幌扶斯山 (412.5m)
ぽろぷすさん

 噴火湾にほど近い海際の山だが、展望はそれほど良くない。昔は登山道があったようだ。今でもそれを辿れる。しかし最近の刈り分けも見られた。これは何を意味するのだろうか?JR室蘭本線礼文駅から歩いて登れる。

幌扶斯山の地図1幌扶斯山の地図2

★礼文駅から

 礼文駅の駅前交差点を突っ切って、北西へ学校の前を進む。礼文華川を「幌扶斯橋」で渡り、その先で左に折れ、山へ入っていく。この先いくつかルートがある。途中、墓地があり道が二手に分かれる。直進して標高70mほどで再び左折ぎみに沢を渡り、南へ斜面をトラバースする。その少し先でまた二股で、右折して墓地で分かれた道と合流するようになっている。トラバースを続け、二つか三つ目の出尾根の先端で林道が分岐しており、この辺りから右手の斜面へ入っていく踏み跡が何本か見られる。しかしあくまで「踏み跡」で「道跡」という雰囲気ではない。これを登ると後述の自分が初めて下ったルートより近道である。ヤブは薄いし目印テープも少ないながらある。230mあたりで合流する。分岐で林道を左に入るとすぐに行き止まりである。林道を右に入ってさらに進むと谷の部分で最もマシな踏み跡がある。これを登る。僅かに水の流れる沢沿いを少し登ると右の斜面に入り、トラバースとなる。このトラバースになるまでがややヤブが濃い。トラバースして先ほど分けた尾根上の「踏み跡」と合流すると(このあたりでは踏み跡はないのだが)、ハッキリした道となる。北斜面を巻きながら標高を上げていく。


礼文駅駅名票

駅から見た幌扶斯山

林道から歩道へ

 幌扶斯山の南の鞍部まではハッキリしているのだが、ここから先がよく分からない。南西斜面に向かって新しく水平に太い刈分けがあるのだが、これは山頂に達していない。山頂へはここからは濃いネマガリタケのヤブ漕ぎであるが10分ほどで山頂に着く。山頂は木々とネマガリタケに囲まれ、それほど展望は良くないが、礼文華の街と有珠山、羊蹄山、室蘭方面がわりとよく見える。

三角点の画像
謎の立派な刈分け

礼文華の街

 墓地で分岐した道は230mまで標高を上げ周回している。「道路」としてはここがもっとも山頂に近づくが、ここから「踏み跡」のある北の鞍部まではヤブである。下の方は中途半端に伐採放置された雰囲気でヤブがかなり繁茂していてつらい。上部は杉の植林下となりヤブ自体は薄いがイラクサが多い。植林の際の作業道跡としての段差はあるが、人が最近に移動で用いている雰囲気は全く感じられなかった。ヤブに進入する部分(林道最高点付近)はクロイチゴがいい具合に茂っていて、棘は痛かったが実は美味しかった。

 北の鞍部から山頂までの尾根線にはミズナラの大木が何本か見られた。


★小幌駅から

 小幌駅から、大潮の時なら海岸線を歩いて幌扶斯山へ登れる。ただ何度か少しだけ足を濡らすし、目印のテープはあるが登るルートは完全にヤブなのでスパイク足袋が良いと思われる。

 樺利平の磯が東に果てる谷から登る。右に向かってヤブを漕いで登っていると標高150mほどに鹿道のようなものを見つけられるだろう。これで一つ尾根を越え、谷を越えもう一つ尾根を越えると、あとは草が主体の谷筋を登るだけである。海岸線は高い崖で登れないが、標高150mまで上がっていれば、上は緩やかな地形である。シラネアオイが多かった。時折目印テープがある。釣り人などがこのルートを利用しているのだろう。

 北の鞍部からは、比較的明瞭な踏み跡が北東斜面に付いているが、山頂までの半分ほどの距離で不明瞭になり、最後の一登りは猛烈なネマガリタケのブッシュである。南側にもあった、これらの中途半端に存在する踏み跡や刈分けは一体、何の為のものだったのだろうか。


このような崖は
登れないので迂回

ヤブは
薄い

羊蹄山と
JR特急北斗

★山名考

森美典(1981):ポル・ウ・イ(Poru-us-i 岩窟・群在する・ところ)と読めなくもない。・・・幌扶斯山周辺に岩窟がいくつかあるのではなかろうか。
豊浦町教育委員会(2000):ポロ・プ・シ ポロ poro(大きい)、プ pu(倉・倉のような山)、ウシ usi(いつもそこにある、たくさんある)と解釈出来る。この山は礼文華の西方に幾つもの峰連なるようにそびえ海岸からそそり立っている様はまさに大きな倉が連なっているかのように見える。
私見:poro pes[大きい・水際の崖]?

 大正2(1913)年の三角点設置が初見らしき地名である。「幌扶斯山(ポロプスサン)」は山頂にある三角点の名前で、他に幌扶斯橋の名で使われていて橋の読みはホロフスだという。橋の名は山の名の後で、その山の方に向かう道の橋なので付けられたものと考え、橋の場所の名とは考えない。森美典(1981)はアイヌ語地名として幌扶斯山の名について考察しているが、2008年の発表には出所がはっきりしないのでアイヌ語地名と認めないとしたのか載せていない。だが、日本語でこのような音にはならないと思う。何らかのアイヌ語地名が元になっていると思う。

 私が東斜面・西斜面を少し歩いた限りでは、特に岩窟は見られなかった。南側の海岸線は見ていない。豊浦町教育委員会(2000)の pu[倉]と例えるには、他の pu 地形と比べて頭の高さが足りない気がする。アイヌの pu[倉]は高床式で、プーネシリと言われる札幌の神威岳の形状を考えると pu 地形にはそれに対応する足の高さが必要な気もする。道北の敏音知岳もプウネシリのようだが、足の高さは無いようだからそうでもないのか。それでも敏音知岳は幌扶斯山に比べればかなりの急角度で高く聳えている山である。プウネシリが今は敏音知となっているのは、或いは元が pu ではなかったのか。

 伊達市有珠地区の地名でホロクス/ホルクスというものがあり、考証の結果、ホロカウシが原義で、転訛したものであると言うことに結論付けられた4)。この転訛のパターンをポロプスでも当てはめて、ポロパウシ 〔poro pa〕us -i[大きい・頭・がつく・もの]かと考えてみた。幌扶斯山は鈍重な大きな頭のような山頂が幾つか並んでいる。文法上はポロプスの前にポロパといったアイヌ語地名があったことになるがそうした記録は見ていない。また、poro pa と言った例を他に知らない。幌扶斯山の名なら poro pa だけで良いような気もする。或いは川の名として「大きな頭につくもの」と言ったものか。しかしホロフス橋のある川の名は礼文華川である。ホロクス/ホルクスは松浦武四郎の記録でホロカウシと「ウ」が入っており、有珠湾岸の低平地から有珠湾南東方の丘陵地に取り付く所であり、hurka ous[高台・の麓]が元だと思う。

 礼文華の平野部を指すらしいペシュトル pes utur[水際の崖・の間]と言う地名がある2)ので、イコリ岬周辺の崖の海岸一帯を礼文華の東側の「美の岬」一帯と対になる poro pes[大きい・水際の崖]と言ったのがポロプスの元の姿ではなかったかと考える。美の岬一帯を pon pes[小さい・水際の崖]とする。しかし美の岬一帯を pon pes とする史料は見ていない。pes はアイヌ語沙流方言辞典では「海岸の砂浜(otanikor オタニコ)より上の、山になっている所(段丘(?))の斜面」とされ、pon poro で修飾されるものなのか疑問が残る。riram かも知れないと思う。pes を「水際の」と訳すのは適切でないのかもしれない。「水際の立っている面」といったところか。

 伊能図ではレブンゲの浜の前の海上に「ホロビ岩」があることになっているが、現在の礼文華の浜の前の海上に岩は無い。今の漁港が作られる前の国土地理院の1970年代の航空写真を見ても、浜辺の東端に突堤がある以外はまっすぐな砂浜が続くだけで岩は無い。正確と言われる伊能図だが、この辺りは海岸沿いに測量していないこともあって、礼文華川の河口すぐ東に「立岩」が書かれていたり、イコリ岬の北東海上に島のように大きな「サカツキヲイ岩」が描かれるなど、どうも怪しい所がある。怪しいのではあるが、礼文華周辺に「ポロピ」と呼ばれる岩があり、poro pi[大きい・石]で、〔poro pi〕us -i[大きい・岩・がついている・もの(川?)]で礼文華川(と拡充されて礼文華地区)を指したことがあったかとも考えてみるが、「ホロビ岩」が今のどの岩なのか、過去のものならどこにあったのか、分からない。礼文華川の河口すぐ西には大きな岩があり、これをホロビ岩と考えると、離れ岩になっているイコリ岬までの間に立岩が幾つかあるので、伊能図の沿岸が全体として少し東にずれていると考えると実際の地形に合いそうな気もするが、河口すぐ西の岩は大きくて砂浜の中に座り込み、近くに寄ればそれなりに目立ってはいるのだが、あまり高さが無くて、目印になると言うほどのものでは無い気がする。イコリ岬までの間にある「立岩」の類の方が大きいので、これが poro pi で、礼文華川が 〔poro pi〕us -i の発祥とは、シンプルなことを言っているのに文法的に二重構造であったり、どうも言い難い気がする。

参考文献
1)森美典,虻田地方史研究 西胆振のアイヌ語地名考 上,森美典,1981.
2)豊浦町教育委員会,豊浦町のアイヌ語地名,豊浦町教育委員会,2000.
3)森美典,豊浦町・洞爺湖町・伊達市・壮瞥町のアイヌ語地名考,森美典,2008.
4)池田実,有珠沿岸の地名,pp49-72,7,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター(発売),2005.
5)田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
6)知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
7)渡辺一郎,伊能図大全 第1巻 北海道・東北,河出書房新社,2013.



トップページへ

 資料室へ 
(2007年8月18日上梓 9月7日追加 2017年9月9日改訂)