石澄川(石澄滝〜尻池)

 木藤精一郎(1937)の「六甲北摂ハイカーの径」に石澄滝の「落下口から、上源である奥池まで上流に溯行すれば、小景ではあるが相逼たる岩相やさまざまの滝風景が鑑賞される。」とあって興味をそそられ、「上流中には往年の修験者の庵の跡あり、大天井、小天井と称する行場ださうである。」とあるので、庵の跡が見られないか、また、大天井、小天井も行けば分かるところなのか分からないか見てきた。私は沢登りはするのだが、膝に不安が出てきてから石澄川に入ったので登れていない滝がある。沢登りで入る人はいるようなのだが、記録は見ても探してもいない。滝番号は当頁内本文で位置の説明の為だけに当頁内限定ということで便宜的に付けた。「涸岩間1m滝」などは滝と見なさないという人もいると思う。水量は乏しい日が多い。

  • 歩行日・・・2023年
  • 五万図・・・「広根」


石澄滝

石澄川概念図
細い黒点線は絶壁

★石澄滝上へ

 六甲北摂ハイカーの径に石澄滝の「上流を溯行するには、滝下から向って右手の茂った岩山を攀ぢて落下口へ行くのが容易である。」とある。

 「石澄滝は直下百二十尺といはれてゐる」ともあり、120尺は約36mだが、そんなにもの高さは無いように見える。石澄滝は二段上下各10mほどに見え、下段下部はガリー状で登るのは憚られるが下段の上の向かって右手に広いテラスがある。滝壺の向かってすぐ右手の岩壁の傾斜が多少緩く手がかり足掛かりになる凸凹がある。上段は壁の直瀑で登るのは難しそうである。テラスの真ん中辺りに落ちてきている傍流の滝の左岸の壁下に犬走りのような土付きがあり、途中に一段低い岩場を挟むが滝上まで続いている。下降は懸垂下降の準備があった方がいいと思う。テラスも犬走りも一応立ち木はある。

 今の滝壺への道のすぐ上の右岸斜面に道の跡らしき形があって、滝壺の直上辺りの石垣の小平地で行き止りである。石垣で平場を築いて祠が設けられたことがあったのか。

 岩登りを避けて滝上に出るとすれば、滝下から向って左手の右岸で大きく高巻く。石垣の平場の奥は斜面が立って登れないので、少し手前から谷から離れて樹林の木を掴みながら巻き上がる。谷の方は切れ落ちているので次第に谷から離れる感がある。石澄滝の銚子口と同じくらいの高さまで上がると所々踏み跡らしきものを見る。古い目印テープも登るに従い現れて石澄滝の銚子口よりかなり上がって標高290m辺りから右寄りにトラバースして、上が絶壁で下は急斜面の犬走りのような所を抜けて、50mほど暗い急な谷間を下りて銚子口から3つ上の滝を挟んだ上に下り着く。下りる暗い急斜面の谷間の地面は土なのだが硬く、立木が少なくなっており下りにくい。左岸から巻くとすれば標高350mの六個山の南の肩まで上らなければならず、下り着くのはF7の上になると思う。

 石澄滝の銚子口の直下は下からは見えない最上段で5mほどの高さの斜めの緩い溝状の滝になっている。最上段の下でカクッと折れて下から見える上段に落ちる。


滝下横の石垣

石澄滝最上段

銚子口から見下ろす

★石澄滝銚子口〜尻池堰堤

 六甲北摂ハイカーの径にある「相逼たる岩相」の通りで高い二枚の絶壁の間の底の廊下のような谷筋が続く。廊下の底はゴルフボールの混じる尖った岩の伏流気味の河原が続く。自動車のタイヤや池にネットを張る浮きも河原の石に混じる。尖った岩は絶壁の上からの落石が頻繁であること物語っていると思う。絶壁の所々から鉄分を含む鉱泉が沁み出ておりオレンジ色の筋になっている。岩は黒く見えるのだが、布地が擦れたりすると赤い鉄錆粉が付く。

 淵の中の石には泥が積もり清冽な水とは言えず、伏流や滝で細かく分断されているのだが、淵ごとに小魚の魚影が濃い。中ほどのF10は登れる人はいると思うのだが私は怖くて取り付けなかった。F10は横向きに落ちてくるのだが、その向かいの絶壁の下に落石が目立たない草地がある。F10は周りが全て絶壁で、水線沿いの凸凹に取り付く以外に通過できそうなところが見当たらない。向かいの草地の上手方向の崖がスパンと切れ落ちた岩肌が無く木の根などに摑まって何とか登って高巻けそうに見える。両岸の急斜面の下りられる所は限られるが、木の根などを掴んで上の緩傾斜まで登れそうな所は所々にある。

 F10の上の黒い部屋というか石切り場の底というか、直方体の底のような岩盤から岩間のF11を越えてまた少し河原。低いナメ滝のF12を越えて続く二条の直瀑F13,F14は私は登れず。F13とF14は合わせて左岸を巻く道があったようなのだが、急斜面で踏み跡が流れてしまったようで足場というほどのものがない。土の急斜面を木を掴んでトラバースで巻く。F14もサイコロの中にいるような立方体の底のような岩盤である。F14上と次のF15の間の左岸に岩盤の広い平場があり、六個山の方から土の斜面が下流側から繋がっている。ネブリ池方の右岸の枝谷からF14の上に下りて渡っても岩盤の平場に下りられる。F15のすぐ上に大きな釜があってその上のナメ斜瀑F16から岩盤が最奥の高いF17の滝壺の釜に続いている。F17の下段の斜4mは左の壁際にブッシュがあり、上段の直2mは右にヒトツバのブッシュがある。その上はネブリ池方面からの六個山登山道が石澄川を渡る所から古い路盤が落ち口まで右岸川沿いに続いている。


廊下のような谷筋
F5下

廊下のような谷筋
F8下

廊下のような谷筋
F9下

F10は
一つの山場

F10の上から
対岸を見る

F10の上左岸から
下流方向を見る

F10の上流側
廊下が直角に曲がる

F14を上から見下ろす
サイコロ状の刳り(多水時)

F16の滝壺は
大釜

鉱泉沁み出し

ゴルフボールを
あちこちに見る

尖った岩の河原に
浮き

最奥F17

平場・露岩の位置等地図
赤点線は六個山登山道
細い茶点線は道の跡と踏み跡

★庵の跡の場所・大天井・小天井について

 石澄滝銚子口のすぐ左岸脇に少し高い平場がある。まずは庵の跡というのはここかと考えた。だが、広さが四畳半ほどしかなく、一畳敷きの庵なら建てられるかもしれないが敷地として小さ過ぎると思う。狭い谷筋の出口のすぐ横で鉄砲水が来たらひとたまりもない。

 谷筋は総じて狭く、両岸が高い絶壁か急斜面なので、庵を建てるとどこでも落石と鉄砲水の危険を免れないと思う。

 F10向かいの草地は、なぜか理由は分からないが地面が草で覆われて立ち木も幾らかあり、絶壁からの落石が少ないようである。沢筋から幾らか高く、水平ではないが斜面の傾きは小さく、広くもないが小さな庵なら建てられそうなくらいの広さはある。だが、基礎を固める石積みなどは見ず、この一角だけ落石が少なかったとしても、谷筋のどこかで常に起こっている落石を目の当たりにしながら草地の所で寝起きするのは精神的に参ってしまうのでないかと思う。

 F14上左岸の岩盤の平場は庵を建てうる広さがあり、岩壁の高さは4,5mほどでその上の土の斜面の傾斜もそれほどではなく、落石の危険は少なそうに見える(が、落石は平場の岩盤の上にある)。沢筋から高さもあり、六個山方面から通路として下りられる斜面も下流側の脇にある。石澄川の滝場で庵を建てるとしたらこの岩盤の平場しかないと思うのだが、礎石など建物の痕跡や石積みは見ていない。

 「てんじょう(天井)」というのは地名用語としては山頂を指すことがあるようである。谷筋の中で家屋の天井を思わせる所はなかった。山頂を指すのは「てん(頂)・せを(背尾)」転じてテンショウ/テンジョウなのだろうと思う。左岸の絶壁の上に顕著な露岩の突き出しがある。露岩まで昔は道が六個山の山頂の方からあったようである。石澄川の川沿いではなく、或いはその石澄川の谷筋を臨む露岩が大天井と小天井のどちらかであったのでないかと考えてみる。他にも絶壁の上の露岩の所があるのかもしれないと思う。露岩というほどではないが絶壁の上の視界の開ける場所というのは他にもある。右岸と左岸で大天井と小天井を分けていたかとも考えてみる。六個山は山頂で池田CCの南東角の高台は山頂と見なせそうだが、修行の場にならなさそうに思う。

 石澄滝の銚子口が滝場の第一段階の天井で小天井、F17の上が滝場の第二段階の天井で大天井かとも考えてみる。


石澄滝銚子口
左岸平場
脇は高い岩壁

F10向かいの
草地壁際

左岸中腹の露岩
修行するには
小さ過ぎると思う

F14上左岸の
岩盤平場
上流向きに見る
広いが落石がある

F14上左岸の
岩盤平場
下流向きに見る
下流側は細いが落石がない

岩盤平場の下流側斜面
道を付けられる

参考文献
木藤精一郎,六甲北摂ハイカーの径,阪急ワンダーホーゲルの会,1937.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.



トップページへ

 資料室へ 

六個山メインへ
(2024年2月25日上梓)