シュクトツ山(26.1m)
室蘭は白鳥湾の湾口に聳える白鳥大橋の足元にある山。昔は島だったらしいが、室蘭の発展と共に陸続きとなり、山頂も削られたりしたようだ。シュクトツ山、シクトツ山、大砲場などと呼ばれているようだが、今は白鳥大橋展望台と言う名が一番強いのかもしれない。2008年4月に初めて登った。
★展望広場公園コース
室蘭中心街から白鳥大橋の交差点で右の細い道に曲がると白鳥大橋展望公園の駐車場がある。ここはトイレと東屋も完備である。
駐車場からすぐに山の斜面になり、擬木の階段が一直線に山上台地に向かって続いている。手すりはあり、それほど長いわけではないので危険ではない。
山上台地に上がりきると平坦なプロムナードを進む。ハマナスが植えられていて花の時期は美しい。正面には展望台があり、階段か斜路で登ると、白鳥大橋の展望が広がる。そしてここがシュクトツ山の最高点だ。
★いこいひろばコース
展望広場公園から更に車道を進むと左手に室蘭港湾事務所を見て、その先に駐車場と「いこいひろば」の園地がある。こちらも東屋があり、ベンチもある。展望台より古い公園のようだ。少し寂れている。石碑がいくつかあり、時代を感じさせる。車道は更に続いているが、ダートとなりブイセンターの門で行き止まりである。
いこいひろばの奥から擬木の階段があり、山肌に取り付く。中途まで登ったところで階段は終り、少し広くなっている。そこから先は荒地の斜面を登る。コンクリの何かの傾いた遺構が笹薮の中に見えた。すぐに荒れた山上台地の一角に着く。山の上はハマナスやハギが多い。三角点はこのヤブの中にあるはずだが見つけられなかった。目の前には展望台があるがコンクリの壁で取り付く島がない。また、展望台の両脇は笹が生い茂り、擬木の柵もあり、展望広場公園コースに合流するには多少の困難がある。
いこいひろば こちらにも東屋 |
コンクリ遺構 (バックは鍋島山) |
ブイセンター |
展望台 三角点側から |
山田秀三は sikutut us i[エゾネギ・群生する・処]とする1)2)。知里真志保は船で移動しなければならないところでアサヅキ(ママ)を採取するのは無理があるのではと疑問を呈している2)が、ここはそれほど昔の絵鞆半島本土から遠いわけでもなく湾の静かな浅い海が広がっていたはずなので、船でエゾネギ(アサツキ)の採取に行くのにそれほど困難ではなかったのではないかと考える。
今はエゾネギはなさそうだ。見かけなかった。明治時代にもなかったらしい1)3)。大砲場という別称2)が示すように戦争の頃に大規模に土地改修も行われ、これだけ小さな山だけに表土も一度は殆ど剥がれているのだろう。港湾事務所裏の山の段やコンクリ遺構もきっと、大砲などを設置するために山肌を削った跡だろう。
オタルナイレコードの浜田さんは小樽の祝津を si kut ous または si kut or ではないかとしている。「大きい崖の麓・大きい崖の処」と言う意味だ。エゾネギを採取するというのは困難ではないかも知れないが、いちいち舟を出してまでするような作業とも思えない。明治時代にもエゾネギのなかったらしい小さな島ではそれより昔も無かったのではないか。怪しいエゾネギの群生よりは地形を表現した si kut ous か、si kut or の方が室蘭の祝津でも蓋然性が高い気がする。室蘭の祝津町で大きな崖というと、鍋島山北面の崖が気になる。だが、その崖は出崎であったポロシレトゥを削って整地した跡だという。
シクトツ山の場所は絵鞆半島の北端である。東に行くにも西に行くにも南下する場所である。祝津の街の辺りが海岸伝いに移動する時、イヨシサンベに遮られていた視界が切り替わる sir-ik[見える有様の・関節]であり、その sir-ik の辺りに付いている島と言うことで、sir-ik or us -i[見える有様の・関節・の所・についている・もの(島)]が訛ったのがシクドゥシではなかったかと考える。
白鳥大橋の 脚の下に・・・ |
展望公園の 駐車場から |
エゾネギ (室蘭の別の場所) |
参考文献
1)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
2)知里真志保,山田秀三,復刻版 室蘭市のアイヌ語地名,知里真志保を語る会,2004.
3)永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
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