一族山
大河内(おこち)コース
下りで歩いたので下りながらの紹介。小滝コースと合流した上の一族山西尾根上については小滝コース参照のこと。現在の大河内地区から登るコースなので「大河内コース」と書いたが、大河内村は戸屋岩の麓の現在の大河内地区の他、三浦・地薬・布引谷と一族山の南半分を占める広大な村であった。その意味では小滝コースや保全林コースも大河内コースである。
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★大河内峠〜小円橋(登山口)〜大河内〜湯の口温泉
参考時間・・・作業小屋-0:25-布引の滝駐車スペース-1:00-大河内の峠-0:30-大河内登山口(小円橋)-0:40-湯の口温泉
峠から大河内へ下りるルートについて述べる。下りで歩いたので下りながらの紹介。峠から一族山山頂に関しては小滝コース参照。この峠の名前が分からない。大河内コースと小滝コースとの間の峠であり、小滝コースは立派な木馬道であるから何かしら名前があったのではないかと思うのだが、地図等で目にしたことがない。紀和林研グループの看板にも載っていない(ご存知の方が居られたら教えてください)。
峠の西側、大河内コースには木馬道の幅はなく、歩道であるが古い石畳・石段の部分もあり、昔からある道だ。峠から一旦南西に進むが北に折れて谷を渡り、峠の北側の尾根の斜面を下る。谷を渡ると植林から落ち葉の多い道となった。501mのコブは巨岩で南から回り込む。この下、しばらくコシダのトンネルとなる。トンネルとは言ってもヤブに体が触れるほどのものではない。トンネルの合間から甲ヶ森の真ん丸な山容が見える。当初、玉置山と勘違いして字面の通り、玉のような姿だと感心してしまったが、帰宅して方角を確認すると甲ヶ森だった。コシダのトンネルを抜けると杉の植林の峠からの谷(シヨンヤ谷)に再び入り、傾斜が緩むと登山口である。車道から僅かに入ったところに紀和町林研グループの古い登山案内板があり、いろいろと滝の名前が分かる。この看板は布引谷の林道(三和片川線)が作業小屋や矢の川との鞍部まで造成される前のもので、大峯環境保全林の看板に引き継がれていない地名が記入されていて貴重である。紀和林研グループの看板は子の泊山立間戸谷の入口にもあったが、どのような活動の団体だったのだろうか。
登山口の脇(南側)には駐車スペースがある。駐車スペースの南には峠からの谷の橋がある。水はごく少ない。谷の名はシヨンヤ谷で(南紀の山と谷より)、橋は小円橋というようだ(橋銘板より)。橋の上流側には木馬道の遺構が残っている。登山口の周囲には家の縄張りや棚田のような石垣や、猪垣が杉林の中に見られる。今は大河内の北の端で山林に転用されて杉ばかりしか目に入らない場所だが、かつては熊野詣の本宮道だけでなく住宅や田畑、生活があったのだ。
最初は 植林下の石畳 |
痩せた 木橋 |
一旦 雑木林に |
大岩を 周りこむ |
一部 コシダのトンネル |
世界遺産登録で道標の整備された熊野古道(本宮道)を伝って大河内(おこち)に出た。宮の谷の脇に立つ大河内神社は丸石信仰そのもののような気がする。すぐ裏手に公民館があり大河内行宮跡の大きな碑があるが新しいもので、大河内行宮跡の遺跡などは無い様だ。宮の谷の名からこの辺りと考えられたものか。宮の谷の宮とは大河内神社のことのような気がする。少し戻って湯の口温泉へ下りる分岐の辺りから地形図上にポツンと記される尖った戸屋岩が望めるがそれほど特徴は無い。
湯ノ口川の谷は中流域で美しい渓谷となっている。紀州鉱山の遺構も何やら隠れている気がするが、かなり自然に還らされているように見える。湯治場の雰囲気と新しいコテージが綯い交ぜの湯の口温泉(\400)に入り、トロッコ列車と熊野市自主運行バスを乗り継いで熊野市駅へ。温泉は脱衣場から浴槽まで良い雰囲気で、トロッコの木造客車では殆どトンネルの中だがズンドコとノンビリ進んだ。バス待ちに乗り継いだ小口谷の瀞流荘からは熊野川のウォータージェット船が走るのが見えた。静かな旅行だった。
大河内登山口 |
シヨンヤ谷の小円橋 |
旧小円橋 木馬道 |
歩いてきた尾根 |
甲ヶ森 |
トロッコ |
参考文献
吉岡章,大峰山脈(山と高原地図57),昭文社,2000.
新宮山の会,増補改訂 南紀の山と谷,新宮山の会,1987.
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