沢渡峠 (御嶽街道) その3
さわどとうげ
五訪・六訪

 福島宿から王滝を経て御嶽山へ巡礼する道。小説「夜明け前」の舞台。「大峠」とも呼んだという。合戸峠と共に御嶽正面見である。初回は橋渡の常盤橋から崩越へ歩いてみたが、沢渡側の詰めと崩越側の登り口付近を間違えて地形図にある道を完全にはトレース出来なかった。二回目は崩越から常盤橋へ歩いた。三回目は張山(春山)から歩いて一回目にトレースできなかった地形図に道の描かれる沢渡側の谷筋を辿ってから登り返して二子持へ下りた。四回目は二子持から登って沢渡側の谷筋をもう一度見直して崩越寄りの交差点から二子持に戻った。五回目は峠道の上の尾根上にあるブナの大樹と林鉄跡の牧尾トンネルの直上の遥拝所を見てきた。ブナの大樹辺りの古い路盤を見て、古い峠道は今の道より高い所にあったのではないかと考え、六度訪ねた。


★五訪

ブナの大樹地図1ブナの大樹地図2
ブナの大樹付近の地図
赤の点線は五訪時のルート
渋い青緑の点線は六訪時に新たに歩いたルート

・ブナの大樹

 二子持から歴史の道調査報告書の「小峠」へまず登る。峠直下分岐のトチの大きな倒木の幹の路盤に掛かる部分が刳りとられて通りやすくなっていた。

 四訪時に、二訪時のように木曽駒がすっきり見える所がなかった気がして、東側に注意しながら大峠に移動。やはり木曽駒がすっきり見える所がなかった。6年ほど経って若木が伸びて視界を遮るようになったのだと思う。


二子持から歴調小峠と
大峠の分岐の手前にある
トチの倒木刳り取り

 大峠からブナの大樹へ町村境の尾根筋に付けられた道を登る。路盤は一部はっきりしていないのだが、二度目なので注意して尾根線に左右に振られる路盤に忠実に歩く。少し東に寄って1255m辺りで大尾根に上がる。1270mの等高線に囲われた最初のコブは北斜面を巻く。1293.7mの三角点「池沢」のコブは急斜面の直登の踏み跡。先のコブがなだらかに巻かれていたので三角点のコブも北斜面を巻いていた路盤の入口があるのでないかと思ったが見つけられず。

 急登して三角点「池沢」の前に出る。三角点の南西側と南東側の尾根は広く平坦だが路盤らしきものは見当たらず。ブナの大樹は三角点から南西に50mほど進んだ所にあって根回り直径1.5mほどの低い所で沢山枝分かれした見栄えのする大木である。南西面に開いたウロがある。

 ブナの大樹から推定小峠に刈り分け道があるとのブログ記事を見ていたので、下りはその刈り分け道とした。ブナの大樹のすぐ脇から北斜面に下りていく。ブナ大樹から見ると南西への尾根筋が緩やかで歩きやすそうに見えたので少し下ってみたがやはり路盤は見当たらず、1970mより下でその尾根も傾斜を増して下っていたので、戻って北斜面の刈り分けを下りた。

 刈り分けは明瞭だが急斜面。一旦傾斜が緩む1260m辺りで北斜面トラバースの古い路盤と交差。三角点の北側の鞍部の標高が約1270mなので、営林作業道としての改変は受けているだろうがベースとなった昔からの道があって、北向きの急斜面で積雪があると危ない今の大峠から推定小峠の長いトラバース区間を開かず、沢渡から大峠を経由せずに尾根の上まで登り、尾根筋が急登となる三角点のコブを北側の斜面で短く巻いて、ブナの大樹の西側の尾根の傾斜も緩む1260m辺りで尾根筋に乗って尾羽林の入川の源頭を渡って張山(春山)の方に向かっていたのでないかと思う。古いトラバース路盤を東側へ少し入ってみたが、斜面が急で、30mほど入ると路盤が完全に流れて斜面と区別がつかなくなっていた。

 1250m等高線の緩いコブを越えるとまた急斜面をまっすぐ推定小峠へ下りる。末端は緩くなって推定小峠に下りる。


尾根に上がると半ば枯れた
ミズナラの大木があった

最初のコブは
北面を巻く
路盤がある

ブナの大樹

三角点
「池沢」

古い路盤横断
ここもブナ
牧尾地図1
牧尾地図2
牧尾付近の地図
赤点線が五訪時のルート

・牧尾トンネル上の遥拝所

 推定小峠からも尾根筋を牧尾トンネル上の遥拝所まで下りてみた。歩きやすい尾根なのだが、路盤は1150mから1080mまで無し。推定小峠から1150mまでは細い路盤が尾根の西側にある。二子持から張山への道を横断して更に下ると1030m辺りで細い路盤と交差。細い路盤は営林作業道の跡なのか。更に歩きやすい尾根筋を下って990mで電波反射板の後ろに出る。電波反射板の前には古い電波反射板の四基のコンクリ土台があり、その前が遥拝所で石灯籠と基壇が二基あるのだが、上に載っていたはずの二つの丸石の碑石はいつかの地震で転がり落ちたようで、それぞれ基壇の後ろに向きを整えられて立てかけてあった。基壇に向かって左が御嶽神社で、右は蚕玉神社。

 遥拝所の後ろの木は切られており御嶽山が望める。電波反射板の所から二子持側に下りる道がある。崩越側に下りる道もあったのでないかと思うのだが、少し漁ってみたけれど路盤は見つけられず。御嶽山はよく見える。「御嶽の信仰と登山の歴史」は御嶽三十八社の牧尾大明神を「牧尾ダムの上の滝であろう」としているが、王滝川右岸筋の往来で遥拝所の西の直下に急な山の斜面が王滝川に落ちているのを避けて、この遥拝所の辺りで山越えをする旧道があり、御岳山の見えた牧尾(牧之尾)大明神だったのではないかと考えてみる。

 だが、牧尾の発祥がどこなのか分からなかった。牧尾橋、牧尾トンネル、牧尾ダムから考えると、この王滝川右岸の尾根の辺りとなりそうだが、「牧尾ダムの上の滝」というのが二子持下手の此島の王滝川対岸の元木曽御岳CC(現御岳ゴルフ&リゾートホテル)から落ちてくる高い滝のことなら王滝川左岸の二子持対岸の尾根の辺りとも考えられそうである。この滝は此島の辺りの車道からよく見えて、王滝川左岸の藪原と和田を結ぶ古い道が直下を通るので、多分地元で呼び方があると思う。明治前期の皇国地誌残稿三岳村分に「樽澤瀧 高五丈、幅六尺、字藪原、和田の間に落て、其水王瀧川に入る。」とある「樽沢滝」がその名で、「樽澤林 ・・・村の申の方一里三町にあり。」とあるからこの滝のある沢の名が「樽沢」でないかと思うのだが、滝の高さが全然違う。五十丈というなら印象的に合うのだが。

 木曽採薬記の王滝の地図では王滝川右岸に上手から、崩越、明神、トクサ、二子持と、ほぼ等間隔である。崩越とトクサと二子持は集落扱いの色塗り表示だが、明神は集落扱いでない。御岳湖右岸の今の道路を崩越から牧尾ダムにかけて走っても、神社も道路沿いに遷されたような祠も見ない。トクサ(木賊)は崩越のすぐ下手の今は御岳湖の湖底となる地区だったので、トクサ集落と明神が木曽採薬記の地図で取り違えられており、二子持の上手にあたる今回見た遥拝所のある牧尾トンネルの辺りに明神の牧尾大明神があって、牧尾の発祥であったということではなかったかと考えてみたのだが、皇国地誌残稿王瀧村分に牧野尾社が「崩越にあり」とあり、御岳神社里宮の村誌王滝掲載の神社明細帳の項に明治42年に字崩越の牧野尾神社を境内社の諏訪社八幡社に合併とあるから、取り違えではなく崩越の東側から牧野尾/牧尾ということだったのか。

木曽採薬記の王滝地図部分模写
木曽採薬記の王滝地図部分模写

歩き易い尾根を下る

牧尾トンネル上の遥拝所

基壇だけ?

御嶽山

振り返って電波反射板

石灯籠

基壇後ろ下に碑石

真ん丸な蚕玉神社碑石
牧尾の滝?
元木曽御岳CCから
落ちる此島対岸の
高い滝
牧尾の滝?アップ
元木曽御岳CCから
落ちる此島対岸の
高い滝拡大
牧尾地図3

 二子持側へ最初の標高差30mほどは緩い小尾根の上の掘り込み道、960m辺りから作業道のような急斜面に細く刻み付けられた道となり、900mで牧尾トンネル東口の直上の林道跡に下りる。牧尾トンネル東口の迫石がすぐ下に見えているのだが、林道跡をまずは下る。しかし50mほど下ると直進はひどい藪で通れる感じがしない。右手の谷間を登るはっきりした歩道があったので入ってみると、また50mほどで別の林道跡に出るがここもひどい藪。目印テープは更に谷筋を登るようについていたが、二子持と反対の方向になってしまうので、最初の下りついた林道に戻り、左下手に藪の多い別の林道跡の路盤が見えるのでそちらに入ると牧尾トンネルから流れ出る水で湿地状になった二子持の上水の下(沢渡峠二子持登山口)から牧尾トンネルに続く林鉄跡の、その後道路に転用された路盤のトンネルの脇に出た。

 トンネルに続く路盤はアスファルト舗装されていたようなのに湿地状の荒れ方著しく、靴にかなり泥がつく。道路の向こう側まで行くと乾いた樹林下にまた別の林道跡らしき路盤が平行していて、ヤブは少なくトンネルの迫石の方に続いているようである。遥拝所から林道跡に下りてきたら、林道跡を横断してトンネルの迫石の上を通って林鉄跡の路盤の北側の林道跡に下りるのがスマートだったのかもしれない。

 林鉄跡路盤の湿地の水は二子持側に抜け落ちて集落上手で池になっているようである。水が抜けた先は湿地でこそないがアスファルト舗装されていたと思えないほど草が茂っている。ヤブ漕ぎというほどではないのだが、ズボンに引っ付き虫を沢山つけて二子持の上水の前に出た。


反射板を後に
二子持へ下る

最初は
掘り込み道

急斜面の
細い道

林道跡に
出る

牧尾トンネル
東口

草むら舗装路を
二子持の登山口へ戻る

★六訪

 ブナの大樹の直下の西面をトラバースする旧道があっただろうと思って六度沢渡峠を訪ねた。牧尾トンネルの上の遥拝所の木賊側にも道があっただろうと思って合わせて再訪した。

 2021〜2022年の冬は雪が多く、2022年3月下旬でも大峠の辺りから上の山の斜面は一面残雪に覆われて、ブナの大樹のある高まりの西斜面も一面残雪で路盤の確認はできなかった。路盤らしき雪の段は西斜面の中ほど1/3にあった。その段から水平にそのまま西進すると、五訪時に交差したと見た所より高さで3mほど下でブナの大樹から推定小峠へ下りてくる道のある尾根に出た。


本日の
沢渡峠(大峠)
残雪多め

三角点「池沢」のコブの
北西斜面中ほど
路盤があるように見える

 五訪時にブナの大樹の北西で交差してそのまま西進すると思った斜面トラバースの路盤は、すぐ西でジグを切ってすぐ下の鞍部に下りているのが分かった。そのまま西進する路盤は見当たらず、西の先の斜面は急峻で、道はなさそうだった。

 推定小峠に下りる1250mの計曲線に囲まれたコブより下が急峻だったので、コブから推定小峠に下りずに尾根筋を西進してみた。尾根筋は緩く歩きやすいが路盤は見当たらなかった。が、標高1200mまで下ると、明瞭な掘り込みの路盤が横掛けであった。戻るよう登るように東側へその路盤をたどると、コブの南側の谷筋に入り1220mまで明瞭だった。その先の路盤が見えないのだが、すぐ上のコブの東側の鞍部の稜線が緩やかな谷地形のすぐ上に見えていた。一応、谷筋を上がって鞍部まで往復してみたが路盤はやはり見当たらず。戻って西側へ下ると明瞭な掘り込みの路盤のまま入川源頭の広い鞍部に出た。


尾根筋の
標高1200m辺り
路盤があった

標高1200m辺り
谷筋の路盤が確認出来る最上
鞍部はすぐ上に見えている

 広い鞍部から入川の谷を一つ渡って先のコブの東側の鞍部へ向かう谷筋を上る路盤があったので辿ってみたが1175m辺りで行き止まりになっており、その先は谷筋が狭く急峻になっていて道はなさそうだった。

 広い鞍部には四訪時に推定小峠からの道が上がってきているのを確認した。その時、南西側に下りる路盤を見たが辿らなかったので今回は南西に広い鞍部から下りてみた。

 下りだすとすぐに切り返しがあり、北西に下る路盤が太いが南東に登り返す掘り込みの路盤が分岐していた。切り返しのすぐ下でまた切り返しと分岐があり、南西に下りる路盤が深いが、北西に下りる路盤も広い。南西の深い路盤を下るともう一回切り返しがあって一回り太い路盤に下りついてT字路となっていた。幅広の路盤は木馬道の跡かもしれないが、一つ目の細い掘り込み道の分岐は歩く為だけの古い道の跡だと思う。今回の目的はブナの大樹直下西側の道と牧尾トンネル上遥拝所から木賊方面なので、南側への分岐の先は見ずにT字路を右に曲がって今の沢渡峠の道の方へ下る。すぐに二つ目の分岐から下りてきた道と合流して、今の沢渡峠道の交差点のすぐ上に下りる。

六訪木賊方面地図 交差点から二子持方面に右折して下るとまもなく残雪がなくなる。直接二子持には下らず、尾根回りの所から尾根筋で牧尾トンネル上の遥拝所に下る。遥拝所の石燈籠の年記が文化五年と意外に古かったのに驚く。

 二子持側から遥拝所への道は標高960m辺りで二筋に分岐して、その片方は標高990mの遥拝所まで上がらず970m辺りで尾根越えするように延びているのを前回見ており、尾根の鼻先の北側に当たる部分で路盤が切れているのだが、鼻先に平場があるのを五訪時に見ていた。五訪時は牧尾トンネルか牧尾ダムの工事の時の竪坑の跡かと思っていたのだが、その平場から崩越方面に路盤らしきものが下っているのが分かった。

 下ってみると100mほどは急斜面にかなり流れているもはっきりと路盤があったが、それより先では殆ど全ての路盤が流れており、鹿道だけが続いていた。鹿道を更に100mほど進むと急峻な岩場を回り込んで更に鹿道が下りていく。斜面は岩場より先で更に急峻になり、先は鹿道しか見えず、頭上に岩場が多く見えて落石も恐いので引き返すことにした。御岳湖岸の車道に下りるとしたら交差点の真西辺りでないかと思うが、車道の法面が下りられないかもしれないと思う。

 前回、牧尾トンネル東口の湧水によるヌタ場で靴を汚したので、東口の迫石の上を越えて二子持へ下りた。


平場から木賊方面へ斜面を下る
路盤にそこそこの幅がある

進むと斜面が立って
路盤がほぼなくなる

岩場を回り込んで
御岳湖を見下ろす

春先の
牧尾トンネル上の遥拝所

牧尾トンネル東口下手の

二子持から沢渡峠の山並みを
振り返る

★地名考

・崩越

 沢渡峠の道の王滝側の登り口で越え道の名が集落の名になっていると考える。沢渡峠の道は大峠の所で尾根が段になっている。この段のある尾根を越えるということの「きざ(階)・せ(背)・こへ(越)」の転が「くずしご」と考える。

・沢渡

 沢渡峠の道の三尾側の登り口で、山の斜面に取りつく所の「そは(岨)・と(処)」の転が「さわど」と考える。

・二子持

 王滝川の河谷が小さく広がって、山手側に引っ込んだような平地の集落で、山手側の谷に水気が少ない。凹んだ水気の乏しい処ということで「ふと(節処)・ごろち(転地)」の転が「ふたごもち」と考える。

参考文献
生駒勘七,御嶽の信仰と登山の歴史,第一法規出版,1988.
木暮理太郎,木曽御嶽の話,山の憶い出 下(平凡社ライブラリー297),平凡社,1999.
長野県教育委員会,御嶽街道(歴史の道調査報告書39),長野県教育委員会,1994.
float cloud,池沢山 1294M 3等 上松(王滝) 山系・井出小路山>西股山 2010.2.14.藪山独自ルートfloat cloudのブログ.(2021年5月2日閲覧)
kumi,沢渡峠(御嶽街道) 2021年4月20日ひねもすのたり。.(2021年10月3日閲覧)
長野県,長野県町村誌 第3巻 中南信篇,郷土出版社,1985.
水谷豊文,木曽採藥記 2巻,国立国会図書館蔵写本(特7-89)デジタル資料.
王滝村,村誌王滝 下巻,王滝村,1961.



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(2021年10月3日上梓 2022年3月29日六訪追加 2023年1月22日URL変更)