尾之間歩道の位置の地図尾之間歩道〜蛇之口ハイキングコース(屋久島)

 淀川登山口から途中鯛之川を渡って尾之間集落に至るこの道は、取り立てて目立ったピークに登ることはないが、屋久島の置かれているいろいろな面を見ることが出来る。また、林道に置き換わった部分が全くなく、人里から山中まで森の中を歩ける。永田歩道から永田岳、宮之浦岳を経て淀川小屋からこの道を尾之間まで歩くと、全て歩道で屋久島を縦断したと言う感じになる。本来は淀川登山口から花之江河までも尾之間歩道に入る。下りで歩いてみた。

尾之間歩道の地図1
尾之間歩道の地図2
尾之間歩道の地図3
  • 歩行日・・2003年4月10日、2003年12月1日(尾之間〜蛇之口滝)、2004年4月24日(淀川口〜のりこし)
  • 五万図・・「屋久島東南部」
  • アプローチ・・紀元杉まで安房からバスが1日2往復

★淀川口〜水系の変わる所

笹川杉
笹川杉

 登山口は宮之浦岳と同じ淀川口。但し方向が反対のトイレの横から山に入る。すぐ(3歩くらい)に右に入る枝道があり、右に入ると一分ほどでヤクスギがある。通称「笹川杉」で競艇の笹川会長が自分の名前をつけたそうな(「正式」名称は「世界一笹川杉」。正式なんてそんなもんなんですな)。ずんぐりしているが結構立派で、元気である。後方に小さな試し切りの跡がある。この先、ノンキ岳尾根を辿ることになるが細かい各ピークは巻いていく。しかし巻いていくわりにはアップダウンがある道だ。ヤブなどは十分払われていて、大きな倒木を除けば迷うような心配はなさそうだ。

白骨林
鯛の川左岸の森は白骨林

 杉の白骨林が多いが、何となく病的な感じがする。ノンキ岳(乃木岳)は山頂を通らない。地図上のどのピークがノンキ岳かもはっきりしない。尾根上の最後のピークの東の肩で展望がある。肩からは北方の太忠岳、石塚山、御船岳(翁岳)、南方の割石岳などがよく見える。割石岳は里から見えるような露岩の多い姿ではなく、樹林にすっかり覆われた特徴のない姿である。

 最後のピークを後に鯛之川に下りていく辺りが、最も荒れている気がする。伐採をやりかけでやめた様な風景が広がる。やりかけにしては切り過ぎているような気もする。このような状態でもいつかは屋久杉林に戻ることがあるのだろうか。それとも植林するのだろうか。屋久島の他の歩道では持たない印象である。多くの木が枯れているのには台風によって巻き上げられた海水による塩害などの説があるようだ。

 宮之浦岳への淀川登山口の林道のすぐ先はチェーンが張られていて自動車は入れないけれど、少し歩いてみると杉の人工林となっている。紀元杉や川上杉の車道から所々で南へ分岐しているチェーンが張られている砂利道に少し入ってみると、見えない所でこれほど標高の高い所でも皆伐されているのが見えたりする。車の通る紀元杉への林道のすぐ裏の、尾根に隠れて見えない所がそんなことになっている。

倒木
渡渉点上部の病的な(?)森

 ノンキ尾根の最終鞍部で道はT字路になっていて、左へは不明瞭だが目印テープが奥に続いていた。国土地理院の地図に記載されているヤクスギランドからの短縮路だろう。尾之間歩道は右である。

 沢まで下りて、更に沢沿いを行くと鯛之川渡渉点に達する。川幅は太く、流路は直線的で増水したらまず渡れまいと言うものだ。この時は60時間前に雨があったが、増水という状況ではなく飛び石で靴は濡れるが足の甲までの水量もなかった。水が少なくても石の乾いた完全な飛び石になっているとは限らないので、ストックがあれば気分的に良いと思われる。


鯛の川渡渉点の様子

 100mほど登り返すと「小さな乗っ越し」と言う風情の切通しのような所を抜け、更に平坦に流れている鯛之川支流の小川を渡って鈴川の水系に入る。道の西側に「ここはのりこし」と書かれた小さな看板があった。最後の峠に当たる部分にはテン場に使えそうな広い更地がある。水は鈴川側でも鯛之川側でもすぐ下にある。


★鈴川水系へ

 鈴川の水系(右股はマサキ川というらしい)に入ると、杉が格段に見られなくなる。南向きの鈴川の谷は屋久島でもとりわけ暖かいのであろう。道は左岸から右岸に移り、もう一度左岸に移る。あとはずっと、左岸の流れから離れた高いところをトラバースしながら標高を下げていく。五万図でも現在位置確認はたやすい。

 標高が下がってくるとツル性の植物が加わったりして、植生の垂直分布を感じることが出来る。

 尾之間歩道で特筆すべきは石畳の存在である。鈴川の水系に入ってからしばらくは石畳がある。旧東海道のような、ばっちりと敷き詰められたものではないが、屋久島を含む日本のような雨の多いところでは、丸太による階段を組んだり、土がそのまま露出したままの道より、石畳は適度に水が抜けて洗掘されないので、環境の負担が少ないと言われている。目の荒い屋久島の花崗岩は苔むしても滑らず歩き易い。石畳は全区間にあるわけではないが、尾之間歩道の下の方まで点在している。屋久島の石畳と言うと宮之浦歩道の存在が知られており写真で見ていたが、尾之間歩道のものはそれほどは立派なものではない。必要最低限の幅の石畳といった感じである。それとも幅が細いのは尾之間歩道があまり使われなくなって崩れつつある姿なのだろうか。

蛇之口滝
蛇之口滝下部

 更に標高が下がり800m以下になると落ち葉による土壌形成が勝るのか、全体的に乾いた感じになってくる。右手には木の間越しに、蛇ノ口滝の「屋久島最大の滝」の姿をうっすらと見ることが出来る。木の間越しは隔靴掻痒の感があるが致し方ない。称名滝や那智滝のように奥まった所に位置するのではなく、急な一枚の斜面の木を剥ぎ取って水を流しているような感じだ。直瀑でなく急な滑滝で動きがあり、個人的な印象だが那智の滝や華厳の滝より大きそうな気がする。

 蛇之口滝の名の「じゃのくち」とは、斜面の表土が抜け落ちた「ジャ抜け」の処(と)である蛇之口滝の上の方の姿を言った、「ジャヌケ・ト」の転訛でないかと考える。抜けたジャ(表土などの土砂)は既に大量の雨で流されてしまっているのかも知れないとも考えてみる。

 江戸時代前期の屋久島大絵図に、蛇之口滝より奥にある、滝としては少し小さい矢玉ノ滝らしき「やさまのひら」が書かれている。「やさまのひら」の下手の二股の所に「行廻」とあるのが、蛇之口滝のことではないかと考えてみる。

 「行廻」は「いきまわし」或いは「ゆきまわし」という音のつもりで書かれたもので、「いきまわし」或いは「ゆきまわし」とは土砂が蛇之口滝上方の斜面をを滑り落ちて間が無く、滝壺の辺りにドロドロに堆積していた頃に、水の少ない蛇之口滝前面の岩を指して付けられた「ウキ(泥)・ウメ(埋)・イシ(石)」の訛音ではなかったかという気がする。


★蛇ノ口ハイキングコースとなって


オオタニワタリの新緑
妖精のようだ

 尾根の末端まで下りると東屋があり、T字路になっていて上流に行くと15分ほどで蛇之口滝の下に出る。クワズイモやヘゴ、オオタニワタリが見られ、いよいよ南国のムードが漂ってくる。蛇之口滝は下からは1/4しか見えず、明るくて良いのだが幅広で分散しすぎて落ちている水が少なく見えて少しがっかりする。滝見なら雨の後が良いのかもしれない。川沿いにはカンツワブキが多い。リュウビンタイの壮大さには恐竜時代を思い感激する。蘭などが咲く時期はまた格別であろう。

 もう「ハイキングコース」なので植物の名の解説板が設けられ、時折ベンチもあるが、幾つかのベンチは濡れていて座るのがはばかられる感じだった。岩清水のシャワーのかかるベンチもあった。解説板は幾つもの常緑樹の名について教えてくれるが、葉の付き方の描き方が皆同じようで分かりにくかった。

 岩が花崗岩から滑りやすい堆積岩に変わる。屋久島は堆積岩の熊毛層群を花崗岩が突き破って山になっているところなのだ。堆積岩は花崗岩の熱の変成を受けたホルンフェルスになっていてカチンカチンに硬くなっている。黒いツルツルした石同士を叩いてみれば実感できる。花崗岩の熱で焼きなましを受けている。

 沢からすっかり離れるようになると、それまでの南洋のような森の姿はひそみ、「大和は国のまほろば」を感じるようになる。照葉樹林は関西辺りの野山と同じ植生に属し、日本文化の背骨となる風土であることを感じる。更に下ると時折コシダの茂った空き地が見られるようになる。一旦開拓に入ったが離農した跡だろうか。最後は真っ暗なビロウの畑のような中を歩き、一回だけある分岐を右に入り、尾之間温泉の建物の脇に下山する。温泉から尾之間の中央へは狭い路地で昔の屋久島を少し感じる。尾之間集落に入っても歩道が続いているような気分だ。尾之間温泉は熱いが良い温泉だ。


ビロウのヤブ

 蛇之口滝までの道は確かにハイキングクラスでよく整備されているが、ハイキングと言うには標識が少ないかもしれない。

 「一回だけあった分岐」はもしかしたら割石岳、耳岳への昔の登山道の跡だったかも知れない。はっきりとした道だった。GPSでマークなどしてこなかったが、感覚的にその分岐の位置に近い気がする。その登山道は割石岳の南南西の尾根上に伸び、途中から南面をトラバースし、耳岳と割石岳の鞍部に達し、鞍部から両峰へ道があったということだ。

 尾之間の岳参りは山口登山道(二又川の右岸からの道)が使われていたが、大正末頃から鈴川沿いの尾之間歩道が開設されたので、尾之間歩道を使うようになったという。分岐の道が割石岳への道であったとしたら、大正末以降のものであったか。

参考文献
太田五雄,屋久島の山岳,八重岳書房,1997.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.



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(2003年4月20日上梓 2008年4月4日地図挿入 2017年8月3日改訂)