母恋富士(141m)
御前水町と母恋町の間の山。室蘭市内の小山の中では珍しく本格的な縦走路が整備されており、登山口も多い。山容は富士型であるものの荒れたもので、山頂直下には何か大きな施設があったのではないかと思わせる人工的な馬蹄形の窪地があるが、砕石の跡らしい。山肌に大きな樹木はなく、植樹中心の林や、まだ若い植林仕立ての森とは言えないような斜面が多い。しかし、植樹・植林は進んでいるし、山の要所には名前が付けられ、道も多く、地元に愛されている山だと感じる。ふるさとの森21と言うプロジェクトがあったようだが、植林による環境改善がメインの計画だったのだろうか。この計画で登山道も整備されたのか。
★母恋北町から
母恋駅前からは南東に聳えるのがよく見える。確かに富士型の山だ。昔はもっと富士型だったと言う。バス通りを少し東に歩き、母恋北町の家並みが薄まるあたりから南へ入り、母恋の中心部より少し高い所を歩き、途中から山へ向かう。登山口には看板がある。
この道は古い作業道のようだ。笹原を刈り分けて踏み固められたような歩道だ。次第に樹木が現れるようになり、「いこいの森」の看板がある。道の脇には日本製鋼所の要人が植樹したらしい名札付きの若い木が多く見られる。御前水入口からの道と合流(対面)する地点から細い道となり、階段やロープもあるが厳しいわけではない。すぐに母恋南町2丁目からの広い道と合流してすぐ先に東屋がある。このあたりは「港の見える森」というようだ。日本製鋼所の工場群が眼下に広がる。その向こうに室蘭港が広がっている。
東屋からジグを切って次のジグの先に広場があり、石仏と四等三角点がある。母恋富士山頂部の崖と窪地が見えるようになる。ここまでは広い道だが、ここからは階段の混じる細い山道だ。階段を登っていくと硫黄の影響を受けたような晒されたような地面があったりするが、そこには立ち入れないように柵があった。右手はすぐ崖。柵を越えるのは危険である。少し稜線を登ると母恋富士の山頂だ。山頂には156mと書かれた山頂標識があるが、この標高がどこから出たものかはよく分からないが、砕石されて削られる前の標高か。南側の展望が開ける。山頂直下の窪地の水溜りも見える。
★御前水入口から
母恋駅前からラッパ森のバス停を過ぎて安龍寺への車道に入り(安龍寺への歩道入口はもっと手前)、ヘアピンカーブを曲がりきらずに山側へ進むと、すぐ先で舗装が終り駐車スペースがあるのが御前水入口である。まっすぐ登っていくと途中二回左へ折れる分岐がある。これらの道は母恋富士の東側へトラバースしている。いずれも右に入ると東屋があり、その先で母恋北町からの登山道と合流する。
二回の分岐の辺りは、かつては住宅用地として使われていた雰囲気だ。日本製鋼所の古い喫煙禁止の看板も見られる。日本製鋼所の団地や、団地の庭としての母恋富士の歴史があったのかもしれない。
★御前水駐車場入口から
御前水中学校跡へ上がる道の途中から右へ入り、山寄りの未舗装路を戻るように下ると駐車場とトイレと空き地がある。ここは公式の母恋富士登山道用の駐車場のようだ。ラインも引かれている。トイレは新しくきれいであった。駐車場から更に一段降りると林道跡のような舗装された歩道があり、これを登る。この道は舗装されているがゲートがあり、下から自動車は入って来れない。しばらく登ると舗装が切れて山道となる。登るにつれて次第に手入れの少なそうな状況となるが、稜線までつながっている。
室蘭新道の蘭西側から見ると 確かにまだ富士型である |
★母恋南町2丁目入口から
母恋南町からは二箇所の登山口があるが、いずれも「母恋南町入口」と看板があった。まずは西の2丁目入口から記す。
町から山へ向かう道の突き当たりには古びた石垣があり、その下は地元の人の乗用車の駐車場となっている。ここで右に曲がると母恋南町2丁目入口である。未舗装だが幅広で車も入れる。しばらくすると山側にコンクリの何かの施設の遺構がある。何だか分からないが歴史を感じる。下の石垣の駐車場もこの遺構の一部だろう。その先で分岐があり、左へ行くとすぐにゲートがある。登山道はこちら。右へヘアピンカーブを曲がるように入ると舗装されており、山頂直下の窪地に出る。非常に荒涼とした風景だ。何か施設があったような印象を持つ。窪地の手前には山ノ神が祀られていた。
★母恋南町3丁目入口から
母恋南町の奥の北側に登山口がある。家並みと舗装道路が終わると、そのまま直線状に歩道が続いている。駐車スペースはある。周囲は笹原の笹を縞状に一部剥いで植林した、まだ幼樹ばかりの森(?)である。谷の突き当たりで左に垂直に曲がり、斜面を登っていくと稜線上の縦走路に付く。ここは十字路になっており、そのまま稜線を越えると御前水中学校跡に下りる。母恋富士山頂は左である。
左に曲がると緩やかな稜線で、時々道が二本平行したりもするが、特に問題なく母恋富士に近付いていく。このあたりは「学びの森」と呼ぶようだ。御前水中学校在りし日に登った時は部活動のトレーニングでこの稜線をジョギングする中学生が多く見られたが、もうそうした姿は見られない。「学び」とは彼らの学びと幼樹の未来を掛けたのだろうか。
稜線の中間付近に「シェルター」と呼ばれる大型の東屋がある。そこから先は「元気もり森」であるが、森(?)の様子に変化はない。母恋南町の家並みが非常に近い。中でもオレンジ色の朝陽小学校跡はとても目立つ。現在は小学校ではない教育施設として使われているようだ。途中、御前水駐車場入口への下降分岐を分けると母恋富士への最後の登りで長い階段が続く。これを登りきると山頂である。
★トッカリショ入口から
縦走路のスタート地点。駐車スペースはある。大きな緑色の目立つ「ふるさとの森21」の看板がある。すぐに送電線の鉄塔の足元を通り、簡素な東屋があり、その先で御前水中学校入口と母恋南町3丁目入口との十字路である。十字路周辺には幼樹にいろいろな木の名を示す名札が付けられている。これも「学びの森」ということだろう。
★御前水中学校入口から
御前水中学校の奥からジグを切って稜線に上がるが、すぐだ。このジグは母恋富士では最も木陰が深い。
★御前水入口からシェルターへ
基本的に古くヤブに還りつつある住宅用敷地の路地をつないだような道だ。途中に針葉樹の並木のような部分もあるが並木も背が低く若い。中間付近に御前水町への下降路分岐があり、ここから直接稜線に上がることも出来る。そのままトラバースが続くがシェルターの直下で、階段で稜線へ登る。
明治26(1893)年の海図では母恋富士にリーエニ山と振られていた。近くにエニ山があるので ri〔e- en -i〕[高い・エニ]かと考えてみたが、母恋富士はエニ山よりかなり低いのだからよく分からない。室蘭港・白鳥湾から見れば母恋富士の方がエニ山より湾の海岸線に近いので高く見えるということだろうか。よく分からない。
或いは母恋町の谷を指していたらしいパラキナイと言った記録があるので、母恋の谷は道であり、海岸伝いの道と分岐した股の所にある山ということで、ru-aw un -i[道の・股・にある・もの(山)]の転がリーエニかと考えてみる。
母恋(ぼこい)はパラキナイのある所ということで(原木と書かれたという)、そうした音韻転化は資料に見ないが、方言差でいろいろな子音の後続子音への同化がみられたという音韻転化と訛音でボッコイとなったトッカリショ方面への「口」のある par -ke o -i[口・の所・にある・所]で、パラキナイは par -ke (o) nay[口・の所・(にある)・河谷]か par -ke ne -i[口・の所・である・もの(谷)]ではなかったかと考えてみる。
参考文献
海軍水路部,海図「北洲南岸諸港」図幅,海軍水路部,1893.
知里真志保・山田秀三,室蘭・登別のアイヌ語地名,知里真志保を語る会・噴火湾社,2004.
萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.
田村すず子,アイヌ語,言語学大辞典 第1巻,亀井孝・河野六郎・千野栄一,三省堂,1988.
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