小幌駅周辺アイヌ語地名考 その4(イコリ岬から礼文華)

小幌海岸の地図3小幌海岸の地図4

イコリ(未踏査)

菅江真澄(蝦夷廼天布利):ヰコリといふ高巖に・・・
今井八九郎(北海道測量原図):イコリ(イコリ岬に振られる)
松浦武四郎(蝦夷日誌):イコリ 同じく出岬也。廻りてレブンキに到る。
市川十郎(野作東部日記):射凝(イコリ)
榊原_蔵(野作東部日記):イコリ 海中ヘ三四町離レテ山ノ如キ大岩アリ
松浦武四郎(廻浦日記):イコンシマ
松浦武四郎(巳手控):イコリ
森春成 他(罕有日記):イコリと字する尖り岩立ち、其形西洋冠の如し・・・
松浦武四郎(午手控):イコリ 何によらずさづけて呉ると云事也
永田方正:イコリ シュマ 高岩 「アプタ」土人「高キ」ヲ「イコリ」ト云フ
森美典(2008):イ・コ・イ(i-kor-i それを・持つ・者)と読むことができる。・・・「海を守護する者」というような意味ではなかろうか。・・・現時点ではi-kor-suma(それを・持つ・岩)と読み取っておくことにしたい。
現行:イコリ岬
私見:ik or o -i[関節・の所・にある・もの]、或いはik or(o)[関節・の所]か?

 午手控の解釈はikorの「宝物」の意味に付会したものであろうか。廻浦日記のシマはsuma[岩]でイコリ岬の先にある高い離れ岩を指していると思われる。


イコリ岬
(イコリシュマ)

 永田地名解の「高い」意味での「イコリ」だが、森美典(2008)は「イコリが『高い岩』の意味とは考えにくい」としており、同感である。山田秀三(1984)が沙流川筋のペナコリについて、「土地の萱野茂さんが、ペナ・コ・リ(上流に・に向かって・高い)とも読めそうだがと言っておられたやに覚えている。それなら言葉にあった名であろう。」としている。これを応用するとイコリ岬ははi- ko- ri -i[それ・に向かって・高い・もの]などが考えられるか。だが、イコリ岬が何に向かって高いのか想像がつかない。イコリ岬の岩より対岸の幌扶斯山の山並みの方が遥かに高い。

 森美典(2008)の「海を守護する者」だが、そのような地形や習慣を表現していない地名がそうあるのだろうかという気がする。イコリにkamuyが居るにしても、イコリに居るからイコリのkamuyなのではないかと思う。

 イコリ岬は海岸線の走向が東から見て南西から西北西に変わる地点にある。この海岸線の向きが変わる地点を「関節」と見てのイコリik or o -i/suma[関節・の所・にある・もの/岩]でイコリ岬の岩を指したかと考えてみるが、アイヌ語地名の中でik[関節]が使われているとされる例を殆ど聞かないので自信がない。

 室蘭の絵鞆半島の太平洋側にマタイコリがあり、永田地名解にも挙げられ、松浦武四郎の聞き取りではマタヱコリとなっている。これはmata ikori[冬・狩]と、知里真志保によって松浦武四郎の聞き取りや永田地名解と大体同じ内容で1960年に再発表されている。冬場に海獣狩りをした所であるという。が、20世紀半ばの知里真志保の地名アイヌ語小辞典(1956)にも20世紀末頃発行のアイヌ語辞典にもikoriで「狩」の意味は載っていない。絵鞆をはじめとした室蘭市域一帯に幾つもあったコタンに程近いマタイコリの辺りに冬の猟だけが意識される地名を付けたり、sak kotan[夏・コタン]やmata ru[冬・道]なら季節を被せてその場所を呼ぶことも理解出来るが、「狩り場」ではなく「狩」だけに「冬」を被せて地名としたと考えるのは無理があるような気がする。

 マタイコリの上に聳える「ぼんず山」は、市役所のある室蘭中心部より先の室蘭半島で南西側に一番膨らんだ位置にある。この海岸線の曲がる屈曲点の辺りの湾と云うことでmatu-ik oro[波打際の屈曲した所(海岸線の曲がっている所)の・関節・の所]か、utに対してutorが出てくるようにikに対してikorがあって、matu ikoro[波打際の屈曲した所(海岸線の曲がっている所)・の関節の所]が、ikなどを用いたアイヌ語地名の例かと考えてみるが、マタイコリはタにアクセントがあるとされ、地名アイヌ語小辞典のma-tuはa にアクセントがあるとされる。語が続くとアクセントの位置が変わることがあると言うが、matu-ik oromatu ikoroで第二音節にアクセントが来ることがあるのかどうか、分からない。

 十勝の育素多は永田地名解が「イウシュ ト 採菱沼」とし、i- uk us to[それ・を採取する・ことをいつもする・沼]と言われるが、ik us to[関節・につく・沼]か。十勝川の旧河道が大きく曲がる所(茂岩付近)に流れ込む枝川の先にある沼である。

 十勝海岸のヲイカマイと書かれた生花苗川は河口付近でL字型に流路が曲がって生花苗沼に注いでいる。o- ik oma -i[その尻・関節・にある・もの]か。

 北見の常呂川支流福山川の先にはイウシュトーがあったとされるが、福山川の落ち口で常呂川は90度屈曲している。

 沙流川支流のイツカナイ川は松浦武四郎の記録でもイツカナイだが、明治の地図にはイカナイとされ、沙流川が120度で直線的に曲がる所で沙流川に注いでいる。ik ka o nay[関節・の上・にある・河谷]か、ik -ke o nay[関節・の所・にある・河谷]か。

 釧路の桜田の阿寒川支流湯波内川(ゆっぱないがわ)は鹿に関連づけられたが阿寒川が直角に曲がる所の上手で合流しているのでik pa o nay[関節・の上手・にある・河谷]か。他にもyuk[鹿]と解されている地名の中にikが紛れているか。

 稚内市の日本海側南端の境川は海岸から300mほど入った所で直角に流れを変えている。エキコマナイという記録は西蝦夷地名考が「本名ヱキコヲマナイ也。ヱキコヲマとは側によるといふ事也。当所小沢小川有。沢せまくして両岸の近き所也。故に名とす。そばによる沢といふ意味也。」としているのは、iki -ke oma nay[その関節・の所・にある・河谷]ということで、「側による」というのは秦(?)に教えたアイヌの人が説明の時に途中から横を向いて海岸の方に寄っていること言ったのに沢の両岸が寄っていると誤解したものか。或いはiki kom ne -i[その関節・(折れ曲がっている状態を表す擬態の語根)・である・河谷]かと考えてみる。明治期のユオマナイというのはブロークンなアイヌ語での、ik oma nay[関節・にある・河谷]か。やはり稚内市のyuk-ruと説かれた夕来は、海岸線の向きが北上するにつれて変化する、海岸線のik[関節]或いはik or[関節・の所]ではなかっただろうか。

 ikの「関節」とは「曲がっている所の一番きつい所」「状態が変化する所」のような意味があったのではないだろうか。

 イコリをik or o -iかと考えたが、マタイコリをマタイクロと発音する古老がいたと言う話があるので、イコリも特にイコリ岬の海上の岩に拘らずイコリ岬一帯を指しての、ik oro[関節・の所]だけの転訛だったのかも知れないとも考えてみる。だが、廻浦日記のイコンシマの「ン」を見るとoroではなく、orの様な気もする。その3の樺利平は所属形が使われるとは考えにくい場所だが、sirariに近い音で記録されている。oroではなくorの可能性の方が高いような気がしているが、或いは両方用いられたかと言う辺りとしておく。

 北見の生田原もikを用いた地名の例かと考え松浦武四郎の記録を見ると、「イタラ・・・その名義乾物の事のよし也」とある。生田原川の落ち口附近の様子指してのアイヌ語のpitar[小石川原]の訛音が、イタラであったように思われる。「いくたはら」の音は永田方正の誤解「イクタラ」によるもので、ikの使われた類例ではなかったようだ。


サカツキオイ

伊能大図:サカツキヲイ岩

 伊能大図には、レブンゲとイコリ岬の間のイコリ岬寄りに島とも言うべき大きな離れ岩が描かれ、「サカツキヲイ岩」と名が振られている。イコリ岬に名が振られておらず、イコリ岬の離れ岩も描かれていないので、イコリシュマの別名と位置の誤認のような気がするが、礼文華川からイコリ岬までの海岸には離れ岩が幾つかあるので、どの岩を指していたのか判断しにくい。最も目立つイコリ岬の岩と考えるのが妥当か。また、礼文華川の河口左岸すぐに「立岩」が描かれるなど、伊能図にしてはこの辺りは不正確さを感じさせるものがある。

 後半のヲイは、〜 o -i[〜・にある・もの]かと思われるが、前半のサカツキが分からない。積丹半島西側の泊村に盃(さかづき)地区があり、アイヌ語地名としての類例かと考えてみたが、山田秀三(1984)は盃は和人鉱夫の鉱石を指す用語「さかつき」が由来ではないかとしている。「鉱石」がそのまま地名になるとは考えにくい気がするが、アイヌ語で何を指したかなどは思いつかない。位置がはっきりしないこともあり、泊村の盃とイコリ岬〜礼文華の海岸の地形に類似性も見つけられない。「サカツキ」のアイヌ語地名は他に送毛川筋・国縫川筋に見ているが、やはり地形の類似点を見いだせない。


トントネエカィチ

松浦武四郎(午手控):トンドニイカイシヽ 草木の生ざる処を云・・・イカイシヽは立石の事也
松浦武四郎(東蝦夷日誌):トントニイカイシシ (立岩)草木の生ぜざる所の義
豊浦町教育委員会:トントネtonto-ne(禿げている)・エカイチシe-kaichisi(頭が取れたように平らになっている)という語源で平らな頭の岩という意味であろう。
森美典(2008):ト゜ント゜・ネ・エカィチ(tuntu-ne-ekaycis 柱・のような・険しい立岩)エ・カィ・チ(頭の・折れている・立岩)で、頂上がもぎ取られたように少し平らになっている立岩をいう。・・・一つの立岩だけをいうのではなさそうに思える。
私見:tontone 〔e- kay cis〕[禿げている・その頭・折れている・立岩]

 2,3本立岩がある。立岩なら柱のようであることはある意味当たり前のような気もする。tuntu[大黒柱]とアイヌ語沙流方言辞典にあるが、アイヌのチセに於いての大黒柱とは何だろうか。隅柱のことだろうか。先がY字になっていることが隅柱の特徴のようだが、それを考慮すると下の右側の写真の立岩か。

 左の写真の岩の方が礼文の街に近く、また、高く目立ちそうである。頂上付近の草木もないようである。だが「頭が折れている」と言えそうなのはもう少し南の右の写真の岩である。両方とも「禿げている」とは言えそうである。tontoneは、tonto-ne[なめし皮・のようである]と分解される。


こんな立岩があった

こんな立岩があった

オタサ

豊浦町教育委員会:オタサム オタota(砂・砂浜)・サムsam(隣・側)で砂浜に続く草原を言う。
森美典(2008):オタサン ota-sam(砂浜〔の〕隣り) 礼文華には他に二つの呼び名があったという

 地名アイヌ語小辞典にある、「砂浜をつっきって砂丘を上って行けば、そこに浜の草原がある。その草原の辺」だという。礼文華の浜の少し上の草原にコタンが築かれたと言うことなのだろう。


ペシュトゥ

森美典(1981):「白井メモ」がいうペシュト゜ル(Pes-uturu 水際の崖・その間)は、岬の名ではなく、礼文華市街地海岸の名と思われる。
豊浦町教育委員会:ペシュトル ペスpes(水際の崖)・ウトルutur(間)の語源からは水際と崖の間という意味と崖と崖の間の意味(平野部)とも取れる。
森美典(2008):ペシュト゜ル pes-uturu 崖・の間 礼文華のもう一つの地名・・・礼文華の海岸は東も西も崖である。

 礼文華市街の東側海岸も崖地形が続く。イコリ岬などに続く東側のpesと、美の岬の西側のpesの間と言うことなのだろう。短形のuturか、長形のuturuかは音で聞いていないので判断できない。



礼文駅より
幌扶斯山を望む

ポロプス

森美典(1981):ポル・ウ・イ(Poru-us-i 岩窟・群在する・ところ)と読めなくもない。・・・幌扶斯山周辺に岩窟がいくつかあるのではなかろうか。
豊浦町教育委員会:ポロ・プ・シ ポロporo(大きい)、プpu(倉・倉のような山)、ウシusi(いつもそこにある、たくさんある)と解釈出来る。この山は礼文華の西方に幾つもの峰連なるようにそびえ海岸からそそり立っている様はまさに大きな倉が連なっているかのように見える。
私見:poro pes[大きい・水際の崖]?

 幌扶斯山のページの山名考参照。

 上記pes-uturuとの関連から、poro pesの転訛かと考えてみたが、確信が持てない。橋の名は山の名の後で、その山の方に向かう道の橋なので付けられたものと考え、橋の場所の名とは考えない。森美典は1981年にはアイヌ語地名として幌扶斯山の名について考察しているが、2008年の発表には出所がはっきりしないのでアイヌ語地名と認めないとしたのか載せていない。


レブンケ・レブンケ・レブンケペッ

菅江真澄(蝦夷廼天布利):リブンゲツブ
今井八九郎(北海道測量原図):レフンケフ(礼文華川河口)、レフンケ(現在の礼文華市街地付近)
市川十郎(野作東部日記):礼文計 古説ニ「レブンケツプ」ト云ヘリ「レブン」ハ突出ノ義・・・
榊原_蔵(野作東部日記):連分解(レンフンケ)ハ沖ヘ出ト云夷語「ゲ」ハ崩ルヽト云フ夷言ナリ 崩レ岩ノ沖ヘ出タルト云フ義ナリ
松浦武四郎(廻浦日記):レフンケフ、レフンケベツ、レフンキ
松浦武四郎(巳手控):レフンケ、レフンケブト
松浦武四郎(午手控):レフンキは何を流しても岸えよらず沖へはね出すが故に云えり
永田方正:レウン ゲ 沖ヘ流レ出ル所 「アイヌ」云何物ニテモ海ニ落ストキハ皆沖ヘ流レ出ル故ニ名クト 蝦夷紀行「レプンケプ」トアルハ是ナリ
山田秀三:レブン・ケ・プ 「沖の(沖の方へ)・削る・もの(断崖)」といった意味だったのではなかろうか。
私見:repun -ke[沖へ行くこと・の所]、repun -ke o p(/pet)[沖へ行くこと・の所・にある・もの(/川)]?

 礼文駅の由来で礼文華川と礼文華地区の名前である。

 森美典(2008)は、上原熊次郎の説に基づく山田秀三(1984)の解釈を支持して集落西側の岩岬を礼文華の発祥と推定しているが、松浦武四郎の廻浦日記ではレフンキがコタンの名として、レフンケフがレフンキの浜の西とレフンキを出て礼文華山道方面に入ってから、更に礼文華山道方面にレフンケベツ等を越えて行くとされている。レフンキとレフンケフなど、別の地名と考えるには音が似過ぎている気がする。松浦武四郎はレフンケフとレフンケベツを別の地名としているということになるが、その河口を意味するputuと思われるブトの付いた巳手控の「レフンケブト」など見るとレフンケ/レフンキでも元は川の名で、レフンケフもレフンケベツも礼文華川の別名ではなかったかと思う。


写真では分かりにくいが
激流の礼文華川河口
上げ潮の様子

 礼文華川は礼文華集落の西にあって河口が狭く、河口の僅かに上流側には広く深いプールのような部分があり、潮の干満で河口では潮の満ち干のたびに上下に激流が生じていた。干潮時の流れは将に「沖へ行かせる川」で、松浦武四郎や永田方正の記した通りであった。この流れは海に出て、そのまま離岸流になっているのかもしれない。堤防工事などで流路も固定され昔とは違うのかも知れないが、噴火湾の最奥で潮汐の波の開放端にあたり干満の影響を大きく受ける位置と、地下水位や海底の地形は昔から変化していないだろうと考えてみた。しかし、このことを礼文華などの音でアイヌ語で言うには、repun -ke p(/pet/-i)(-keは自動詞に付いて使役形を作る接尾辞)では文法的に項が足りず、アイヌ語として文法的に破綻する。かといって、項を充当させるべくi-を接頭してi- repun -ke p(/pet/-i)[それ・沖へ行く・させる・もの(/川/もの(川/処)))]と考えると、伝わる音から離れてしまう。山田秀三(1984)の説も「削る」意味でのkeが二項動詞なので、レブンを自動詞と考えても連体詞と考えてもpの一項しかないので項が足りずアイヌ語として文法的に破綻する。自動詞の名詞的用法で「沖に出る(ある)こと・削る・もの」と言う解釈なら文法的には成り立ちそうだが、意味が分からない。

 repun ki p(/pet/-i)[沖へ行く・ことをする・もの(/川/する処)]なら文法的に成り立つが、実態や伝承は川が沖へ行くのではなく、川に浮かべたものが沖へ行くと言っている。地名で意味を変えずに音を増やしてどうするのかという気もする。まだ考える必要がある。

 自動詞の名詞的用法ということでrepun -ke[沖へ行くこと・の所(河谷/コタン)]とrepun -ke o p(/pet)[沖に行くこと・の所・にある・もの(/川)]かと考えてみる。-keは先の使役の接尾辞とは別の場所を指す接尾辞である。これなら沖へ出て行くのがモノでも水流そのものでも言えそうである。また、repun ke pで、「沖へ行くこと・削る・もの」と考えると意味が通じない。

 有名な道北の、礼文駅と同じ漢字表記の礼文島はrepun sir[沖にある・地]で、アイヌ語では同じ表現(repun)だが品詞が違い、日本語でのニュアンスも異なる。


その1(静狩からプヨヌプリ)

参考文献
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2)今井八九郎,北海道測量原図(東蝦夷地),東京国立博物館蔵デジタルコンテンツ
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4)榊原_蔵・市川十郎,野作東部日記,1855-56.(北海道立図書館蔵原本北海道総務部行政資料室所蔵の複写本)
5)松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
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7)森春成・高井英一,罕有日記 巻7,1857.(函館市中央図書館蔵写本)
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12)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
13)松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
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15)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1984.
16)中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
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18)知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
19)伊藤せいち,アイヌ語地名V 北見,北海道出版企画センター,2007.
20)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
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24)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 中,北海道出版企画センター,1985.
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27)松浦武四郎,吉田常吉,新版 蝦夷日誌 上 東蝦夷日誌,時事通信社,1984.
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29)森美典,西胆振のアイヌ語地名考 上,森美典,1981.
30)上原熊次郎,蝦夷地名考并里程記,アイヌ語地名資料集成,佐々木利和,山田秀三,草風館,1988.



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(2009年4月16日上梓(親頁から分割) 2017年4月23日その1〜4に再編・改訂 9月17日改訂)