新田差尻 (446.9m)
にったさしり

道道12号線 上毛登別から

 歌登町の一等三角点にのみ名前のある山。安政3(1856)年の松浦武四郎の竹四郎廻浦日記に聞き書きで「ニフタサシリ」とある場所に関連するかと思われる。

 南北から眺めると引き絞られた美しい姿の独立峰で、周辺に並ぶ山がなく非常に展望が良い。


 真西に伸びる尾根から登った。雪で覆われた牧草地を横断し、緩い傾斜の白樺の林を登っていく。次第にトドマツの植林なども現れるが、いろいろな木が植わっている。地形は緩やかでこの尾根にこだわる必要は全く感じない。標高320mのコブの登りも大したことはない。コブに上がると疎林で山頂が見える。この辺りのタラの木にはタラの芽を摘んだ跡が多く見られる。下の方でも赤テープがいくらか見られ、無雪期でもある程度地元の人が入っているようだ。

 コブの先、平坦な尾根を僅かに歩き、急傾斜の疎林となるが、それほどではない。斜面も一様で登りやすい。真冬なら下りでスキーが楽しめるだろう。稜線が近づくと、笹の葉が少し露出していた。稜線に出るとオホーツク海が望めた。北方稜線は雪庇が出来ているが、山頂が近づくにつれ斜面に吸収され、山頂直下では全くなくなる。

 山頂からの展望は非常に良い。北方にはポロヌプリ山(811m)と三角点「神居岳(748.9m)」の鋭鋒が鋭い。敏音知岳(703.2m)と松音知岳(531m)は優しく寄り添っている。東側は北見幌別川の広い谷遥かに歌登の街が広がり、その向こうにオホーツク海がある。南方は函岳(1129.3m)と坊主山(955.2m)が悠々と翼を広げ、西方にはパンケ山(631.8m)、ペンケ山(716.3m)が白く輝き、その連なりの南方には遥かなる鋭鋒鬼刺山(728.1m)が遠く空を貫いている。

 新田差尻の南方の稜線も疎林である。晴れていたこともあったが山自体も素晴らしく気持ちの良い登山が出来た。

にったさしりのちず

320mコブの辺りから山頂を望む

山頂まであと少し

北北東方 神居岳(左)とポロヌプリ山(右)

北北西方 敏音知岳(左)と松音知岳(右)

南方 函岳

見下ろす上毛登別地区

西方 ペンケ山

西北西方 パンケ山

★山名考

 松浦武四郎のホロナイ/ホロヘツ(北見幌別川筋)で安政3年の聞き書きに「ニフタサシリ」と、安政5年の聞き書きに水源として「ニフタサシリ」・「イフタサシリ」あるのは、三角点の名と音が似ているのでこの山のことかと思われた。三角点の読みは「ニッタサシリ」である。

 その音からnip tasa sirかと考えてみるが、nipはアイヌ語辞典類では「(木や刀の)柄・物体から棒状に出たもの・取っ手」という意味しか見当たらない。日高の二風谷はnipを用いた地名の類例かと考えてみたが、二風谷ではnipが具体的に何を意味したのかわからなくなっている3)という。tasaは「交わす」とか「交換する」という意味のようである。日高山脈西部の三石川上流にアイタサノホリの記録があり、tasaの類例かとも思われる。アイタサフノホリともされるので川の名アイタサフの水源の山の意かと思われるが場所がはっきりしない。アイタサフはay tasa p[矢・を交わす・もの(川)]で、宗教的な弓矢を互いに打ち合う行事が行われた場所かもしれないと想像してみたが、深い山間と思われるアイタサノホリ近傍で聞いたことがない行事をしたと考えるのは現実的でない気もする(アイタサフのアイはawの転訛のような気がしているが、場所の推定に確信が持てない)。ニフタサシリに応用するにしても、「柄を交わす」では何をしたのかよく分からない。nipは地形を表す言葉の転訛でなかったかと考える。まず思いつくのはnupである。

 nup tasa sir[野原・を交わす・山]のようにも聞こえるが、一帯のどのnupnupを交わしている山といえるのか。アイタサフノホリのように、nupを交わしているnup tasa pのような名の川があり、その川の水源としてのnup tasa sirなのかも分からない。毛登別川と北見幌別川の下流側(東側)の「野(nup)」を遡ると、新田差尻を挟んで北見幌別川支流のポウルンベツ川のnupと上毛登別のnupが向き合っているように感じることをtasaと表現したかと考えて見るも、どうも要領を得ない。

 松浦武四郎の安政3年の聞き書きではニフタサシリの前にルヘシヘナイとホンルベシベが記されている。また、ニフタサシリの後には「後ろはテシホ川筋のハンケナイ辺に当ると聞り」とある。テシホ川筋ハンケナイは天塩川沿いの中川町パンケナイ川のことと思われ、毛登別川から小頓別に抜けて頓別川沿いに下り、マップの沢かチュピタウシュナイ川からパンケナイ川筋に入るルートであったと思われる。ルヘシヘナイが毛登別川の別名で〔ru pes pe〕 (o) nay[道・それに沿って下る・もの・(にある)・河谷]であった思われる。上りでも下りでも使えそうだが、下ってくる河谷ということで毛登別川をru putu[道・の出口]と呼んでいたことがあり、そのすぐそばにある山ということで、RUPUTU ca o sir道の出口(の河谷)・の傍・にある・山]と言ったのが、ニフタサシリの元の音ではなかったかと考えてみるが、ru putuと言ったとするのは完全に推測である(毛登別はput o petかと考えてみる)。また、ruが「ニ」になるのも訛りとしか説明できない。

 安政5年の聞き書きでは、下流側から現在のポールンベツ川かと思われる「ホウル」、本幌別川かと思われる「ヲンホロベ」より後に出てきて、ホロヘツの「水源」で「高山」とされている。イフタサシリ/ニフタサシリは三角点新田差尻の山ではなく、標高の高い函岳の名であるような感じがする。函岳だとしてもすぐ西に咲来峠があるのでRUPUTU ca o sirを考えてしまう。北見幌別川から函岳に突き上げているのはタンチベナイ川だが、nupが交わされている感じもしない。

 三角点の名は地名に縛られないので、多少離れた場所の地名が付くことがあるが、新田差尻が函岳の名のことだとしたら、違う場所の名を使うにしても離れ過ぎのように思われる。

 どうもニフタサシリの場所も意味も分からない。

 北海道実測切図の枝幸図幅のケトペッ(毛登別川)左岸に描かれる「オン子ヌプリ」はonne nupuri[年老いた・山]で、三角点新田差尻の山の別名かと考えてみる。この図ではケトペッ右岸の新田差尻の山のあるべき場所に山が描かれていない。


★編集ぼや記

 はじめ、三角点の名前だけ聞かされて登って、松浦武四郎の記録にその名があることを知らず地図を見て、谷間の平坦地である上毛登別地区が昔はnitat[湿地]で、毛登別川を海側から遡ってくると、その前にある場所(山)と言う意味でnitat sa sir[湿地・の前・地]というアイヌ語解を適当に考え、このページのファイル名にしてしまった。三角点の名前のつけ方は音に関しては適当なこともあるので「ニタッサシリ」と聞えても「ニッタサシリ」と当て字することもあるのだろうと一人合点していた。nitat sa sirなら発音はニタチャシになりそうである。また、上毛登別は地形図から見る限り畑地が広がり湿地とも言えなさそうである。あまり敷居の高くない素人のホームページのアップではあるけれど、発表するからには慎重にしなければと反省した。ファイル名は簡単に変更できるけど、自戒の意味も込めてそのままにすることにした。

参考文献
1)松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
2)松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.
3)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
4)田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
5)松浦武四郎,東西蝦夷山川地理取調図,アイヌ語地名資料集成,佐々木利和,山田秀三,草風館,1988.
6)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
7)北海道庁地理課,北海道実測切図「枝幸」図幅,北海道庁,1897.
8)知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.



トップページへ

 資料室へ 
(2007年4月4日上梓)