鹿倉山
菟原下の
轟大橋から
鹿倉山(548m)・八川山(約455m)
狼谷を巡る各コース

 丹波の国の兵庫県と京都府の境にある山。丹波の中心と言う感じがする。

ページ内ジャンプ 別ページ
鹿倉山 福知山市三和町菟原下狼谷を巡る地図

★鉤掛越コース
参考時間:深山出合-0:20-地獄尾根コース分岐-0:10-鉤掛越(-0:10-八川山)-0:15-北峰-0:10-鹿倉山

 府県道から入ってすぐにも数台の駐車スペースと登山案内があるが、車を進めて深山出合まで入った。深山出合にも数台の駐車スペースがある。大きな砂防ダムの下で、権現直登コースと鉤掛越コースの起点となっており、権現直登コースの谷から清水が汲めるようになっていた。標識がある。

 アスファルトから杉の植林下に入り権現直登コースを分けて右の砂防ダムの谷に沿って登るが、地獄尾根コース分岐までどうも道がはっきりしない。右岸の道は鹿倉山林道の続きのような気がする。鹿倉山林道ができて昔の道がよく分からなくなったのだと思う。左岸にも時折踏み跡があるが、全体的には右岸の方が歩きやすい。

 初訪時はずっと右岸から登ってしまった。沢の水音がしなくなり大岩に突き当たってしまったので少し戻って谷に下りると地獄尾根コース分岐の看板があった。このあたりが狼谷の水源。見上げる地獄尾根コース下部は落ち葉が敷き詰められたスキー場の上級者向けコースのような顔をしていた。地獄尾根コースは廃道に近いようだ。

 まだ杉の植林だが登るに従い傾斜が緩くなり、森も雑木林で明るくなり、鉤掛地蔵のある鉤掛越。お地蔵様の前にはカンカケというL字の木の枝がぶら下げられている。鉤掛越というからには、細見川横谷へ下りる道もあるのだと思う。横谷方面へは青いテープが掛けられており、しばらくは踏み跡があったが伐採地に入ってよく分からなくなったので戻った。


深山出合から
地獄尾根を見上げる

地獄尾根分岐

鉤掛越コース
下の方は杉の植林

まもなく
鉤掛越え

 稜線の北側の八川山の方面の踏み跡がはっきりしていたので行ってみた。お地蔵さんの前に中出梅田神社へとの標識があった。何箇所か岩場があり、鹿倉山の三角錘が後ろに見える。西や北の山々も少し見える。八川山はどこが最高点かよく分からない樹林に覆われたピークで、梅田神社への道は南側のピークの上は通っているが北のピークの上は通っていない。何となく北のピークの方が高いのではないかなと感じる。北のピークへも弱い踏み跡があった。


鉤掛越

八川山付近から鹿倉山

北西の展望

 鉤掛越に戻って鹿倉山北峰に向かう。しばし平坦だが直下は腕を使う急登。小さな岩場もある。

 北峰の上は平坦だが痩せ尾根。地獄尾根コースがどこで合流していたのかよく分からない。北端で北側の展望がある。本峰へはまたいくつかの小さな岩場を横に見てすぐ。途中で東西の田ノ谷の分岐へ向かうらしい西尾根の道を分けてすぐに山頂。山頂は広場になっている。やや新しい感じのする梅田神社の石祠がある。多紀アルプス他いろいろな方面が見えるが周囲の樹高が上がってきたのか、どうもスッキリとは見えない。モチツツジの花がきれいだった。


山頂から三和町方面

多紀連山

山頂広場

★権現コース
参考時間:鹿倉山-0:30-熊野神社-0:10-深山出合

 権現コースを下山した。山頂広場を後にすると、すぐに暗い森の中の急な尾根である。すぐに天狗岩の標識が落ちていたが道は一本。その先でもう一度「天狗岩」の標識があり、こちらは後から誰かが標識に地図を書き込んでくれたようだ。図解付である。左に折れて暗い森の中をトラバースすると天狗岩に出る。岩の手前には漆の花が咲いていた。雨乞いがされたという天狗岩の上は平坦だが少し下に傾斜している。傾斜が気になって立つとお尻が寒いが福知山盆地方面が良く見える。昔は山頂から直接天狗岩に降りるルートもあったのではないかと思う。

 尾根に戻って更に下りるとすぐに烏帽子岩。こちらも展望が良い。菟原方面が良く見える。谷筋の枯れ木にオオルリが鳴いているのが見えた。烏帽子岩のすぐ手前から道は岩の裂け目を下降している。烏帽子岩の足元から杉の植林となるが、道はハッキリしない。赤布が多く下げられている中を進むと杉林の中に熊野神社の社殿が見えてきた。熊野神社が神仏分離令の前は熊野権現だったのか。

 熊野神社の前が深山林道の終点でここまでアスファルト舗装されている。鹿倉山への最短コースだ。数台の駐車スペースがある。アスファルトを横断し、少し東側から歩道が深山出合に下りている。下りるとすぐに太平寺旧参道コースと権現直登コースの分岐。旧参道コースの方がハッキリしていて、権現直登コースは谷底へまっすぐ伸びている。結構な急坂で深山出合に下りる。末端の深山出合付近はアジサイの藪が少し茂って道がハッキリしないが権現直登コースの殆どは谷の中のハッキリした道だ。


権現へは暗い森に入る

烏帽子岩

烏帽子岩から下りる

烏帽子岩の下は植林

天狗岩から北峰

天狗岩から北方

菟原方面
権現直登
コース

深山出合から
熊野神社は
斯の如く
急登

熊野神社に下りる

熊野神社 前から

★太平寺旧参道コース・轟水・鹿倉山林道コース
参考時間:太平寺旧参道コース:熊野神社-0:15-深山林道横断-0:15-府道710号-0:25-轟水-0:05-深山林道(上)、鹿倉山林道コース:深山出合-0:10-蛭谷出合


しょうぶ池 水は無い

 深山出合から鹿倉山に登っただけでは少々歩き足りなく感じるのもガイドブックの通り。ガイドブックの勧める通りに轟水に寄ってみた。その前に熊野神社から太平寺旧参道コースを府道710号線まで歩いてみた。

 太平寺は熊野神社(熊野権現)の辺りでは痕跡を感じないが、熊野神社のあたりから菖蒲池にかけて広がっていたようだ。権現直登コースを分けた後、小さく尾根を乗り越す辺りに整地されたような場所があった。太平寺の堂宇の一つでもあったのだろうか。その下に湧き水の泥地があり、ヌタ場になっていたが、ここが菖蒲池ではないかと思う。菖蒲池を上から回り込むと杉の植林から雑木林に変わり明るい。倒木が増え道が少しハッキリしない。尾根の鼻を回り込むと路盤がハッキリしている。土の溝となって旧参道は続いているが、倒木が少しうるさい。標高300m付近でジグを切っているが切らないで伸びている溝もある。標高290mの東側の窪地には石垣が見えた。こちらにも太平寺の堂宇があったのか・・・?

 溝となって旧参道はハッキリしているが倒木は多い。深山林道のアスファルトを横断する。深山林道より下では木が切られて荒地っぽい雰囲気でクサギが多かった。それも230m付近までで、再び暗い植林下。轟水満宮の分岐より下は古い作業道と錯綜していて分かりにくい。府道に出る尾根の末端付近は笹薮になっている。

 丹波志の中で菟原下から篠山に抜ける箱部峠を越える道や岼ヶ鼻川について、「堺藪・寺ヶ谷というところを通・・・」とあるが、寺ヶ谷の寺は太平寺を指し、寺ヶ谷とは狼谷のことだろうか。堺藪(境藪)は現在の府県界の辺りと明治時代の地形図から分かったが、寺ヶ谷については角川地名辞典の小字名一覧にもなく、どこだかよく分からない。寺が太平寺のことなら狼谷のことだろうと考えているが、地元の方に伺ってみたい。


一旦明るくなる

倒木がある

でもハッキリしている

溝となっている

溝の中

深山林道が近い

深山林道出口

標識では「平寺」に
なっている
歴史的に存在が
はっきり分からない
お寺らしい(天台宗)

深山林道と太平寺旧参道の
交差点からから狼谷を見下ろす

クサギの若い森

深山林道入口付近

水満宮の鳥居

轟水 モミの巨木

 尾根を回り込んで轟水方面へは明るく気持ちの良い道が続いている。鳥居をくぐって轟水だが、轟水は沢筋には流れておらず、殆ど上水として導水されているようだ。鉄柵に囲われて注連縄の掛かったモミの大木と水満宮の社殿があった。鉄柵の外側にコックがあるが処理されていないので飲まないようにとの掲示があった。簡易水道が引かれた頃、1969年創建とのことだが水満宮とは聞きなれない神様のお名前だと思う。鳥居から深山林道の上部へもハッキリした道がついている。

 水満宮参道の下の方では道にきれいな水が流れていた。導水の一部が漏れていたのかもしれない。轟水は一部が府道の脇にパイプで流されて汲めるようになっている。

 鹿倉山林道コースは深山出合からアスファルトの林道ではなく狼谷右岸の沢沿いを進むコースである。古い林道で砂防ダムの連続する狼谷の横の杉並木を眺めながら歩くコースだが、太平寺旧参道コース下部同様、歩く人が少ないのか少し荒れている。道は湿っている。ミズタビラコが沢山咲いていた。深山出合側の入口は多少ヤブではっきりしない。下の方の山側に伐採地があり、そこまで車の轍がある。


★地獄尾根コース
参考時間:鉤掛越コース水源(地獄尾根分岐)-0:35-北峰


地獄尾根 狭くはない

コガクウツギ

 地獄尾根コースは鉤掛越コースが狼谷の水源から離れた地点から分岐する。最初のスキー場のような坂はハッキリしているが登り切った先からがハッキリしない。尾根筋でその名から岩場の連続かと予想していたが、それほど岩場はない。ただ、自分が歩いたところが完全に昔の地獄尾根コースをトレースできている自信もない。

 最初の岩場は東から巻き、次の岩場は西から巻いた。二つめの岩場の上には上から立つことができて、狼尾根・菟原下方面の展望が良い。それより上では西側を絡みながらそれほど岩場なく登る。とにかく急傾斜で「地獄尾根」と言うのは岩場の恐ろしさではなく急傾斜の苦しさを指しているのではないかと考えてしまう。岩をつかむことは殆どないが木の幹は掴んでいたい。鹿がよく利用しているらしく、鹿の足跡と糞が多かった。

 北峰の下で鉤掛越コースと合流する。北峰まであと1,2分である。


★上井根水路コース
参考時間:正面出合-0:20-カラト岩

 江戸時代に開かれた上井根(うわいね)の用水路沿いを歩くコース。

 このコースは蛭谷林道出合から始まっているが下はどこまで続いているのかよく分からない。駐車スペースのあるカラト岩の上でアスファルト道を横断するので、そこで下りると正面出合に周回できる小さなハイキングと言う気がする。

 カラト岩の川側には中井根の水路が走っている。

 蛭谷林道から上井根水路に沿って下る。上流側にも歩くスペースはあったが、深山林道の橋に着く前に藪で行き止まりであった。水路沿いに木の根の絡まった大岩がある照葉樹林からスタート。続いて竹林。

 視界が開けると下に府道本郷辻線が見える。ずいぶん高いところを通る水路である。

 等高線に沿った水路で、水路が谷を横断する箇所ではコンクリ槽で谷の水を加えている。水路には魚がいる。槽の中には一際大きな魚がいる。水路沿いには蛙や蛇が多くいて、歩いていると驚いて水路に飛び込む。蛇も上手に泳いで適当なところで溝から上がっている。谷筋には踏み跡や作業小屋があり山仕事の場であることを感じる。水路の谷側には田圃の跡がある。この山間部では杉林や荒地になっているようだ。

 新しいお宅が見えてくるところでアスファルト道に当たり、ここで右に下りるとカラト岩に出る。道はまだ続いていた。正面出合の案内図には遊歩道のように描かれていたが、水路の保守に現役なので猪の倉まで続いているのではないかと思う。


蛭谷林道から入る

木陰の道

竹林もある

舗装道路が遥か下

参考文献
1)内田嘉弘,京都丹波の山(上) ―山陰道に沿って―,ナカニシヤ出版,1995.
2)内田嘉弘,鹿倉山,京都府の山(新・分県登山ガイド25),山と渓谷社,2004.
3)寺田小左衛門,根本惟明,佐々木谷旧記(竹毛文庫2),根本惟明,1972.
4)天野主,天田郡(三和町夜久野町)の地名(序説),天野主,1983.
5)天野主,続地名随想,天野主,1987.
6)慶佐次盛一,兵庫丹波の山(下),ナカニシヤ出版,1992.
7)塩見晋,天田郡,京都府の地名(日本歴史地名大系26),下中邦彦,平凡社,1981.
8)古川茂正・永戸貞著,古川正路,芦田完,丹波志 天田郡,福知山史談会,1973.
9)永戸貞著・古川茂正,古川正路,丹波志,名著出版,1974.
10)角川日本地名大辞典編纂委員会,京都府 下巻(角川日本地名大辞典26),角川書店,1982.
11)石田幸雄・後藤真也・高田収,北山・丹波,中高年向きの山100コース 関西編,高田収,山と渓谷社,1982.



トップページへ

 資料室へ 

鹿倉山メインへ
(2010年12月31日上梓)