子ノ泊山/蔵光山(906.7m)
下和気コース

 巨岩帯の渡渉に始まり崩れた沢沿いの道から急斜面の山肌の登行に輻輳する山仕事の道と、上級者向きのコースである。

子ノ泊山下和気コースの地図

★楊枝口〜登山口〜ケヤキ平

 楊枝口バス停の上に掛かる三和大橋で熊野川を渡って、熊野川沿いに下流へと約1時間歩く。

 登山口は5万図に記載の沢沿いの点線の始点で「紀和林研グループ」の木作りの小さく簡素な立て札がある。登山口付近は杉の植林帯で真っ暗で、立間戸谷の水はこの辺りではすっかり伏流していた。

 地形図上では道は標高220mまでしか記載されていないが、山頂まで続いている。源助滝分岐までの間に二度、本流を渡渉するが、いずれも対岸の道の続きが見つけにくい。一回目の渡渉の先のヤブの中には「天台烏薬」のような葉っぱが見られた。一回目の渡渉点の手前から対岸に3段140mと言われる「カラ滝」が木の間越しに見える。段毎に向きが変わっており、一段ずつしか見えない。

 二回の渡渉の間には5,6人は泊まれる岩屋がある。登山道は岩屋をくぐって、その岩屋の上を通るようにループして続いていたが、平成23年の台風12号で岩屋の中が変わり、岩屋をくぐって別の穴から抜けてループしないで登る方が歩きやすくなった。ループする穴もまだ開いている。左岸の道の上は「石ー」という30m以上の高さの岩の壁で、右岸にいる時はその大きさに圧倒される思いがするが、左岸にいる時は全く雰囲気を感じない。


登山口

カラ滝下段

左カンカケ、右石ー

くぐる岩

くぐった後はその上を通る

 登山道は急坂で右岸の高い所を通るようになる。途中に源助滝への分岐の標識もあるが、下っていくことになる。源助滝分岐から源助滝へは荒れている。道は源助滝の掛かる本流から離れて左の支流に入る。この支流を少し登ったところで渡る所に和気の森(806.2m)分岐がある。この支流の奥を「はしの奥」と呼ぶと言う。鬱蒼とした森の中の急斜面だったが、はしの奥の谷も平成23年の台風12号で崩壊し、はしの奥の谷の渡渉点から源助滝がすっきりと望めるようになった。「はしの奥」の名の「はし」は、この谷を渡ってすぐに取り付くカンカケに掛かっていた階段状の階(はし)のことで、この谷に掛かっていた石橋のことではないだろうが、谷に掛かっていた石橋も流された。源助滝も深い森の中に落ちる狭い滝壺から見上げるしかない滝だったが、滝の下に広い平地が出来て程好い距離で眺められるようになった。

 登山道は荒れ気味だが、巨岩に積まれた石の掛け橋や道を支える立派な石垣、石畳があり、苦労して作られた様子が偲ばれる。単なる登山道ではなく、木馬道や生活路として作られたものであった。源助滝の上の岩の崖を小石を積んだ細い急傾斜のトラバース道で行く。このあたりを「カンカケ」といい1)、「和気のカンカケ命がけ」2)などと歌われたそうな。昔は下和気からカンカケを登り、楊枝川の上流の草木谷へ抜ける湯川峠という峠道があったようだ。カンカケは鐶(かん)を掛けた所ではなく、垂直に切り立った所であることを言った「矩(かね)・崖(古くは「かけ」)」の転訛だと思う。


崩壊した
「はしの奥」

石ーを
振り返る

源助滝

はしの奥から
源助滝を見下ろす

昔の源助滝は
これ以外の
アングルが無かった

カンカケの道
岩場に
小石積み

カンカケの道
垂直に
切れ落ちている

カンカケの道
鼻を回り込むと
少し広くなる

 カンカケを越えると道は水平になり、次第に沢が近づく。木の間越しに見える立間戸谷の渓相も平凡で坦々とした木馬道がしばらく続く。花の谷を渡った先で広尾井・湯川峠方面への道を左に分ける(上部で途切れており広尾井までの道を確認できていない)。木馬道が崩れてなくなっている所が出てくる。桟道にロープが掛けられているような箇所が現れる。標高230mの右岸支流は不思議な雰囲気の窪地の水の滴る黒い岩壁になっていた。梯子で乗り越えるような場所も出てくる。そうした梯子を降りた260mの出合の右股が「ほこヶ谷」で、この出合を「ケヤキ平」とも呼びケヤキの大木のある河原で幕営が可能である。木馬道は更に立間戸谷上流へと続いているが登山道はここで木馬道から離れて立間戸谷本流を渡渉し、ほこヶ谷に入る。ケヤキ平からは立間戸谷上流の牛鬼滝の上の方が少し見えている。


けやき平

ほこヶ谷

寄り道 屏風岩

寄り道 屏風滝


山肌に取付く

★ケヤキ平〜山頂

 ほこヶ谷は水は少ないが荒れた沢で、昔の道は右岸に付いていたようだが、崩れて無くなっている所も多く、沢の中を歩くことになる。水は靴を濡らすほども流れていない。左岸から支流を越えた先で右岸の方向を北向きに変えて山肌に取り付く。西向きの岩塊斜面に付けられた細い道だがしっかりしている。斜面を横断しきって尾根の鼻に突き当たると、この尾根にすぐには乗らずに斜面の北の端をジグザグに登って少し標高を上げる。標高400mを越えてから尾根を回り込み、北西向きの斜面のトラバースとなる。植生は杉の植林から天然林となるが、斜面が立っており落ち葉で足を滑らすと危険である。小さな谷地形を一つ横断するが、この谷は一枚岩で岩盤が遥か下まで落ちている。手掛かり足掛かりも少なく、この標高400から450mに掛けてが下和気コースで最も危険な箇所である。

 標高450mでもう一つ尾根の鼻を回り込む。この辺りから少し広くなる。地形図上ではこの尾根の鼻はごく小さく分かりにくい。道は相変わらず急傾斜でザレていて滑りやすいが、ここなら転んでも転落と言うことにはならないだろう。少し登ると水平なトラバースとなる。木が少なく岩場が多く歩きにくいが立間戸谷の屏風岩がよく見える。もう斜面は立っていない。このトラバースが暗い樹林の谷間に突き当たると最後の尾根の鼻を乗り越える。この尾根の鼻は大きいので多少時間が掛かる。急斜面でハッキリしない道筋だが掴む木は十分ある。尾根の鼻先は岩を削って道が作られていて、ここでも転ぶと転落の危険はあるが、標高400-450mに比べれば幅が広く十分な足場がある。眼下遥かに立間戸谷の大きな滝が見えていて「登り過ぎているのでは?」という気がしてしまう。

 しかし、尾根の鼻先を回り込んだ後、僅かに下った後は殆ど水平道ですぐに左から立間戸谷の本流であるナメラ谷の水音が近づく。一部で桟道が落ちているが何とかなる。ナメラ谷に下りるとすぐ上に山小屋跡がある。ナメラ谷は美しい滑床である。ナメラ谷に下りたところで渡渉して、すぐ先でもう一度渡渉して山小屋跡に達するが、渡渉しないで山小屋に達することも出来る。一度目の渡渉の先で左のナメラ谷下流側へ折れる枝道がある。立間戸谷左股の屏風滝の上流の広尾井方面への道である。


危険箇所
下を覗き込むと

昔は幅が
広かったようだ

一旦少し開けて
トラバース

屏風岩が
見える

雰囲気が伝わらない
写真だが遥か下まで
切れ落ちている

尾根の鼻を廻る
展望地
切り立ってくる

滝が木の間越しに
見えるような
見えないような

尾根の鼻を
回り込むと
道は細くなる

 山小屋跡はガラスのゴミが多く怪我をしないように注意を要する。建物は雨風は凌げそうだが泊るのは難しそうだ。小屋の裏手から山肌を登る道は飯盛山(843m)方面への作業道に通じている。子ノ泊山山頂への登山道は小屋の裏手からナメラ谷を右岸に渡り、しばし沢の中を行く。右岸には木馬道の跡があるが、荒れていて歩きにくい。沢中の中洲を歩く方が早い。小屋より上流では下流側のような滑床は登山道が沢沿いに続く間は無く、立間戸谷名物の1km続く滑床は登山道が山肌に取付く地点より上流から始まる。中州から右岸に移る。

 右岸からのやや大きな枝沢を渡った先で沢を離れ、山肌に取り付く。道は細い。ジグを切って登る。二箇所ほど左へ枝道を分けて標高740m付近から南向き斜面の水平トラバースとなる。相変わらず道は細い。道は沢に近づき飯場の跡のような所に突き当たる。炭釜もある。最終水場となる。この飯場の跡のような所のすぐ上が沢の二股になっているのをまとめて渡り、尾根に取り付く。尾根の鼻を回り込んでゆるゆると登っていく。右手に飯盛山の丸い姿が眺められる。また一つ尾根を回りこんで、二つ目の尾根の回りこみがT字路になっており、尾根の上へ左折する。直進するとナメラ谷の源頭に下りる。左折するとすぐにブル道の作業道の終点がある。ここからこのブル道の作業道を山頂直下まで辿る。ブル道は尾根線を少し外している。尾根線上に昔の道もあるようだが登り返しや茨の蔓があるので素直にブル道を辿った方が無難である。ブル道は山頂直下で三叉路になっている。この三叉路で山頂までの標高差はもう10mも無い。道はハッキリしないが適当に山頂まで登る。


なめら谷に下りつく

山小屋跡

山肌に取付く
細い道

飯場跡

飯場跡の上流の沢

最後はブル道

山頂より木本方面の展望

参考文献
1)玉岡憲明,熊野の名山 子ノ泊山,pp80-81,4,地名と風土,三省堂,1986.
2)平八州史,伝説の熊野(熊野文化シリーズ1),熊野文化協会,1973.
3)三重県南牟婁郡教育会,紀伊南牟婁郡誌 下巻,名著出版,1971.
4)山崎滝之助,南北牟婁郡図,山崎滝之助,1889.
5)小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第3巻 おもふ-きかき,小学館,2001.



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(2012年4月1日上梓 2013年1月13日加筆)