安瀬山 (654.1m)大沢西面直登沢
やそすけやま

 一等三角点が設置されている石狩市厚田区の山。絶海の無人の海岸から高度経済成長時代の長大トンネル、明治大正の歩道国道、江戸時代の北方警護の為の新道開削と歴史を感じさせる舞台である。

 安瀬(やそすけ)は難読である。「瀬」の古訓の動詞「すすぐ(/濯/漱)」の命令形/已然形で「ススケ」として、「やそすけ」の音に近いように濁点無しで用いたものと思われる。「やすすすけ」とも読まれそうだがこの字で「やすすけ」としたのは、日本語で重出する音節(この場合は「す」)が続くと一つが落ちることがあることが知られていたからであろう。


 入渓点は国道231号線、安瀬集落北方にある「滝の沢トンネル」のほぼ中央にある。トンネルの南詰に少々の駐車スペースがある。トンネルの歩道を進むこと600m、トンネルのほぼ中央の両側に小さな出入口が設けられ、海側のものは閉鎖されていたが山側のものから外に出て沢に下りられた。

 出入口をくぐると沢は函状で屈曲しており、すぐ先のカーブを曲がるとすぐに釜を持った2mの両岸の切り立った滝が現れる。岩が安定していれば右からへつって登れそうだが、ボロボロした岩コロの抜けやすい集塊岩でホールドが柔らかく微妙である。


滝の沢トンネルの中央

F1

 振り返ると土中からむき出しになった滝の沢トンネルの右岸の上に梯子が掛かっているのが見える。それを使って滝場を巻こうと考えた。トンネルの山側からは切り立っていてトンネルの上に登れないので、一旦トンネル下の沢の水を通した通水孔から海側に出てトンネルの上に上がる。

大沢付近の地図1大沢付近の地図2

 その前にトンネルから10mほどの海まで下りてみた。チカセトウシナイは滑床になって、せせらぎながら静かに海に注いでいた。 河口は両岸を高い崖に囲まれた静かな湾で穏やかなところだった。エゾキスゲやセンダイハギがきれいに咲いていた。海水をかぶる河口最後の岩盤には直径30cm程度の垂直の穴が並んでいる。ポットホールかと思いきや列をなして整然と並んでいるのはニシン漁が盛んだった頃に、この河口にニシンを一時保管する小屋(ナツボ)や船着場が建てられていた跡だと言う。ナツボなどの柱としての矢来(やらい)を立てていた跡だという。

 トンネルに戻って梯子を登って右岸を高巻く。この梯子はどうもトンネルに並行する送電線の管理用のようだ。梯子の高さまで上がると棚状になっていて歩きやすい。踏み跡はジグを切って送電線の下を登っているが棚のヤブを進み、更にすぐ上のF2(2m)も併せて巻いて、適当に傾斜の緩いところを見つけて沢に戻る。

 その上では滝はないもののまだ両岸切り立っており、へつったりしながら進行する。曲がりくねっていて時間が掛かった。

(2009年11月河口だけ再訪)
これらの大沢の濃昼山道より下部にはかつてニシン漁の番屋があったという。左岸には番屋跡の敷地と濃昼山道から河口までの道があり(一部は崩落して跡形なし)、右岸には鰊干場があったと言う。両岸とも石垣が残り、かつては橋がF2のあたりに掛けられていたと言う。F2を右岸から巻いた後、左岸に渡って濃昼山道に抜けるのが早い。


F1,F2を巻く途中から河口を見る

函の様子

 10分ほど行くと石造りの橋脚の残骸が現れ驚く。沢は開けてくる。帰宅後調べてみると、滝の沢トンネル開通前の国道231号線「濃昼山道」とのこと。平成17年秋に再整備が終わり、ハイキングコースとして復活したと言う。濃昼山道は100mほど右岸を沢に沿った後、山の斜面に登って続いていた。

 その後は普通の沢になり、淡々と進む。標高150m付近に チョックストーンを3つ抱えた5mほどのゴルジュ滝(F3)があるが、左岸から簡単に巻ける。


濃昼山道の橋脚跡と丸木橋

F3

 標高200mの二股は、直登沢は右なのに左側にマーカーが掛けてあった。 これも帰宅後調べてみると濃昼山道は、開削当初は橋脚跡の先で山の斜面に登らず、何度も渡渉しながら200m二股の左の沢沿いを進んで尾根を越えて濃昼に続いていたらしい。その調査の為のマーカーだったように思われる。開削後に太島内地区の住民の便宜を図るため付け替えられたと言う(現在の太島内地区は無人)。これらの道は当時の鰊漁で儲けた地元の金持ちが私財を投じて開いたのだと言う。しかし、沢沿いに道があったような痕跡はもう全く見当たらない。


平凡な沢の様子〜新緑が美しかった

インゼルがあった

 標高300mの二股を右に入ると大きな雪渓が現れ、 その左岸は尾根線まで見事なスラブ状になっていた。こんなスラブは地図からはちょっとわからない。

 標高400mの西面直登沢出合は7mほどの滝になって雪渓の下に落ちていた。右から巻いて沢に戻ると水が次第に少なくなり傾斜がきつくなる。かなり上の方まで水があり小滝が2つほど。最後はそれほど濃くないヤブをつかんで稜線に出ると、数年前の三角点再測量時の刈り分けがあり、10mほど進むと一等三角点のある山頂に到着。天候はガス。


傾斜が掛かると雪渓が現れる

左岸はスラブ状の雪崩斜面

 稜線の刈り分けは300mほど北の北峰で終わっていた。東側の左股川源頭はヤブが薄く、測量隊はここを登ってきて、ここから先を刈り分けたと思われる。

 下山時は下部のゴルジュとF2、F1を巻くのが面倒なので橋脚跡から南へ濃昼山道を歩いてみた。橋脚跡から緩やかにトラバースしながら標高を上げるのかと思いきや、しばらく行くと細かくジグを切った「九折」となった。「九折」の呼び名は読み物として出版された松浦武四郎の西蝦夷日誌に先行する丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌の中にも登場している。滝の沢を渡るのもずいぶん内陸までトラバースして遠回りで時間が掛かってしまった。大木茂る樹林下の道で、時折海も見えて気持ちの良い道であった。

参考文献
厚田村,厚田村史,厚田村,1969.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1982.
西蝦夷地アツタ場所略図,西蝦夷地御場所絵図,江差町史 第1巻 資料1,江差町史編集室,江差町,1977.
松浦武四郎,吉田常吉,新版 蝦夷日誌 下 西蝦夷日誌,時事通信社,1984.



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(2006年6月17日上梓 7月14日加筆 2009年5月5日川名考改訂 8月31日川名考改訂 2017年5月30日川名考改訂 6月25日川名考等分割)