栄富士 | (約60m) |
さかえふじ |
室蘭栄高校の浜側に聳える山。室蘭栄高校出身者からこの名前を知らされるもまだ、それ以外の室蘭人からのウラが取れていない。ネット検索ではヒットする。これらの記事を書いた人々も栄高校出身者なのだろうかなどと考えながら読んでいる。栄高校出身者は部活動のトレーニングで登ったりすると言っていたけれど、栄高校からこの山に登るには、国道36号線を信号のある交差点で大きく迂回しなければ登れないから、それほど近い山とは思えない。逆にその遠回り加減が学園生活に良いのか・・・。登山者なら東室蘭駅からは徒歩圏内。砕石山・石山と呼ばれていたこともあるという。
この山はイタンキ浜の中央に位置し、イタンキ浜をポロイタンキとポンイタンキに分けている。南の浜側にはイタンキ漁港の鯨岩に連なっている。山頂近くの三角点は「板抜」でイタンキの音を引き継いでいるが最高点とは5m以上の標高差があるように見える。山の西斜面南半はイタンキ漁港の漁民の耕作地が広がる。北半はマツが植林されている。東斜面は低い笹原で、北海道の太平洋側の海浜に位置するだけに少し原生花園の痕跡がある。北斜面は砕石が行われたようで崖となっている。所在地そのままにイタンキ山と呼ばれることもあるようだ。
★イタンキ浜(ポロイタンキ)から
蘭東の太平洋岸を走る国道36号線(室蘭国道)で札幌側から鷲別を過ぎて下水処理場の次の交差点で浜側の側道に入ると、夏の休日ならサーファーの車が列をなして駐車されている。水産工場の山側にピラミッドのような中国人殉難烈士慰霊碑があり、その横から登山道がある。車道は奥で水産資材置き場となって行き止まりである。
登山道は緩やかにジグを切っている。昔の砕石を下ろす道だったのだろうか、この斜面自体も砕石現場だったがその後の年月で笹で覆われたのだろうか。笹で覆われているがエゾカンゾウなどの花も季節が合えば見られる。最後のジグの辺りは岩礫地となっており、鳥類の砂浴び場になっていた。
すぐ先の黒松の若木が少し茂っている辺りに55.5mの三角点「板抜」があるが、最高点は更に先である。少し道が荒れてきて草がかぶるようになる。最高点は少しコンモリと盛り上がっており、道は山頂まで続いておらず、踏み跡が西側を巻く様に続いている雰囲気である。最高点の東側は笹に隠れていて分かりにくいが、笹の根で石ころが山につながれているのかと思うほど切れ落ちていることが南側から見ると分かるので、あまり無理をして山頂に立たない方が良いように思われる。南側にはカシワの森が少し見られる。
山頂からの展望は東側はイタンキ浜が鷲別岬まで伸びて良いが、西側は樹林に遮られてそれほど良くない。北側は室蘭岳がよく見える。栄高校は山体に隠れて見えにくい。栄高校を見下ろすなら三角点手前の最後のジグの岩礫帯である。
2008年11月と2009年6月に登頂。
栄富士がイタンキ山とも呼ばれたと言うことから、イタンキという地名についても考えてみる。
イタンキ浜のアイヌ語の由来は沖にある鯨岩を寄り鯨と間違えて、お椀(アイヌ語でイタンキ)を持って食べられるように更に寄ってくるのを待っていたとする、伝承のあり方そのものとアイヌの生活技術自体を見くびっていると批判される俗説が従来力を持っていたが、イタンキ浜で見られるツメタガイの卵塊(通称「砂茶碗」)にちなむとの説1)2)もあげられている。私も2009年6月に砂茶碗を当地で見た。だが、通年で見られるわけでもない砂茶碗がそのままそれだけで地名になるものだろうかという気がする。お椀を持って待っていた話にしても、お椀がそれだけで地名になるとは生活技術云々以前におかしな話だ。山田秀三(1984)は、鷲別岬とイタンキ岬に囲まれた海岸が椀のように円く見えるのでイタンキと呼ばれたのであろうとしているが、下に掲げたイタンキ岬のすぐそばの栄富士から見たイタンキ浜と鷲別岬の写真に見るとおり、鷲別岬とイタンキ岬の間の海岸は直線状で椀のようには見えない。
栄富士は、中は岩山だが砂地の表面も見られる。イタンキとはポロイタンキ側から見た栄富士の、山頂が崩れている姿をアイヌ語のエトゥユンキ e- tuy hunki[その頭・くずれる・砂丘]の訛りかと考えてみる。或いはイタンキ岬がイタンキ浜のほぼ中央で突き出ている事を言うエトゥルケ etu orke[鼻・の処]の転訛かとも考えてみる。知里真志保(1956)はアイヌ語の hunki[砂丘]を hur-ke(丘・の処)と分解している。アイヌ語で閉音節末尾の r が k に続く時、n に転訛することは考えられるのではないか。松浦武四郎の記録は今のイタンキをイタンケと記している。
また、ウトゥナンカルシという地名がポロイタンキの東の端の辺りにあったようで、知里真志保(1960)が「ウ・トゥナンカル・ウシ・イ〔互いを・出迎え・つけている・所〕〔いつもそこで出迎いあう場所〕」とし、「昔イタンキ浜で鯨祭が行われた際に東西から来た人々がこの場所で相会する習だったのではなかろうか」としているが、鯨祭そのものは兎も角、迎え合うことは地名の音だけから推測のようであり、その場所の地形や地形に基づいた習慣によらない解釈なので多少は疑ってみても良いように思われる。ポロイタンキの砂浜の東の端から鷲別岬の山までの間の海岸は低い崖が続く丘のようになっている。長い地名であるだけに訛りやすく、ここでワシベツコタンなどのアイヌがイタンキ岬の方を何かと見張る etu -na nukar us -i[鼻・の方・を見る・ことを習いとする・所]の転訛ではなかったかと考えてみる。そう考えると、「イタンケ」も合わせてイタンキは e- tuy hunki ではなく、etu orke ではないかと思う。
アイヌ語地名「イタンキ」は南茅部の安浦付近にも残る。菅江真澄は「こゝにイタンギという磯(コタン)の名あり(頭注--イタンギは椀をいひ、シユマイタンキとは茶碗をいうとなん)。」云々と記していて、ギはアイヌ語ではキと区別しない音なのでイタンギはイタンキと同じことだが、安浦付近には栄富士に類する地形は見られない。安浦の少し北に弁天岬という、「鼻」に例えられそうな地形がある(弁天岬を菅江真澄はリブンシリとしている)が、弁天岬は全てが隣の臼尻地区に含まれ、弁天岬と安浦の関係はイタンキ岬とイタンキ集落の関係とは異なる。アイヌ語の pe-aw(川の股)がペタンとされることがある。松浦武四郎は「イタキ」と記している。安浦付近イタンギは etu aw -ke[鼻・の隣・の処]の転訛ではなかったかと考えてみるが、更に考えたい。
栄高校 奥は室蘭岳・カムイヌプリ |
中国人殉難烈士 慰霊碑 |
山頂からイタンキ浜の 向こうに鷲別岬 |
イタンキ浜から見る栄富士 |
八丁平から見下ろすと確かに富士 |
花もあります |
参考文献
1)久末進一,謎の「イタンキ」 ―地名と伝承の間―,p8,27,室蘭文芸,室蘭文芸協会,1993.
2)久末進一,アイヌ語地名の謎と伝承,p201,室蘭史話紀行,平林正一・久末進一,平林正一,1998.
3)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
4)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1956.
5)松浦武四郎,吉田武三,三航蝦夷日誌 上,吉川弘文館,1970.
6)松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
7)知里真志保・山田秀三,(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名,知里真志保を語る会,噴火湾社,2004.
8)菅江真澄,内田武志・宮本常一,菅江真澄全集 第二巻,未来社,1971.
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