経歳鶴
椎空知山から

三角点経歳鶴(930.8m)
= ペトゥスル

= ニシタプペトツルポンヌプリ

 東大北海道演習林の奥に位置し、その管理下のため山頂まで車道があるがあまり入られることはない。演習林とは反対側の北落合から登ってみた。標高としては地味な高さであるが、平坦な高原上で目立つ独立峰で、江戸時代の地図にもヘトスルシベの名で描かれた。


経歳鶴地図1
経歳鶴地図2

 日高山脈北端の椎空知山からシーソラプチ川とエホロカアンベツ川を渡って経歳鶴に登り、北落合に下山したが、経歳鶴だけの記事とする為、北落合からの登路として以下を記す。地図は通ったルートを赤点線で示す。

 北落合小学校前から落合生産組合農場に向かって車道を歩く。一帯は非常に景色が良い。北落合地区の標高は500mを超えており、北海道でも有数の標高の高い地区である。南方にはペンケヌーシ岳をはじめとする日高山脈核心部の山々、東方は佐幌岳をはじめとする北日高の山々、西方は芦別岳と夕張岳の夕張山地、北方は十勝岳・下ホロカメットク山など十勝連峰の山々が展望できる。

 北落合の最奥の落合地区生産組合農場の突き当りまで除雪されていた。突き当たりの横は上水施設で道路の幅は広く駐車スペースもあった。


北落合の
風景

北落合の
おしゃれな建物

 T字路を左に入り500mほどで道は幾寅川の源流を横断するのでここからそれに沿って登る。沢沿い左岸には古い作業道跡がある。木々が生えて、夏は歩けなさそうな作業道跡であるが積雪期なら十分だ。802mと866mの標高点の間の鞍部は広々としてアカエゾマツなどの大木が茂っている。ここから先はスノーモービルの跡が多数ある。スノーモービルはT字路から幾寅川源流を経由せず、802m標高点を通ってここへ来るようだ。クマゲラなどの貴重な野生動物も多い地域なのに必要以上に音を立てて原動機で入って欲しくない気がする。

 エホロカアンベツ川支流の源頭を横断すると経歳鶴が見えてくる。その姿はちょっとした小山に過ぎない。エホロカアンベツ川は地形図では「エホロアカンベツ川」となっているが、これは誤記載である。この地域はパンケユクルベシベであった川がペイユルシエベ川、ペンケユクルベシベであった川がパンケヤーラ川と書かれるなど国土地理院発行の地形図の誤記載がひどい。本来のパンケヤーラ川は同じ南富良野町内でも金山地区にあり、金山峠に突き上げる川である。これらの誤りは大方編集が粗雑な「北海道河川一覧」の誤記が始まりと思われる。

 平坦な台地状の稜線を辿る。稜線はアカエゾマツの植林まもなく、雪上1m未満の若木が列をなして並んでいるが、どうも生育状況が良くないように見える。まだ小さいのに歯が欠ける様に並んでいたり、幹が大きく曲がっていたりする。また、大木も幾らか残されている。皆伐後の植林と言うわけではないらしい。しかし大木はいずれもひねこびたり枯れたりしており、密度も低く、全体として荒涼とした雰囲気である。ダケカンバの若木の密生している部分もある。


台地の上から
経歳鶴

クマゲラの
食痕

 経歳鶴の取り付きは木々がない開けた斜面でスノーモービルが遊びまわった跡が多数あった。この周囲の木にはウロが多く見られエゾモモンガの糞や尿の跡も見られた。クマゲラの食痕も多く見られる。そんな傍でエンジン音を響かせるとは・・・。

 経歳鶴へは特に問題なく登れる。150mほどだが斜面は疎林でスキーに適である。山頂は広く南北に細長い。北側には東大演習林側から伸びる車道が続いている。北東側には斜面に張り出して駐車場があり、風に飛ばされて雪が切れて野生動物のトイレとなっていた。雪がないところは糞が目立たず、足元が冷えず、トイレに適なのだろうか。地図にはない東方へも車道は伸びて、カーブにはガードレールが雪原に目立っていた。山頂にはスノーモービルの跡が縦横にあった。また、少ないながらスキー登山の跡もあった。

 展望は素晴らしい。西側の夕張山地はやや樹木に遮られるが、その他の方向は全て一望である。北には大麓山からトウヤウスベ山、富良野岳、十勝岳連峰が大きい。東には溶結凝灰岩からなる平坦な火山灰の台地の果てに石狩岳、ニペソツ山、ウペペサンケ山の東大雪の峰々。南には日高山脈の累々とつながる様子が見える。


大麓山

十勝連峰とガードレール

日高山脈方面

芦別岳

 東大雪の山々の手前の台地上は、植林と裸地の縞模様が刈ったばかりの少年の頭のようであった。エホロカアンベツ川の名はアイヌ語の e- hurka un pet[その頭・高台・にある・川]で、河岸段丘のようにシーソラプチ川の川岸の急斜面の上に広がる火山噴出物の台地に上がって流れている川だということを言っていたのだと思う。

 クマゲラの飛ぶ姿を山頂から見た。鳴き声も聞いた。


山名考

 松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調図で、空知川の左岸支流ヘンケユクルベシベより奥のシノマンソラチの右岸に山名と思しき書き方で「ヘトスルシベ」とあるが、位置関係等に相当に無理があり、現在のどの山にあたるのか考えるのは難しい。

 二等三角点「経歳鶴」930.8mのピークが山らしい姿でヘトシツルと読ませており、この三角点の名は何かしら関連があると思われる。点の記では三角点の所在地が俗称ニシタップペトツルポンヌプリとされており、案内人としてアイヌ風の人名が記されている。陸地測量部の北海道仮製五万分一図「ニシタプ上流」図幅(1896)で、ニシタプペトツルポンヌプリと書かれたピークはこの三角点の場所の事と思われる。この近辺で名前が付けられるほどに目立っているのはこのピークのみである。佐幌岳方面や大麓山方面から眺めた場合、この山以外の同程度の標高のピークは殆ど指呼出来ない。

 東西蝦夷山川地理取調図のヘトスルシベと言う山の情報を松浦武四郎の日誌・手控に見ていないが、「取調図」を名乗らせている以上、アイヌの人達等から聞き取った自身の手控を含めて何らかの資料に基づくものであろうとは思うのだが、松浦武四郎がどうやって、どういう山だとヘトスルシベを知ったのか、分からない。

 アイヌ語の pet utur us pe[川・の間・にある・もの]と思われる。シーソラプチ川と西達布川に挟まれているということだろう。エホロカアンベツ川は大きな川ではないので、シーソラプチ川の替わりにはならないように思われる。仮製五万図では川筋が正確に把握されていない故でもあるが、エホロカアンベツ川はニシタプペトツルポンヌプリに絡まっていない。ニシタプペトツルポンヌプリの名は、西達布地域を指すニシタプにはまだ確定的な解釈がないらしいので、「西達布」と書くとして、西達布 pet utur 〔pon nupuri〕[西達布(の)・川・の間(の)・小さくある・山]と考えておく。「西達布川の間」ではない。西達布(ニシタップ)自体が川の名で、「西達布川流域の」のような意味合いと考える。

 経歳鶴の三角点の名はペトゥトゥpet utur、或いは案内したアイヌの人の分析的な発音、連声していないペッウトゥが、測量の人の耳に「ペトストゥル」のように聞こえたかと考えてみる。

参考文献
松浦武四郎,東西蝦夷山川地理取調図,アイヌ語地名資料集成,佐々木利和,山田秀三,草風館,1988.
陸地測量部,北海道仮製五万分一図「ニシタプ上流」図幅,陸地測量部,1896.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.



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(2008年3月27日上梓 2017年11月6日URL変更)