巨樹はすっくと立ちすがすがしい。これらの屋久杉にも「小田杉」など名前があるものもあるようだが、あまり普及していないらしく、標識もないので自分にはどれがどれやらよく分からない。でも名前が分からなくても素晴らしいものは素晴らしい。江戸時代天文年間に伐採された跡に再生したと言われる「天文の森」の看板を過ぎると再び鬱蒼とした森になり、きれいな小沢を梯子の橋で渡る。一帯は苔が非常に多く、目の中が緑に染まりそうだ。小沢を渡る橋の向こう側にすっきりした屋久杉が一本ある。釈迦杉である。


天柱石

テラス(おかさ岩)
から見た
天柱石
(米粒様姿の裏側)

 一登りで左から沢音が聞え、最終水場の沢が道に寄るが渡りはしない。水場の上では樹林が開け、明るい中を登っていく。晴れていればそこそこの展望の得られる所だろう。森の木々は庭園のようだ。途中、道は下が岩屋状になった大岩に突き当たり、右によけて登っていく。この岩は特に名前はないらしいが、他のサイトで「涼風岩」などと呼んでいて、確かに樹冠に覆われた地表にあって森の外の風をビル風のように呼ぶこの岩の下は風通しがよく、そろそろ一休みしたくなる位置にもあり、悪くない呼び名のような気がする。

 更に左寄りにもう一登りで道はトラバース気味にやや平坦になる。太忠岳直下を迂回している部分である。部分的に倒木で歩きづらい。尾根に上がりきった所は平坦な広場で、ここを石塚別れと言い、左に花折岳方面への弱い踏み跡があるが、ロープで通せんぼしてあった。花折岳方面へはこちらの道から見えないところまで行くと、目印のテープがついていた。

 太忠岳へは右へ銀色の梯子を登って行く。一旦大きく下って、登り返す。もしかしたら石塚別れの標高の方が太忠岳より高いかもしれない。岩のトンネルをくぐり、大岩を左からロープを伝って巻いていくとまもなくシャクナゲの大木が現れ出し山頂である。天柱石が木の間越しに見えたら、まず右の手前の露岩のピークに登ると米粒のような天柱石をすっきり見ることが出来る(右写真)。奥岳の山々は花折岳が邪魔して見えない。白谷雲水峡のビュースポット「太鼓岩」も見えるが、ここよりずいぶん低い所だ。

 この露岩のピークが登りうる最高点なので、ここで弁当にしても良いと思われるが、もっと天柱石のそばにも寄れるし、一周も出来る。左回りにすると尾立ダム方面に下りる昔の登山道に引っ張られがちになるので、右回りの方が良いだろう。

 天柱石の右側に降りていくように道は続いており、下りきる直前に黒く太いロープがかけてあって、天柱石の1/4ほどの高さのテラスの上に出られる。ここは広く平坦でやはり弁当を広げるに良い。テラスの岩と天柱石本体の間にはわずかなすき間があって、ここにものを落とすと拾うのはまず不可能だ。安房の町、愛子岳がよく見える。テラスから天柱石のてっぺんまではもう古くなったボルトが連打されているのが見える。こことて人間の未踏峰ではない。このテラスの岩には「おかさ岩」と言う名前があった10)ようである。

 テラスを下りて、登り口と反対側にさらに周りこんで天柱石の付け根の上方の岩が屋根のようにかぶさっている箇所には岳参りの祠があった。「船行村」と書かれていた。


天文の森

天文の森の釈迦杉

太忠岳中腹の森

天文の森 釈迦杉の下の沢

★山名考

 太忠岳の名は明暦頃の作成と見られる屋久島大絵図に「たちう嶽」とあるのが古いようである。

 安房の旧表記の粟穂で、「粟穂岳」ともされたという。昭和10年頃と比較的新しく名づけられた奥岳の一角の安房岳(1847m)の名は、粟穂と安房が被るので適切ではなかったのかも知れないと思う。

 剣のような天柱石のある峰として「太刀・峰(たち・を)」であったか、或は天柱石の立った「立ち峰(たちを)」であったかと、当初は考えていたが、北面の沢が太忠谷/太忠沢であることで、考え直している。山の名が川の名になるより、川の名が山の名になることの方が多いからである。

 また、天柱/天頂などと、太忠の字音が近いことからも、「太忠」が「太刀峰」や「立ち峰」のように、「たち」で切りようがない言葉からは成っていないのではないかという気がしてきた。「てん」の「ん」は「の」の約まったもので、「『た/て』の『ちゅう/ちょう』」が天柱/天頂であり、「『た/て』『ちゅう/ちょう』」が太忠のような気がしてきた。

 太忠谷/太忠沢のランドマークを考えてみる。

 安房川への落ち口付近を地形図に見るが、特徴があるように思えない。縄文杉から帰る時に森林軌道の橋を渡ったが、屋久島らしく大きな岩が多かった位しか印象が無い。溯行は初級とされ、目立つ滝も無いようである。

 前半の「た/て」を「撓(たわ)」かと考えて見ると、右岸のジトンジ岳の南側に顕著な鞍部がある。左岸にも鞍部へ続く谷筋がある。右岸の鞍部を下がって荒川の対岸の谷筋の先にも鞍部があり、森林軌道が出来る前の安房方面から小杉谷方面へ入る道があったかと考えてみたが、鞍部を繋いで横断するという条件は荒川と同じであり、太忠谷だけが「撓」と関連づけられるとは考えにくい。

 また、太忠谷源頭は鞍部になっていない。

 太忠谷の中ほどに細長い尾根が両股に挟まれて続いているのが見て取れる。1.5kmほど続くのは中々長いかと思われる。この中尾根が「たり/たれ(垂)・を(尾)」で、屋久島方言でr が落ちて「た/て」まで約まったかと考えてみる。

 或いは一つの谷筋に二つの沢筋がまとめて入っていることから、「たば(束)」の転訛が「た/て」で、「たばね(束ね)」か「束の」の転訛が「てん」かとも考えてみる。

 後半の「ちゅう/ちょう」について考える。「た/て」で谷の中に尾根が続いていることか、沢筋/谷筋のあり方を言い表したと考えるので、谷筋か沢筋を指す言葉の転訛でないかと考える。

 「つる」の、r の落ちた「つう」ではないかという気がする。地名用語語源辞典の「つる」の項に「細長く曲った所。川沿いの地に多い。」とあるのが該当するのではないかと思う。「つる」は九州に多いようである。植物の「蔓」も同じようである。


太忠谷(太忠沢)中ほどの地図

 だが、「川沿いの細長く曲がった所」の意になりそうな言葉を、国語辞典や方言辞典等に見ていない。尾根筋を「つる」と呼ぶ地方があるのは国語辞典で確認できる。「つるね」でも尾根筋を指すことがあり、「つる嶺」かと考えると、「つる」は「細長く続いていること」であり、谷筋でも細長く続いていれば「つる」ということもあったのか。

 国語辞典等に確認できる範囲で考えるとして、太忠谷の中の細尾根が山からぶら下がって細く続いている「たれ(垂)・つる」であり、r が落ちることがある屋久島の方言で「たえ・つう」となり、更に約まって訛ったのが「太忠」で、「たえ・の・つう」が「天柱」等で、「たえ・つう」のある谷/沢が太忠谷/太忠沢で、「たえ・の・つう・の谷/沢」の源頭の石と言うことで天柱石/天頂石/天長石ではなかったかと考えておく。三音節の「たれを」が「た/て」の一音節まで約まると考えるより、「たれ」の二音節の方が考えやすそうではある。或いは「垂れる・つる」の一つ目の「る」が「ん」となったかとも考えてみる。

参考文献
1)村松昭,屋久島散策絵図(散策絵図シリーズ1),アトリエ77,1995.
2)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第2巻 村落誌 中,屋久町教育委員会,1995.
3)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第2巻 村落誌 下,屋久町教育委員会,2003.
4)五代秀尭・橋口兼柄,三国名勝図会 50巻,山本盛秀,1905.
5)加藤数功,屋久島の山岳,pp43-52,1,九州山岳,朋文堂,1936.
6)寺澤芳雄,英語語源辞典,研究社,1997.
7)遠崎史朗,海上アルプス 屋久島連峰,雲井書店,1967.
8)三穂野善則,山岳,屋久島,赤星昌,茗渓堂,1968.
9)太田五雄,屋久島の山岳,八重岳書房,1997.
10)山本秀雄,文献資料紹介16「下屋久村郷土誌」,pp74-83,16,生命の島,屋久島産業文化研究所,1990.
11)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
12)楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
13)上村孝二,屋久島方言の研究 ―音声の部―,日本列島方言叢書27 九州方言考5 鹿児島県,井上史雄・篠崎晃一・小林隆・大西拓一郎,ゆまに書房,1999.
14)小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第9巻 ちゆうひ〜とん,小学館,2001.



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(2003年12月23日上梓 2004年5月5日写真挿入 2017年8月2日山名考追加)