大台ヶ原 尾鷲道 地名まとめ その6
(又口辻以南)

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黒滝

 古和谷右股源頭の地形図から見るに落差80mほどの滝の名である。落差は大きいが水は少ないという。地形図からこの滝のある斜面は幅200mにわたる一枚で向かって左脇に岩崖があることが窺える。この大きな岩崖の所の滝ということの「くら(ー)・たき(滝)」の転が「くろたき」と考える。

黒滝地図1黒滝地図2


ハチヤ川/ハチヤ峠

 奈良県と三重県の境となる柳ノ谷の支流の名で、小さな支流だが江戸時代の記録にも尾鷲と北山の境の地名としてある。源頭の鞍部からは台高主稜線南端に県境が続く。この昔からの境が「へち(辺端)・を(峰)」と呼んだ山地で「はちや」に訛り、その山地の登りついた所が「はちやとうげ」、「はちや」に続いて境である川筋を呼んだのが「はちやがわ」と考える。

ハチヤ地図1ハチヤ地図2


駒ノ滝

駒ノ滝地図 柳ノ谷上流標高760m辺りに銚子口のある大滝である。柳ノ谷は駒ノ滝の下手で60度ほど向きが変わり谷の先が見通せない。この向きが変わる折れ目が「くま(隈)」で、「くま」の先にある滝ということで「くまのたき」と呼んだのが訛ったのが「こまのたき」と考える。


光るが滝

 見聞闕疑集が収める寛文13(1673)年の尾鷲と和州白川南の龍谷(柳ノ谷)から高八谷(現在の東之川支流古川の谷)までの山論を決した境目の地名として「龍の谷光るが瀧迄東の分横境目より和州白川領」とあり、柳ノ谷の「光るが瀧」までの右岸が和州白川領とされたようである。元禄13(1700)年の国絵図作成の為の国境の山絵図作成の申し合わせでは「光るが瀧」は登場せず、瀧谷川(ママ)中央に続けて「はち谷川」が尾鷲と白川の境とされるので、寛文13年以降に国境の扱いに変更があったようである。

 柳ノ谷標高390mの所にあるすぐ下で取水されている滝の名でないかと考えている。ハチヤ川落ち口までの距離は約200mである。柳ノ谷で他に滝と言えるのはより大きな駒ノ滝だけだが、駒ノ滝のことと考えるとハチヤ川落ち口との距離が約1.2qとなり、現在の県境から大きく離れてしまう。

 光谷が銚子川支流にあり、光滝が大杉谷にあり、光ヶ峰が那智にある。いずれの「光」も「ひかる」と読むようである。光谷の源頭は光山であった。

 光谷・光山は崩れやすい地質で崩れた感じを言った「いかつ(厳)」の転が「ひかる」でないかと考えてみたが、柳ノ谷標高390mの滝は滝の水流自体は素直な直瀑で落差は10mもない。大きな丸い滝壺が滝壺を取り囲む円筒のような立った斜面に囲われている。この滝壺周りの所が「へこ(凹)・ら(等)」で、「へこらがたき」の訛ったのが「ひかるがたき」ではないかと考えてみる。

柳ノ谷地図1柳ノ谷地図2

参考文献
米田信雄,冬の大台を探る,pp59-61,9,山嶽,大和山岳会,1936.
木下雄吾,東ノ川渓谷遡行,pp40-44,9,山上,奈良山岳会,1937.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
朋文堂編集部,大阪周辺の山々,朋文堂,1962.
仲源十郎・仲彦助,見聞闕疑集,尾鷲市立中央公民館郷土室,1984.
松浦武四郎,松浦孫太,佐藤貞夫,松浦武四郎大台紀行集,松浦武四郎記念館,2003.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
川崎実,秘瀑,山と渓谷社,2011.
大阪わらじの会,台高山脈の谷(下),大阪わらじの会,1977.



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(2022年1月30日上梓)