ヤクスギランド入口から
太忠岳 (1497m)
たちゅうだけ
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     ( B)

 「たっちゅうだけ」と聞こえることがある。安房の町からその山頂に立つ天柱石を指呼することが出来る。安房の岳参りの山(前岳)だったという。船行の岳参りの石祠があった。立石権現とも呼ばれたと言う。安房の町から仰ぎ見る太忠岳は「グッジョブ!」という言葉の似合う、親指を立てた拳のようだが「拝み石」とも呼ばれたと言う。「メンヒルの太忠岳」とも言われる。「メンヒル」とはケルト語で「長い石」を意味するそうだ。天柱石の天柱も「たちゅう」と読むようだ。三国名勝図会は「天柱石」の「天柱」に「タチウ」と振り仮名を振る。剣のような天柱石のある峰として「太刀・峰(たち・を)」であったか、或はもっとシンプルに天柱石の立った「立ち峰(たちを)」であったか。宮之浦岳登山や縄文杉往復よりは楽に登れることから、初めて屋久島に来た旅行者がそこそこ登っている。


歩行日・・・2003年11月29日、2004年4月28日
五万図・・・「屋久島東南部」
アプローチ・・・安房から登山口となるヤクスギランドまでバスが1日2往復。しかし1便で登って2便で下山するのは、人によってはギリギリだろう。
参考時間・・・ヤクスギランド入口-0:30-蛇紋杉-1:20-太忠岳


たちゅうだけのちず ヤクスギランド入口で入園協力金300円を払って、出身県を申告して登山は始まる。屋久島でうるさく言われる登山届の提出は、太忠岳の場合はいらないようだ。くぐり栂をくぐって、木道以上のものであるランド内の歩道を行く。しかし、50分コースを離れ、小花遊歩道(150分コース)に入ると木道の類は少なくなる。分岐では全て右に曲がるようにしていれば太忠岳方面に至る。吊橋で渡る荒川(上流は淀川)の流れは山奥とは思えないほど太く、これが増水することがあるのかと思うと恐ろしい。

 近年命名の屋久杉「ひげ長老」を右に見て、倒れてしまった蛇紋杉に達すると、湿ったあずまやと説明の看板がある。ここまで登っただけでも一汗だ。ここから太忠岳登山道になる。

 道はしばらく緩やかに登るが一旦下がる。切り口の散乱した森だが、残された巨樹はすっくと立ちすがすがしい。これらの屋久杉にも「小田杉」など名前があるものもあるようだが、あまり普及していないらしく、標識もないので自分にはどれがどれやらよく分からない。でも名前が分からなくたって素晴らしいものは素晴らしい。江戸時代天文年間に伐採された跡に再生したと言われる「天文の森」の看板を過ぎると再び鬱蒼とした森になり、きれいな小沢を梯子の橋で渡る。一帯は苔が非常に多く、目の中が緑に染まりそうだ。小沢を渡る橋の向こう側にすっきりした屋久杉が一本ある。釈迦杉である。


天柱石

 一登りで左から沢音が聞え、最終水場の沢が道に寄り添うが渡りはしない。水場の上では樹林が開け、明るい中を登っていく。晴れていればそこそこの展望の得られる所だろう。森の木々は庭園のようだ。途中、道は下が岩屋状になった大岩に突き当たり、右によけて登っていく。この岩は特に名前はないらしいが、他のサイトでは「涼風岩」などと呼んでいて、確かに樹冠に覆われた地表にあって森の外の風をビル風のように呼ぶこの岩の下は風通しがよく、そろそろ一休みしたくなる位置にもあり、この名は定着しそうな気がする。

 更に左寄りにもう一登りで道はトラバース気味にやや平坦になる。太忠岳直下を迂回している部分である。部分的に倒木で歩きづらい。尾根に上がりきった所は平坦な広場で、ここを石塚別れと言い、左に花折岳方面への弱い踏み跡があるが、ロープで通せんぼしてある。花折岳方面へはこちらの道から見えないところまで行くと目印のテープがついていた。


テラス(おかさ岩)から見た
天柱石
(米粒様姿の裏側)

 太忠岳へは右へ銀色の梯子を登って行く。一旦大きく下って、登り返す。もしかしたら石塚別れの標高の方が太忠岳より高いかもしれない。岩のトンネルをくぐり、大岩を左からロープを伝って巻いていくとまもなくシャクナゲの大木が現れ出し山頂である。天柱石が木の間越しに見えたら、まず右の手前の露岩のピークに登ると米粒のような天柱石をすっきり見ることが出来る(右写真)。奥岳の山々は花折岳が邪魔して見えない。白谷雲水峡のビュースポット「太鼓岩」も見えるがここよりずいぶん低い所だ。

 この露岩のピークが登りうる最高点なので、ここで弁当にしても良いと思われるが、もっと天柱石のそばにも寄れるし、一周も出来る。左回りにすると尾立ダム方面に下りる昔の登山道に引っ張られがちになるので、右回りの方が良いだろう。

 天柱石の右側に降りていくように道は続いており、下りきる直前に黒く太いロープがかけてあって、天柱石の1/4ほどの高さのテラスの上に出られる。ここは広く平坦でやはり弁当を広げるに良い。テラスの岩と天柱石本体の間にはわずかなすき間があって、ここにものを落とすと拾うのはまず不可能だ。安房の町、愛子岳がよく見える。テラスから天柱石のてっぺんまではもう古くなったボルトが連打されているのが見える。こことて人間の未踏峰ではない。このテラスの岩には「おかさ岩」と言う名前があった1)と言う。

 テラスを下りて、登り口と反対側にさらに周りこんで天柱石の付け根の上方の岩が屋根のようにかぶさっている箇所には岳参りの祠がある。「船行村」と書かれていた。

参考文献
1)山本秀雄,文献資料紹介16「下屋久村郷土誌」,生命の島,16,pp74-83,屋久島産業文化研究所,1990.


天文の森

天文の森の釈迦杉

太忠岳中腹の森

天文の森 釈迦杉の下の沢


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(2003年12月23日上梓 2004年5月5日写真挿入)