奥三角山(354m)
札幌の古くからの住宅街に隣接する三角山から藻岩山へ連なる稜線上の一峰。山名は確定している状態とは言いにくいようだが「奥三角山」の名1)が無難で良いのではないかと思われる。
登山ルートは大倉山・三角山からの縦走路の他に三本ある。2008年10月から2009年9月に掛けて登って書いた。
★宮の森から
参考時間:宮の森2条17丁目バス停-0:45-奥三角山
林間の道 |
ハリギリの大木 |
地下鉄東西線円山公園駅下車、宮の森シャンツェ行きのバスで「宮の森2条17丁目」バス停が最寄。バス停の向から小別沢へ向かう道路を歩く。小別沢トンネルの東口に空き地があり(駐車不可)、そこから入山。
古い車道のようで、旧小別沢トンネルが出来る前の道だったのかもしれない。しばらく行くとT字路になっていて、左に入るとすぐに広場で行き止まりである。右に入り、山の斜面に突き当たると左に折れて道が狭くなり、登りが本格的になる。道は狭い。
切通しのような感じで尾根を越えるとまたT字路になっており、右に入ると大倉山を経て三角山へ。左が奥三角山・小別沢。尾根上にはトドマツの植林がある。ハリギリの木が多い。切通しの存在から考えるに山の斜面を今の車道の小別沢側に合流する路盤があっても良さそうな気がするが、笹が茂っていてまだ見つけられていない。
奥三角山の北側に当たると、右に折れて北斜面をトラバース。緩いアップダウンがある。下手には芝生のような牧場が見える。山羊の鳴く声が響いたりしている。木は次第にカツラが多くなってくる。
左側に稜線が下りて近付いてくるのを感じ、尾根の向こう側が見えそうになるところで分岐。ここからVターンで奥三角山の西稜に乗り、山頂へ続く。このあたりの北斜面はほとんどカツラの純林だ。ただ、カツラは若い細い木が多い。
道は一直線に尾根上についている。下の方でちょっと傾斜のきつい部分があるが、全体的には緩やかで歩きやすい。途中で小別沢の南方からの道と合流して道が広くなる。ここから上は採石が行われていたようで、稜線に段があり、道は稜線の南側の段の上をなぞっている。一度、小別沢南方からの道と平行するような踏み跡と合流し、まもなく山頂。展望は東側のみ開けている。大倉山方面から子供の歓声が響いていてもその姿は見えない。
★小別沢から(北側)
参考時間:小別沢会館-0:35-奥三角山
小別沢の道 階段 |
小別沢会館の前から南へ折れる砂利道は農園の建物とかぶっているので分かりにくい。入ってすぐの樹冠のトンネルで小沢を渡ってすぐに十字路状になっており、左折すると北側の登山口だが、歩道はすぐ上にある農園の中を通過するように続いているので分かりにくい。
農園の中を通過して森に入るとコクワの蔓が多い。左手の谷は次第に深くなっていく。谷間が少し広まって桂の木が多くなるとジグを切った登り坂となる。ここのカツラの森は、それほど太い木はないが本当にきれいだ。一部荒れた階段もあるが登りやすい道で宮の森からの道と合流し、山頂へ続いている。
★小別沢から(南側)
参考時間:小別沢会館-0:40-奥三角山
禿げちょびカラマツ |
採石道? |
樹冠のトンネルの十字路を直進し、緩やかな斜面を登っていくと禿げちょびたカラマツやポプラの木がある。離農した跡だろうか。更に進むと車が通れる道としては行き止まりになって盤渓方面へ歩道だけ続いているが、その手前の沢を渡る手前に奥三角山の方へ入る林道がある。この林道に入る。
林道はあまり車は入っていないようだが、ずっと自動車の幅がある。小別沢北側からの道同様、森に入ってすぐはコクワなどの蔓が多く、森に入ってもしばらく真っ暗な様相である。右手を流れていた谷が次第に浅くなり、ほぼ同じ高さになると車幅の道は行き止まりで、左に歩道が折れている。これに入る。
しばらくは平らで細いが、登り始めると再び車の幅となる。この道は採石の跡の道なのだろう。直線で一定の傾斜で、何となく機械的な雰囲気がある。登りきると西稜に飛び出し、他の道と合流して山頂に続く。
琴似方面から見れば三角山(311m)の奥にある似たような形状の山であり、奥の三角そのものだ。縦走路で三角山とつながっている。「奥三角」の名は昭和初期から記録が見られる2)3)。さっぽろ文庫の「札幌の山々」の巻にも「奥三角山」/「奥三角」で載る。
山頂から 円山・神社山 |
21世紀初頭、「よこして山」・「よこして栄山」の山頂標識が山頂にあり、意味が分からない、聞いた事がないとの批判が登山愛好者から出ていたが、この山頂標識は後に撤去された。土地の所有者が立てて、また撤去したとの噂が登山愛好者の中を流れた。
「ヨコシテ」は円山川のアイヌ語の名ヨコウシベッに関係があるのではないかと考えてみる。ヨコウシベッはヨコシベツとも書かれた。ヨコウシベッが円山川水系のどの流れに当たるかについてはまだ議論があるようだが、yoko us pet が「ヨコシテ」と聞き誤りによって書き取られることも考えられないわけではないと思われる。円山川の支流にはヨコチ川があったという。似た音のアイヌ語地名として白老町のヨコスト湿原は yoko us to[狙いをつける・いつもする・沼]がヨコストと和人の耳から書き取られた湿原の名とされる。
山田秀三3)4)はヨコウシペッを現・円山川(円山の西側)としている。榊原(2002)5)は界川(円山の東側)河川跡としている。猟のために狙いをつけるのは上流域まで流れを限定するものでなく、これらの流れが合流した円山川でももっと下流の琴似川合流点近く(JR函館線近傍)から円山の北端に限ると考えても良さそうな気がする。安政5年に松浦武四郎は現在の銭函から苫小牧方面への新道取調でヨウコシヘツを木橋で渡り、上流でホンヨウコシベツ(右股)とホロヨウコシヘツ(左股)に分かれていると聞き取っている6)。
奥三角山の位置は神社山に遮られて、円山川水系には接していない。円山川水系の親となる旧琴似川本流の水系である。或いは近代以降の、まだ聞き取られていない地元の情報があるのかもしれないと考えてみる。
2009年の春には「コベツチャヌプリ」という標識が山頂に付けられていた。しかし、その後自分で確認に行った時には見られなかった。小別沢はアイヌ語の ku o pet[仕掛け弓・ある・川]に由来する9)地名と聞くので、コベツチャヌプリとは 〔ku o pet〕ca o nupuri[仕掛け弓・ある・川・のふち・にある・山]だろうか。管見で史料に見ないアイヌ語らしき山名である。出典が知りたい。小別沢のコベツは小別沢トンネルの鞍部に通じている川である事を言った、ok o pet[うなじ・にある・川]の語頭の o が落ちたものではないかという気がしている。
参考文献
1)札幌市教育委員会文化資料室,藻岩・円山(さっぽろ文庫12),北海道新聞社,1980.
2)坂本直行・田中幸二・徳永正雄・大戸昌雄,札幌附近の山岳に就て,pp1-21,1,ヌタック,札幌第二中学校山岳旅行部,1929.
3)山田秀三,札幌のアイヌ地名を尋ねて,楡書房,1965.
4)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
5)榊原正文,データベースアイヌ語地名2 石狩T,北海道出版企画センター,2002.
6)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
7)朝比奈英三,市街地から,札幌の山々(さっぽろ文庫48),北海道新聞社,1989.
8)がんちゃん,奥三角山改め・・・<<Life is Beautiful!
9)札幌市教育委員会文化資料室,札幌地名考(さっぽろ文庫1),更科源蔵,北海道新聞社,1977.
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