楽山 | (83m) |
らくざん |
山頂にある室蘭市の浄水場で目立っている山。かつては栗林家の放牧地で酪山(らくさん)と云った1)そうだが、今や山頂に立っても牧場も見えない市街地の山になってしまったので楽山でもいいのだろう。アイヌ語の名はピスンモイワ pisun〔mo iwa〕[浜の・モイワ]1)で、正真正銘のモイワである。しかし、対になる「キムンモイワ=山のモイワ」は記録も伝承もなく、今となってはもう判らないのではないかと言うことだが、仮説としては楽山の北峰や天神山などがあげられるという1)。(2007年11月登頂)
★北方から
地形図(2009年現在)にある海星学院からの道は廃道状態であった。海星学院の北方の道(知利別高砂通)が楽山の北側を切通し状に通過する西の端に登山口がある。周辺は知利別公園として整備が続けられていた。
一登りして尾根に上がると公園状である。更に進むと周辺に地元の人の菜園が西側に続く。
どこが北峰だかハッキリしないまま下り始める。北峰の最高点らしき辺りではベンチが連なり展望は良い。
下りきったコルには高砂町方面への下山路(階段)があるが、既に高砂町の町並みも木の間越しに見えている。この辺りから西側の山腹も見えるようになり、知利別公園の園路が稜線に平行しているのが見える。
楽山の最高点と思われる地点は浄水場の敷地内なので入れないが、山頂一帯は非常に平坦で、もう標高では1mも立入禁止の柵と最高点で変わらないだろう。柵の前から覗き込むに、最高点は浄水場の配水池の土盛りの上で、これは人工の最高点と言えるかもしれない。あまり最高点にこだわらなくても良さそうだ。このあたりは樹林の中で展望は得られない。
柵の手前の西側に踏み跡があったので、そこから知利別町の稲荷神社の横に下山した。
少し古い、と言っても戦後のものだが、地図で楽山北峰に95mと振られていたのを見た覚えがある。しかし、登ってみても北峰は10mも南峰より高いとは感じなかった。
対になるキムンモイワの仮説として上がっている天神山だが、私が見る限り、現行地形図の天神山(212m)は共感を持って指呼できるような顕著なピークであるとは思えない。平坦な八丁平の一角の最高点に過ぎず、「あれが天神山」と誰でも見分けが付くような存在ではないと感じる。
当初は、浜を絵鞆岬の方として、山は北海道本島の内陸として、キムンモイワは鷲別ぼんず山ということはなかっただろうかと考えていたが、昭和3(1928)年の内浦湾の海図では楽山に午房山と、室蘭工業大学と知利別貯水池に挟まれたすぐ上の170mのコブに市九郎山と山名が振られていたのを見て考えを変えた。この海図で他の周辺の小山に山の名は見られない。対になってこれらのピークに海図で名前が振られているのは、海上から目に付くなどそれなりに理由があったのではないかと思う。海図で市九郎山と振られた170mのコブも天神山と呼ばれているようで、この山ががキムンモイワでなかったかという気もする。楽山の別名であった午房山の名は何に由来するものなのかよく分からない。楽山の南端に位置する浄光寺を指しての「御坊」かと考えてみたが、浄光寺は昭和35年に中島町から移転新築された3)という。
ラクザンの音は本当に酪農の山ということなのだろうか。放牧地の山と言うことにこじつけたのではないかという感じがする。
昔は白鳥湾縁が崖岬やヤチで通行困難だったので、本輪西方面から東行する道は八丁平を越えて知利別の奥に出て、楽山の後ろを越えて高砂町に下り、鷲別に出て絵鞆などへ向かったという。ラクサン/ラクザンの音の記録の初出を確かめていないが、その昔の道の、知利別高砂通りの緩い鞍部越えの横の辺りと言うことの 〔ru ok〕sam[道の・うなじ・のそば]と言っていたの日本語に入ってラクサンになり、サの濁音がザになる日本語訛りでラクザンになったのではないかと考えてみる。
参考文献
1)知里真志保・山田秀三,室蘭・登別のアイヌ語地名,知里真志保を語る会・噴火湾社,2004.
2)海軍水路部,海図「内浦湾一名胆振湾」図幅,海軍水路部,1928.
3)室蘭市史編さん委員会,新室蘭市史 第3巻,室蘭市役所,1985.
4)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
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