大峰山脈の位置の地図大峰山 南奥駈道
(岩ノ口〜熊野本宮)

 何年か掛けて小刻みに大峰山脈の全山縦走をチビチビと目指している。南奥駈は低山に入ってしまうのかもしれないけれど、なかなか味のある山域だと思う。当頁は岩の口より南の記録だが、南奥駈道は岩ノ口から南と言う定義と言うわけではなく、釈迦ヶ岳辺りより南を言うらしい。

他の南奥駈道(佐田辻〜持経宿)のページ(サイト内ジャンプ)


★玉置山登山口バス停〜玉置山〜水呑宿
参考時間・・・玉置山登山口バス停-2:00-玉置山-0:20-本宮辻-0:40-水呑宿

 奈良交通バスと十津川村営バスの乗り換え地点である滝バス停から30分ほど十津川村営のマイクロバスに揺られ、玉置山登山口バス停で下車。少し稜線から東へ下りた地点のバス停で、10mほど峠側に戻ると登山口があるが、入口は荒れた雰囲気だ。杉の切り株の散乱する切り開かれた急斜面を少し登ると山腹をトラバースする広い歩道に突き当たる。地図にはない道だが、右は葛川の集落に直接つながっているのではないかと思う。

 左に入る。しばらくは山腹の杉林が伐られていて上葛川集落などがよく見える。道は広く傾斜もほどほどで歩きやすい。しばらくして杉の植林の中に入るが照葉樹の森の部分もある。大きな岩を山側に見るとすぐに岩ノ口。この大きな岩にも岩ノ口の標識のある別の大岩にも札が積んである。前回(7年前)、ここを歩いた時にはなかった「世界遺産」の文字のある新しい標識に時代の流れを感じた。岩ノ口は「ぐものくち」と読む1)。「蜘蛛の口」とも書くようだが、どのようないわれがあるのだろうか。


登山口の様子

登り始めて視界が開ける

振り返れば上葛川の集落が見える

クモの岩

 岩ノ口からは日陰に雪が現れるようになった。一登りで林道と接するが林道(京ノ谷線)は尾根の西側、奥駈道は東側を行き、鞍部ごとに接することになる。林道の方が遠回りである。

 花折塚の手前で南東側から周ってくる林道を横断し、更に登る。花折塚は石碑だけが残る森の中。林道は平行しているけれど、このあたりは歩道も広くて歩きやすい。一旦、歩道が終わり、少し林道を歩くと、右手前方に駐車場付きの展望台の櫓が見える。これは登る甲斐がある。地平を歩いているよりかなり多くの展望が北側に得られる。展望台を後にして林道を離れ再び左の歩道に入るとブナの自然林の登りとなる。カツエ坂である。正面に玉置山も見えてきて気持ちが良い道だ。カツエ坂は「餞坂」と一部の石の道標に書いてあった気がするが、「餞」の字は「かつえる(餓える)」意味ではなくハナムケの意味である。花折塚の意味に近い。自分が何かに勘違いしたか・・・。


展望台の上から見た北方 中八人山方面

ブナ天然林の道

 カツエ坂は「坂」と言うほど厳しくないと思う。いつしかブナが消え、何となく鬱蒼としてくる中に玉置山駐車場からの道が合流したり雨量観測所の建物や大きなアンテナが現れたりして、シャクナゲの密林をくぐると山頂に到着する。山頂は南東方の眺めは良いが、北方は樹林である。熊野灘の水平線が見えた。玉置山は舟見岳ともいうらしいが、さすがに船までは見えなかった。でも見えることもあるのだろう。

 山頂を後に、急傾斜の道を下りて行くと、道の脇に注連縄が現れたりする。玉置神社の境内であると言うことだろう。どうも登山道から外れるなと言うことを注連縄で表しているらしい。周辺は北側のブナ林とは異なり、巨杉の鬱蒼とした暗い森である。

 古びた鳥居があり、これは玉石社という玉置神社の大元のようなものだったらしく、地面に僅かに出た大きな玉石が御神体の日本の原始信仰を色濃く残すものとのことだが、玉石社の周囲の立派な巨杉にばかり目が行っていて、玉石を見た覚えがないのは痛恨の極みである。ここの沢山の巨杉からなる森は本当に立派で、屋久島に勝るとも劣らないものがあると思う。屋久島にあったら既に伐られてしまっていたであろう材になりうるまっすぐで筋目の良い巨杉が多く生きて残っているのが素晴らしい。

 また玉置神社の建物も昔ながらのすばらしい建築ばかりで、この巨杉群との調和が取れている。アスファルトの車道がすぐ傍まで来ていることに少々違和感がある。


カツエ坂の標識

神代杉

玉置神社

 神社の裏手の神代杉が最も大きいようだが、他の名のある杉なども拝見して、玉置山を後にする。本宮辻(竹筒辻)への道は昔の玉置神社への表参道で、丁寧に作られた道である。玉置山山頂から東に連なる宝冠の森の稜線が夕日を浴びて美しかった。

 本宮辻は舗装道路と交差している。舗装道路の対岸には林道もあるが、林道の右の端に林道と平行する小さな歩道の入口がある。この歩道は完全には開通(再整備完了)していないようで、しばらくするとまた林道と合流する。が、またしばらくすると林道と分かれる。大森山の稜線と本宮辻の中間付近に水呑宿への分岐を示す石の道標が立っている。資料では水呑宿は水場があることが書かれているものがあったので、そこで泊まることにしていた。

 水呑宿への道は悪く、不明瞭である。途中、不明瞭な分岐もあったりして、あまりお勧めでない。水呑宿は杉の植林の小さな谷底の窪地で、夏場などは水が流れるのかもしれないが、この時は全く水の気配がなかった。場所を示す石柱と碑伝と、ゴミとして捨てられたらしいビール瓶がその場所を示している。水を準備するなら本宮辻の舗装道路を少し西へ行って、玉置山駐車場までの途中にある小沢で汲んでおくのが確実と思われる。


水呑宿への道

水呑宿

★水呑宿〜大森山〜大黒天神岳〜七越峰〜熊野本宮
参考時間・・・水呑宿-1:00-大森山-1:00-五大尊岳-1:30-大黒天神岳-1:15-七越峰-0:45-熊野本宮

 水呑宿は西向きの谷で杉の植林下なので朝が暗い。少し寝過ごした。奥駈道に戻ると冷たい風が吹き抜けていた。硬くなった雪を踏んで大森山の登りに掛かる。途中、左への分岐があったが既に使われていない道のようだ。稜線が近づくと篠尾への分岐もあるが、こちらも使われていないようだ。一旦、登山道に合わせて稜線に上がってから、戻って篠尾方面へ下りるのかもしれない。

 雪の上には犬の足跡が続いていた。稜線は平坦で最後に一登りで大森山の山頂に着く。山頂の手前、南側に崖記号のある地点で南側の展望が開けるが、山頂には展望はない。この崖は稜線直下から遥か下まで崩れていて、砂防工事がされている。昔の奥駈道はこの崖の手前から南面を巻いて大森山最高点を省略していたようだが、この崖崩れのために山頂を通らざるを得なくなったようだ。

 1078mの大森山を後に、少し下って三角点のある1044.9mを通過。ここには「大水の森」の標識があった。これは三角点の名前でもあるが、この地名にも由緒はあるのだろうか。想像が膨らむ。確かにこの近辺で「大森山」は三ヶ所もあり、ここも「大森山」では紛らわしいことは確かであるが。

 七色への分岐(篠尾峠)のあたりは稜線が屈曲していることもあって少し分かりにくい。このあたりから自然林となり、雪の上にはさまざまな動物の足跡が見られるようになる。五大尊岳の登りは少し岩場があるが、たいしたものではない。五大尊岳はどうも、昭文社の地図の山頂とは違う地点のようだ。825m地点よりやや北のもう少し低いピークに戒壇(?)などがあったような気がする。非常に狭い山頂で、少しだけ展望がある。


水呑宿の手前から大森山

動物の足跡 ムササビだろうか?

 五大尊岳の下りからは自然林が続いて気持ちが良い。地元の入会地のようで「許可なく立入禁止」の看板が何度も現れ、少々参る。この山の森を維持し、この山の産物で生活をしている人がいるのは分かるし、それを侵すつもりはないのだが・・・。

 五大尊岳と金剛多和の宿の中間付近は少しヤセ尾根で、「蟻の戸渡り」とも呼ばれているらしいが、木々が生え、それほどのものではない。ここでは東側の展望が開け、一族山が立派である。遠く、子の泊山烏帽子山も見える。続いて「貝摺り」と呼ばれる難所もあったらしいが、小さな岩場はあったがそこだと確信するほど厳しくはなかった。修験者が法螺貝を岩に摺ってしまうという難所だったと言うことだろうか。

 金剛多和の宿に下りる手前、送電線が西側で奥駆道に寄っている部分では送電線鉄塔まで踏み跡があり、送電線の下でわりと良い展望が得られる。

 金剛多和の宿は小さな石造りの祠があり、仏像が安置されていた。祠の前は広場になっており、ここで護摩も焚かれるのであろう。辻になっていて(六道の辻)、交差する道は今までの篠尾峠などに比べると立派で生きている道のような気がした。

 金剛多和の宿から南へ進むとすぐに送電線巡視路の分岐があり、これを右に入って3分も進むと大黒天の水場がある。金網の橋が渡してある小沢である。植林下の日陰で少々寒いがここで昼食とした。

 奥駆道に戻り、植林の中を一登りすると、大黒天神岳。このあたりでは植林は杉でなくて檜だ。大黒天神岳の山頂にはコンクリの電信柱が倒れていて興醒めである。山頂の周りの木は切り開かれて広くなっているが展望はない。山の手方面への分岐が山頂にある。

 大黒天神岳の南側は松林になっている。今まで現れなかった林相でちょっと面白い。


大黒天の水

大黒天神岳南側

大黒天神岳山頂の様子

 送電線と交差する箇所で展望が開ける。西側が開け熊野川(十津川)が美しい。しばし送電線を左に見ながら進んだ後、もう一度同じ送電線をくぐって、一つ鉄塔の足を巻き、完全に送電線の西側に出る。鉄塔の足を巻くあたりからは標高も十分下がり、南斜面になるので、岩ノ口付近以来現れなかった常緑照葉樹林となる。こうした植生の垂直分布が面白い。


熊野川(十津川) 上切原方面
奥は果無山脈の山々

照葉樹の森の道

 植林を広く伐採した箇所があり、再び熊野川(十津川)の展望が開ける。対岸の大居地区の丸い河岸段丘の上に成り立った集落が美しい。手前のすぐ足元にも山在地区の少ない人家が見える。小さな寺院の跡地のようなところに出て山在峠である。宝篋印塔がある。アスファルト道路を横断する。このあたりから「山」とだけ彫られた標柱が奥駈道脇に沢山見られたが、これは何を示していたのだろうか。


残る奥駆の稜線

大居地区

 山在峠からは先は階段やら林道やら何本か奥駈道らしき道があってややこしい。とりあえず稜線上の階段を登る。稜線上を少し歩くとT字路(吹越山山頂)になっており、右が奥駆道なので右に入ると少し戻るように下りて、吹越宿跡。林道を横断する。苔むした広場と祠がある。山在峠から水平に林道でもここに着いたようで、何となくすっきりしない。この林道を東へ行くと西敷屋方面に出るようだ。奥駈道のある尾根より敷屋方面に向かう尾根の方がハッキリしている故であろう、地形が分かりにくい。山在峠も吹越宿跡も世界遺産の大きな立派な看板があるが、このようなところでそれを見る人が居るのかどうか・・・。

 また階段で稜線へ上がり、暗い植林の檜林の中を歩いていく。吹越峠は分岐の道標があったが今も使われているわけではない雰囲気だ。吹越峠から南は以前に奥駆道よりは重要な生活道路だったことがあるのか、桜並木を作ろうとした跡のようなものが見られるが、桜の木は元気がなく枯れているものも見られる。周りの針葉樹で日当たりが悪いのではないか。アンテナを右に見てまもなく芝生の広場に飛び出す。ささゆり広場であるが、さすがにこの時期、ササユリは咲いていない。あと少しの奥駈道と本宮町の町並みが見下ろせる。


吹越宿跡

ささゆり広場から七越峰・備崎方面

ささゆり広場から見下ろす大斎原

 ささゆり広場から先は公園の園内歩道のようなもので、階段や広い道路を歩く。水道もある。建造物や遊具の前を素通りして、最後の山、七越峰の登りに掛かるがあっけなく山頂へ。山頂は地蔵堂と火の見櫓のある広場になっている。山頂からは左、高山、右、備崎と分岐しているので右へ。

そなえざきふきんのちず 公園作業用道路から離れ、小さな尾根の南面トラバースするように照葉樹林の中を下りて行くと一旦、車道に出る。白い海辺にあるような玉石の散在する、これも原始信仰を感じさせる海神社跡などを横目に見て車道が左にカーブする地点から最後の山に入る。最後の山道は意外に険しく、アップダウンがあり、道も荒れている。荒れて放置されたような杉林の谷の風景が印象に残っている。気がつくと左下手に備崎橋のトラスが見え、白い玉石の集まりにブルーシートを掛けた箇所を過ぎると、木の間越しに対岸の国道168号線が見えるT字路になっており、右が奥駈道で左は備崎橋に戻る道だ。右に入るとすぐに最後の階段で熊野川の堤防に下り立つ。堤防から川原に下りて、熊野川の二筋になって細く浅くなっている部分を靴と靴下を脱いで脛の深さで渡渉し、河原から笹薮の目印テープに従って大斎原を裏口から入り、参道を辿って、新しくなった熊野本宮に到着した。

 渡渉の際は足の裏に小石が痛かった。普段から渓流足袋で沢を歩いているとは言っても自分の足で歩いていないものだなぁと反省した。

 ブルーシートで覆われていた玉石群は、近年発見された備崎経塚群遺跡の発掘中の姿であったようだ。

 熊野川を渡る前に備崎北岸に歩道があるようなので一周してみた。一部大きな岩に新しく高い桟道が掛けられていて、歩いて楽しかったが、他にこれといったものは特になし。この北側の道も時代によって分かれた奥駈道のひとつだと言う。尾根筋よりこちらの方が歩道としての整備状況は良いようで、海神社跡付近の車道に再び出た。この北側の道沿いにあった案内看板によると、七越峰・備崎周辺にはガイドブックやネット上で見かけない(2008年現在)マイナーで小さな史跡がいくつかあるようだ。あるいは「あったようだ」の間違いかもしれない。看板が新しかったか古かったか記憶が定かでない。写真を撮っておけば良かった。海神社跡とて伝えられるだけで確証は無いものなのかもしれないが、山旅の旅情を強く誘うものがあるのに、ネットではあまり出てこない。

 備崎橋の下にはウリボウが収容されていた。野生動物との軋轢があるのだろう。


七越峰山頂広場

備崎 河原に下り立つ

渡渉点1

渡渉点2

熊野本宮

参考文献
1)藤田庄市,熊野、修験の道を往く,淡交社,2005.



トップページへ

 資料室へ 
大手のエステ
(2007年3月12日上梓)