石塚山(1589.4m)・花折岳(1587m)

石塚山と花折岳の位置の地図 石塚山は近代の屋久杉伐採基地だった山間部の石塚地区と屋久島北東部の楠川地区の奥岳で、登山道のある太忠岳のすぐそばに位置し、楠川岳とも呼ばれた1)と言う。楠川からは見えないが、だからこそ奥岳なのだろう。太忠岳から宮之浦岳は見えないが、石塚山・花折岳からは見える。地元製薬会社の創業者が近い人などの霊感等で昭和になってから立派な鳥居と碑を山頂近くに建てて、一時は会社登山なども行われていたようだが、いつしか忘れられ、現在は太忠岳から不明瞭な踏み跡を辿って登ることになる。花折岳は石塚山と太忠岳の中間にある岩峰である。



ヤクスギランドから
太忠岳・花折岳を望む

 太忠岳登山道の尾根に上がりきった所、「石塚別れ」から迷い込み防止のロープをくぐって左の踏み跡に入っていく。石塚別れは大きなテントが何張りも張れそうな大きな平坦な場所である。「石塚別れ」の名が示す通り、石塚山と太忠岳を結ぶ縦走路は昔からあったらしい。入ってすぐは目印テープが見られないが、まもなく現れる。

 踏み跡はしばし進んで花折岳東峰の直下で右に折れ、花折岳の北東面を巻いて行く。昔の道は南西面を巻くようにあったらしいが、現在、南西面の昔の道は目印テープがわずかに残るものの踏み跡はないと言い切って良い感じがした(帰路に辿ってみた)。現在の踏み跡が右に折れていく所は突然道が行止りになったような感じでわかりにくい。石塚山と花折岳の地図

 右に折れた後は、やや標高を下げながらトラバースしていく。意外に下がる。踏み跡の周りには岩屋状になった雨をしのげる巨岩が多くあちこちにあり、想像力がかき立てられる。太忠岳登山道に比べれば、それは整備されていない道だが、目印テープは多いしそこそこ人が通っている雰囲気はある。一ヶ所、水が滴り落ちて汲める所もあった。

 途中には花折岳に直登する踏み跡の分岐があっても良かったと思うが見つけられなかった。

 右手の稜線の標高が下がってくる感じがしてくると、岩を多く巡らせた石塚山が木の間越しに眺められる。岩が多くて、ちょっと登れるのだろうか?という感じがする。石塚山と花折岳の鞍部は平坦で、林床はこざっぱりとしてきれいである。

 山頂を目前にしながら踏み跡は右に逸れ、再び下り始める。昔の石塚集落から上がってくる古い登山道に入ってしまったかと思ったが、少し見てくるのもいいだろうと思い直してそのまま進んだ。

 巨岩から倒木がずり落ちて道にかぶり、ザックを引き擦りながらでないとくぐれない箇所を通過してまもなく、古い登山道と合流する地点があり、小さなルンゼ状の箇所を登るとブロックの階段が現れ、青銅色の金属の鳥居が見えた。鳥居の前はコンクリートで整地されている。鳥居の先は二枚の平行に立った板状の巨岩にはさまれて人一人通れる隙間があり、天井にあたる部分には天井を構成する巨岩があり(これが「石塚」の名の由来か)、奥に伊弉諾尊と伊弉冉尊の名を金文字で刻んだ碑があった。振り返ると御神体ということになっているらしい2)鏡岩がよく見えるが、鏡岩と鳥居の内側の碑との関係がよくわからない。御神体と言うなら御神体の前に鳥居が付きそうな気がするのだが・・・。鳥居の前のコンクリの周りではムシカリとヤクシマミツバツツジが花咲き美しかった。宮之浦岳も見える。

 鳥居に注連縄が残っているところを見ると、まだ完全に忘れられているわけでなく、お参りに来る人もたまにいるのだろう。しかし、どうも明治以降の国家神道のにおいが強くて改変されているように感じる。山川石が落ちていたから、一品法寿大権現を祀る岳参りの祠もあったはずなのに、国家神道の影響を受けた屋久島の一部の人が、屋久島の伝統と文化遺産を壊したのではないかと言う気がする。昭和50年代に建てられた屋久島大社の奥宮にあたるようだ。


岩の社 鳥居状

岩の社の中から

御神体とされる鏡岩2)

花折岳から見た石塚山

石塚山から見た花折岳

太鼓岩と辻峠 遠景

 ブロックの階段を下りてすぐに、来た道より山側にテープの続くのを見つけ、山頂を目指す。鏡岩の北側を巻いて行く。鳥居から直接山頂に上がるたどったルートは石塚山に登るにはマイナールートだったようで、目印テープはあるがかなりヤブだった。もう少し鳥居から戻って登るのが一般的なようだった。


石塚山から黒味岳-宮之浦岳の奥岳稜線
下の方の黄緑色は伐採跡

 石塚山山頂は一つの緩やかな巨岩の上で、宮之浦岳、永田岳から本高盤岳、ジンネム高盤岳、割石岳までぐるりと非常によく見える。

 宮之浦岳〜黒味岳方面の展望はしかし、安房川から立ち上がる斜面が単調で、ややインパクトに欠ける。安房川北沢左股の源頭には残雪が残っているのが見えた。

 眼下に広がる安房川南沢流域は針葉樹が見当たらず、色が薄くて一度すっかり伐採されてしまったことがわかる。それは白谷雲水峡の辻峠・太鼓岩の直下まで同様である。「伐りも伐りたりこの面積」と言う感想が出る広大な面積だ。宮之浦岳と縄文杉に行くだけでは分からない屋久島の実態だと思った。

 もう伐ってしまったものは現実として受け入れなければ仕方ないが、ここまで大規模に伐る前に何とかならなかったのかとも思う。私は白谷雲水峡の太鼓岩に登ったことはないが、太鼓岩からもこの伐られた有様はガスが掛かっていなければ見えるはずである。屋久島に原生自然のイメージを見たくて観光に来て、白谷雲水峡から太鼓岩に登って奥岳方面を眺めることが出来た人には、屋久島の森の多くは本当の意味での原始林ではなく、内側に広大な二次林と、二次林としての森の復活すら済んでいない、ごく最近に経済成長の為に大きく伐られた領域を含んでいて、島全体の森としてはかなり危うい橋を渡ってきたと言うべきか、橋から落ちてしまったと言うべきかの姿であるということを見て欲しいと思う。もののけの森の最奥に立てば、広大なエボシ御前の所業の跡が広がるとは皮肉である。しかし、こうした人間によって侵食された自然が、自然が残っているとされる屋久島ですらこれほどあると見つめることが、人間とは何であるか何であったか、これからの人間はどうあるべきかを考えることにつながるのだと思う。

 美しい苔は必ずしも原始の森を意味しない。一見、植物しか見えない広大な無人地帯でも、必ずしも人が大きく自然を改変していないわけではない。この伐られたエリアは国立公園の範囲ではあるが、世界遺産地域には含まれていない。自然公園法の国立公園とは何なのか、考えさせられる気がする。

 休憩した後、花折岳に向う。平坦な鞍部までは目印テープの通り踏み跡をたどったが、トラバースには入らず、稜線伝いに直接花折岳を目指した。シャクナゲ、ハイノキのヤブが少しあるがそれほどではない。花折岳の山頂は巨岩の積み重ねでなっていて、自在に岩の隙間を歩けるが、登ろうとすると最後の岩が少々恐い。石塚岳寄りと太忠岳寄りに二つ、同じくらいの高さの岩があるが、石塚山寄りは恐くて登れなかった。太忠岳天柱石は座禅する背の高いお坊さんの背中のような姿になっていて、静かに安房の町を見守るようにある。太忠岳の天柱石は八分目の辺りに大きな穴があって、時々(風が通るのか)音が鳴ると三国名勝図会にあるが、おかさ岩(天柱石横の四角い登れる岩)の上から見たお坊さんの右手と、太忠岳山頂近くから見たお坊さんの背中と、ここから見るお坊さんの左手を合わせても、穴がある様子は見えない。穴のあった部分は崩れ落ちてしまったのか。

 花折岳には東峰があって、そちらも天を指す四角い石柱のような巨岩だ(右写真)。東峰までの尾根には少し踏み跡と目印テープがあった。東峰の巨岩は取り付くしまが無くて登れなかった。


花折岳東峰

花折岳から見た
太忠岳天柱石

どうやって
ずれたのかな?
花折岳山頂の岩

 東峰西面を巻くように下りる部分に目印テープがあったので下りてみたが、途中で踏み跡は全く見当たらなくなった。東峰の南西下は岩壁が続いていて一気に標高を下げた後、真西に向かってトラバースして石塚別れを目指した。少しホウロクイチゴのはびこる箇所があったがそれほどでもなく、北東面を巻こうと右折した直後の踏み跡に合流した。


石塚山周辺空想縦走路地図(空想)
 左地図の赤線で示したような縦走路があると、安房歩道の魅力が増すのではないかと考えてみる。上屋久町郷土誌の付録の林班図に歩道が書かれていたのを見た。

参考文献
1)松田好行,屋久島の自然,八重岳書房,1977.
2)日下田紀三,写真集 屋久島の四季,八重岳書房,1983.
3)五代秀尭・橋口兼柄,三国名勝図会 50巻,山本盛秀,1905.
4)屋久島林班及び諸指定地域区分図,付録,上屋久町郷土誌,上屋久町郷土誌編集委員会,上屋久町教育委員会,1984.



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(2004年5月7日上梓)