神社山の写真神社山(237m)

 モイワ代表の円山と並ぶ可愛い山。市街地に囲まれているが夏道がなくて冬に登られる。西区の三角山がハッサムのエプイ1)なのに対し、サッポロのエプイ2)epuy はツボミ。ツボミ型の山。琴似川(十二軒川)と円山川に挟まれている。

 宮の森と円山西町の峠にある隆光寺の辺りからが入りやすい。峠から少し円山西町側から北に入り、そこからの入山が楽。南西のコブに上がるとケルンがある。山頂はすぐ。

 山の北側の宮の森と円山西町の界からも入山しやすい。山裾には作業道跡が巻いていて東斜面を絡んで登る。東の山麓にはカツラの巨木が見られる。北尾根は少し傾斜がきついが風で叩かれていれば稜線の西側が歩きやすい。

札幌の神社山の概念図

 北海道神宮の持ち山で第二次大戦中は旧日本軍北部司令部を移すべく地下壕が掘られたと言う3)。長野の松代大本営のミニチュアのようなものを札幌にも作ろうとしていたようだ。しかし、完成前に敗戦を迎えたと言う。私は冬にしか入山したことが無いからか、その痕跡を見たことがまだ無い。

 山名は北海道神宮の旧名、札幌神社に由来する1)。北海道神宮の二の鳥居から参道に向かうと社殿の上に聳えるのが神社山である。

 永田方正は神社山を epuy エプイ[蕾山]と札幌沿革史の中で書いたが、少し前に出していた北海道蝦夷語地名解の中では神社山に触れず琴似の三角山のみをエプイ[蕾山]と書いた。形は確かに神社山も蕾型であるが、何か彼の中で混乱があった印象を受ける。神社山は本当にエプイだったのだろうか。

 小円山(しょうまるやま)とも呼ばれたと言う。

参考文献
1)安田成男,神社山,札幌の山々(さっぽろ文庫48),北海道新聞社,1989.
2)永田方正,地理,札幌沿革史,札幌史学会,北海道出版企画センター,1979.
3)荒井山町内会,荒井山のあゆみ,荒井山町内会,1974.
4)永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
5)山田秀三,札幌のアイヌ語地名を尋ねて,楡書房,1965.



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(2010年3月3日上梓)