ポンネアンチシ山(1145m)
古宇川南面直登沢・美国川我呂の沢
積丹半島で三番目に高い山。山頂には巨岩が鎮座している。古宇川は易しく、楽しく、夏のルートとしては一番短い。
★古宇川南面直登沢
参考時間・・・神恵内温泉998-0:50-林道ゲート-0:40-林道終点-1:25-370m二股-1:25-540m赤土二股-1:10-水源-1:15-山頂
中縮尺地図・詳細地図はやや下に。
神恵内にバスで着くと、古宇川がすごく増水していた。まるで融雪期のようだった。しかし、林道終点までは行ってみることにした。札幌ではそうでもないと感じた前夜の雨が多かったらしい。
古宇川本流沿いの林道にはトーマル峠の道路(道道998号線)から半分くらいのところの滝ノ沢方面分岐のすぐ先にゲートがあった。
林道終点で幕営。翌日、更に400mほど沢沿いに刈り分けがあり、たどってみるが、ヤブの中で終わっていて、そのヤブから沢に下りるのにネマガリタケで苦労したので、そのまま林道終点から沢に下りてしまった方が楽だと思われる。あまり時間短縮にならなかった。
一晩経ったら少しは減水するかと予想していたが、減っている感じがしなかった。雪解けの季節を思わせる水量だったが、水が澄んでいる。ヤマメかイワナかサケか、釣りをしないのでよく分からないが、池の鯉のように大きいのがウヨウヨしていた。370m二股から滝が現れるが、低くて簡単に登れるナメ滝ばかりだ。
沢の様子 |
370m二股すぐのナメ滝 |
続く滝 |
540mの赤土の二股(左岸に赤土の露頭がある)辺りまで来ると増水の影響を感じなくなる。右に入り、ここから沢はずいぶん小さくなるが、沢の水面に木々がかぶってきて歩きにくい沢だ。700mあたりから900mまで10m未満の細い滝が続く。楽しく登れる滝が多い。780m付近にある一番大きな15mの滝を登ると後方に大きく視界が広がり、羊蹄山からニセコ連山、日本海と狩場山塊までよく見える。更に滝が続いて980mあたりで水源。その後は濃いネマガリタケのヤブ漕ぎで稜線へ。後で山頂から見直すと左寄りに漕いでいった方が草付きが続いて登り易かったようだ。
赤土二股(540m) 左岸の赤土 |
白い岩が 多い |
感じの良い 小さな滑床 |
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寝木がかぶる |
この滝は巻いた |
15m大滝 下段は登る |
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滝の上に登ると 初めて展望が |
楽しく登れる 滝が続く |
源頭間近の ナメ |
稜線に上がってからはナナカマドやカエデがネマガリタケに混じり、最後は平坦で深いハイマツの海を漕いで巨岩のあるポンネアンチシ山へ。前半の増水がなければもう少し短時間で行けたと思う。ヤブ漕ぎが思いのほか長かった。
稜線より源頭を見下ろす 奥(登って左寄り)は 草付きのようだ |
ハイマツの海の向こうに 巨岩のある 山頂が見える |
西方にガニマナコを望む 地形図ではこれほど 出っ張っていない気がするが |
山頂から余別岳を望む |
山頂から積丹岳を望む |
山頂から珊内岳を望む |
巨岩は簡単に登って最高点に立てる。余別岳は遥かに高く積丹半島最高峰らしく威厳のある姿だ。積丹岳も岩峰を従え神々しい。これらの山の間の盆地状の地形は地すべりによるものだが、積丹岳から眺めるほどは池塘群が目立たない。池塘は無い様に見えたのが意外だった。樹林に隠れている数々の滝の音は山頂まで響いている。
古宇川や我呂の沢の石も同じだが、山頂の石にはコブシよりは小さい様々な大きさの窪みが多くある。その中でも山頂の5つほどの巨岩のうち、一番大きく最高点を成している巨岩の上面には盥ほどのやや大きな窪みが二つあった。これはグナマかもしれないと思ったが、周りの他の岩を見ると上面に限らずあったので違うようだ。
山頂の巨岩のひとつ 左は乾燥中の渓流足袋と軍足 |
グナマに似ているが違う 水がたまっているものもあった |
「北海道の山と谷(北海道撮影社)」にはこの沢の紹介がないが、「山谷レベル」で表現すれば!*レベルの下の方か、!レベルの上の方だと思う。面白い沢ではある。
★美国川我呂の沢下降(一部エスケープ・下り)
参考時間・・・山頂-0:50-水源-0:05-湿原-1:05-上二股(715m)-1:35-中二股(450m)-0:20-二ノ俣出合(380m)-0:50-鞍部-2:20-林道-0:30-舗装道路終点-1:40-美国市街(国道229号)
中縮尺の地図はやや下に。
山頂付近は低く絡まった樹林だが、すぐに東側のカール状地形の末端までネマガリヤブが続く。時々シダの斜面が混ざり楽が出来る。真北に下りていくと途中に柱状節理の崖があって下りられない。やや東側から巻くか、余別岳との鞍部まで稜線を辿ってから下りる。斜面末端では大量に湧き水が出ていて、その水がすぐ湿原になっていて池塘もある。湿原の池は浅かった。湿原地帯はすぐに終わるが、水量がすごく多い。しかも湧き立てなのですごく冷たい。
ヤブから見下ろす池塘 |
池塘と積丹岳 |
池塘とポンネアンチシ山 |
余別岳南コル直登沢との出合は、水量は同じくらいだが下ってきた南俣(ポンネアンチシ山方面)は苔生していて、余別岳の北俣は苔むしていないことが、登ってくる際に難しい読図の手助けになると思う。明るいのだが、谷底で目標物が見えにくく、読図が難しい。
河床には時々粘土があり、粘土には黒い斑点が目立つ。火山灰が粘土になり、火山灰が積もった時に焼かれた木の炭が残っているのかと思う。寝木状に水面にかぶっている木が多い。
粘土の層なす崖 |
粘土と黒い斑点と枯葉 |
715m上二股の辺りから河床だけでなく川岸にも粘土が大きく現れるようになり、上二股の右は少し濁っていた。その下の巨岩帯は、巨岩帯とは言われているけれど夕張山地の巨岩帯の方が岩が大きい気がした。谷が狭まって一つ南側を巻く滝がある。その下に地形図では北側に大規模な崖記号があるが、崖で岩が露出しているのは上の方だけで、殆どは草付きになっていた。
上二股の左 奥に粘土の崖 |
巨岩帯 |
巨岩帯 ここは巻いた (翌年の水の少ない写真) |
ポットホールが あった |
中二股の滝 (左) |
450m中二股では両方ナメ滝になっており、積丹岳から下ってくる左の方が水量が多かった。そして濁っていた。水量が間違いなく普段より多い雰囲気。
中二股のすぐ下の鉱山跡は幕営適で焚き火跡があったが、焚き火のオキからは膝ほどの高さのハンノキとギョウジャニンニクが生えていた。久しくこのオキは使われていなかったようだ。鉱山は重田美国鉱山と言い、重田と言う人の所有で昭和10年頃から探鉱され20年休山、銅・鉛・亜鉛を産出したという。トロッコのレールの欠片が落ちていた。この鉱山のアプローチはどこを通っていたのだろうか。トロッコは美国の街まで続いていたのだろうか。わずかに末端から線路敷きのような土盛りが見られたがすぐ辿れなくなった。坑道も周囲を少し漁ってみたが見つけられなかった。
その後は殆ど滝はなくなり、2.5m棚状の川幅いっぱいの大きな滝が一つある。簡単に通過できる。
鉱山跡テン場 |
2.5m棚状滝 |
25m滝上段を上から |
390mの25m滝の落ち口は二ノ俣出合と同じ地点で、落ち口から下流を見下ろしてこれまでの水量の多さと切り立った下流の景色に恐れを感じてしまい、ここより下にあると読んでいたヘツリ連続区間をこなす自信がなくなってしまい、300mほど北側に本流と並行する小沢に移動した。二ノ俣沢に入ってすぐの右に入る水の殆ど無い右の支流に入り、山葡萄の絡まる台地状のネマガリタケの中を1時間漕いで移動して、この小沢を下った。しかしこの小沢も真ん中あたりが腰まで浸かるそれなりのゴルジュになっていた。岩は黒っぽく滑りやすく、書物に書かれるツルツルと滑りやすいという我呂の沢の岩そのものであった。5m以上の滝も幾つかあり、巻かなければ降りられないものが幾つもあった。パーティーによっては懸垂もするだろう。手がかり足がかりになる岩は苔が禿げていたので自分と同じ考えになってここを通る人はある程度いるのではないかと思われるが、2kmほどに2時間半もかかってしまったこの区間は我呂の沢本流を下るのとどちらが早かっただろうか・・・。我呂の沢から登るのは今後の課題としたい。(2008年に我呂の沢を下から行ってきた。本流を下った方が楽だった。)
辿った支流 滝はあった |
ゴルジュも あった |
けっこう 本格的 |
林道は草や蔓で覆われ荒れているが大きく路盤ごと崩れている所はない。途中に針葉樹が変な具合に立ち枯れた植林地帯を通る。最終堰堤からは自動車でも走れる道だ。
次の橋の先にはAACHの看板のかかった小屋があったが鍵がかかっていた。AACHは北大山岳部。この小屋は北大山岳部OBの建てた小屋で直接は北大とは関係ない小屋だという(MEADさんの情報御提供)。小屋の名を示す額もなかった。また、すぐ近所には建設中のようなプレハブ小屋があったが、天井が風で飛ばされたような状態になっていた。日本登山大系の中の小樽GCCの記述によると昭和2年頃、北大山スキー部(山岳部とは別物)がこの辺りから積丹半島冬季縦走に何度も挑戦したと言うことだがそこまで古い小屋ではない。「美国小舎」と言う名で昭和56年頃の建築らしい。OBとはその頃の関係者なのだろうか。更に次の橋の手前には作りかけの庭園のようなものと小屋があった。その下の橋からは舗装道路だ。しばらく別荘地のようなところを通過し、それより下では酪農地帯となる。美国の市街は瓦屋根の石蔵や見事な装飾の古い民家があり歴史を感じさせる街だと思う。
枯れ木林 |
北大OBの小屋 |
AACHの紋章 |
北大OBの小屋(?)2 |
参考文献
小樽GCC,積丹山塊,日本登山大系1 北海道・東北の山,柏瀬祐之・岩崎元郎・小泉弘,白水社,1997.
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 上,北海道撮影社,1998.
小泉章夫,山小屋開設の御案内,p8,52,北大山の会会報,北海道大学山の会,1982.
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