中島権現岳(647m)・中島権現滝(旧千尋の滝)

中島権現岳の位置の地図 中島権現岳は琵琶状になった安房川中流の屈曲部にそびえる鋭鋒である。見る角度によっては包丁のように横幅が広くなることもある。春牧・安房・船行の岳参りの山として登られてきたようだ。

 中島権現滝はその直下にある大滝で、優美な女性が踊っているような美しい滝で、千尋の滝ともいう。同じ名の鯛之川の千尋滝を凌ぐ規模でまた違った趣がある滝である。旧千尋の滝とも呼ばれる。


★中島権現岳へ

中島権現岳の地図 縄文杉に向う人々の車の多く停められた荒川口を後に、トロッコ道を歩く。すぐ縄文杉方向と別れて右の橋でない方に入る。道沿いにはヘツカリンドウが多い。水を汲める流れもある。

 まもなく木の間越しに中島権現岳が見え、10分ほど歩くとトンネルが現れるので左の林に入っていく。

 何となく水平に踏み跡のようなものがあるような気がするが、途中で行止りであった。登りは稜線に忠実にヤブを漕いだ方が良いのではないかと思う。登山靴のフリクションがギリギリな岩場もあるが、掴む木はある。目印テープなどは見かけなかった。最後に1mほど掴む木のない傾斜のゆるい岩場を登ると山頂である。足元には安房川の太い流れが岩を噛む様が見え、北東方向は一段低くなった稜線が包丁の刃のように延びている。太忠岳の天柱石はここから望むと、親指ではなく中指となる。山頂にはサルの糞が落ちていた。

 下山時は直下の岩場だけ注意して、あとは昔の踏み跡のようなものを見つけることができた。下りるほどに不明瞭になるが、下の方は林床がきれいで傾斜もゆるく、どこでも歩ける。



宿舎跡から見た中島権現岳

★中島権現滝(千尋滝)へ

 トンネルをくぐり少し行くとトロッコの交換所があり、コンクリの建物が現れる。この建物は中島権現岳山頂からも見える。屋久島電工か営林署の宿舎跡と思われる。鍵がかけられていたドアもあったが開けられる引き戸もあり、中に入って雨風をしのげそうだ。屋上は中島権現岳の展望が良い。建物の周りはゴミが多い。昔の人はなぜ斯くもゴミを捨てたのだか・・・。

 建物の脇の階段を伝って地面に下り、回りこんで川に延びる尾根上の索道跡の脇を下りていく。コンクリの階段で、ヤブが掛っているような事はなく分かりやすいが、コンクリは屋久島の花崗岩より滑りやすいので注意を要する。苔むして滑りやすい。

 449m標高点の鞍部で道はT字路になっていて右に入る。左は貯水場のような所に向かっている。右に入るとしばらくは気持ちの良い樹林の中の道であるが、足元はやはりコンクリで滑りやすい。途中から発電所の導水管に沿うことになって開ける。ナチシダやヘゴが茂って、南洋の雰囲気がある。木苺の花も多かった。


横から見た中島権現滝
魚道のような自然の造形に驚かされる

 川岸に下り立つと突然、中島権現滝が見える。大きさのわりに音の小さい滝だ。正面には大きな発電所の建物があり、その辺りまで歩くと、一歩一歩滝の姿が変わっていく。この辺りはヒルが多いようだ。特に湿度が高いという気もしなかった4月だったが何匹も見かけた。発電所の資材運び込みはこの道を使用するのでなく、尾立ダムからトンネルとケーブルカーで行われているようである。しかし点検程度は定かではない。

 また、この滝の水は発電に取られて渇水期には殆ど無いことがあるのかもしれない。幾つか事前に見ていた中には、全く水の流れていない写真があった。


★山名考

 明暦の頃の作成と言われる屋久島大絵図に「中島権現」とあるのが山名として古いようである。


正面から見た
中島権現滝
更に上に続いて
いるのがわかる

山頂のスミレ

ヤクスギランドに向う道路から
愛子岳方面を見るると
下に中島権現岳が見える

 中島は「なかしま」だという。

 権現は権現様と言うことだろう。

 中島権現の「中島」とは、琵琶状に三方を川に囲まれていることから「中島」と呼ばれるようになったと、どこかで読んだ気がするが、どこで読んだのかを思い出せない。四方ではなく三方でも「島」なのか。開聞岳も「島」で呼ぶ別称があったようだから、南九州では水域で囲まれるのが三方で一方が確実な陸地となっていても「島」と呼んだのか。

 「島」は海や湖に囲まれているものだけではなく、水辺に望む景観の地を指すことがあったと言うが、中島権現岳付近が「景観の地」であったとは言えないような気がする。現代的な感覚では景勝地であるが、昔の人にとっては美しさを楽しむと言うよりは、畏れの地ではなかったかと思われる。

 安房川の本流上部を「中島川」と呼んでいたようだと言う。中島権現岳付近が中島川の名の起源と考えるのは、中島権現岳の位置が中島川の中ほどで、分岐の目印になるような位置でもないので無理があるように思われる。川の名が先ではないかと考えてみる。

 安房川は安房の平地を過ぎてから小杉谷の手前までの長い区間で川(谷)幅が狭いが、小杉谷から広がる「なか(中)・すぼ(窄)・川」の転訛ではなかったかと考える。「なか(中)・せま(狭)」の方が音が近いかとも考えてみたが、「口を窄める」や「尻すぼみ」と言った言葉は耳にするが、「口が狭い」や「尻が狭い」とは聞かないので、「中・窄・川」の方がありうるのではないかと思う。中窄みの極まった所に聳えるのが中島権現ではなかったかと考える。

 安房川上流の北沢と南沢の間の尾根の辺りが「ナカシマ」とされるのは、昔の中島川の源頭の山地名としての「中嶋山」を引き継いでいるもので、元は単に中嶋川の水源の山の意であったのが、「中嶋山」の表記から両股の「中『嶋(特定の地域/三方を水域で囲まれた地?)』」と誤解されたものと考える。北沢の右股と左股の間の尾根の辺りと、南沢の本流と右谷の間の尾根の辺りが、「コナカシマ」とされるのも、「小『ナカシマ』」ということだろう。山稼ぎの人々が奥地まで入り出す前に、現在の小杉谷の辺りに達した猟師などが、安房川の中流域は狭窄して険しいが上の方は意外に広いではないかと言うことで名づけた、安房川中上流域全体の特徴で「中窄川」とされたと考える。

参考文献
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第2巻 村落誌 中,屋久町教育委員会,1993.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第3巻 村落誌 下,屋久町教育委員会,1993.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
太田五雄,屋久島の山岳,八重岳書房,1997.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
小原比呂志,屋久島の渓谷ダイジェスト,pp11-15,17,YNAC通信,屋久島野外活動総合センター,2003.



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(2003年4月17日上梓 2017年8月2日山名考追加 8月9日URL変更)