鹿倉山
篠山市桑原から

鹿倉山(548m)
河谷コース

 丹波の国の兵庫県と京都府の境にある山。丹波の中心と言う感じがする。篠山市桑原の内、河谷からは近過ぎて見えにくいが、箱部峠の南側の桑原からは大文字をアクセントにして望める。

鹿倉山の篠山市桑原河谷側の地図


★河谷コース
参考時間:河谷クズレ石登山口-0:10-稲荷社-0:20-桑原分岐(-0:02-深山林道)-0:20-山頂

 南東方の篠山市側から登るルート。河谷(こうだに/こうたに?)地区は兵庫県篠山市(旧西紀町・旧草山村)桑原の一部だが箱部峠を越えて友淵川流域から岼ヶ鼻川(河谷川)流域に張り出している。

 府県道710号から箱部峠の下で河谷地区に入り、道路の川側(南側)に河谷コースの看板がある。山側にはお稲荷さんの赤い鳥居が見える。字クズレ石で山側のコンクリ道に入ると数軒の家の先に砂防ダム(クズレ石上川)があるが砂防ダムが見えては行き過ぎである(駐車スペースとしては砂防ダム下か)。家の手前上方に赤い鳥居と防獣ネットがあるのでそれをくぐり更に鳥居の先で今度は鉄柵の扉をくぐり、よく整備された急坂を登る。急坂だが歩きやすい。一登りで石段のあるお稲荷さんと氏神様に着く。文化9(1812)年創建とのこと。二つのお社が一つの野佐屋に覆われている。野佐屋は昭和50年代のもののようだ。河谷のクズレ石の西側の一郎ヶ谷からも道が登ってきている。

 お稲荷さんから先はしばらく平坦である。途中、尾根上に十字路のようなものがあった。昔は山仕事の道が張り巡らされていたに違いない。鹿倉山の山体に掛かろうかというところで右に折れ、尾根を下りて少し下る。尾根から下りると雑木林から杉林に変わる。谷の中でクズレ石上川の砂防ダムから上がってきたと思われるブル道を横断し、もう一つ小尾根を乗り越えて小さな東隣の谷に入る。同じ杉林だが北側の狼谷の杉林より乾いている感じがする。


河谷の道路沿いに標識

赤い鳥居が

良い道

稲荷社と氏神様

東へ

雑木林

ブル道横断

モチツツジ

 ほどなく鹿倉山南東麓の標高350m付近をトラバースする道に合流する。合流点は大きな炭焼き釜の前で、少し開けている。ここの炭焼き釜はまだ屋根があって、釜の中が暗い口を開けている。すぐ上で深山林道に越える鞍部に達す。この鞍部を「本郷越」と書いている資料もあるが、本郷はこの辺りでは箱部峠の南側の桑原川と友淵川の合流点の少し南の本郷地区を意識すると思うので、河谷奥から上がれば菟原下へ、菟原下から上がれば本郷から遠ざかるように河谷奥へ上がるこの鞍部の名前ではないような気がする。本郷越は深山林道入口の鹿倉山登山の案内板にも出ているが模式図なので指している位置がどうもハッキリしない。本郷越は細見谷(旧三和町)の人が河谷・桑原を通って本郷(旧西紀町)へ向かうために呼んだ、東田ノ谷と河谷を結ぶ峠(河谷峠/札差峠)の二つ名(三つ名?)ではないか。本郷越は田ノ谷を含む細見谷からの呼称ではないかと思うが、桑原・河谷側からは田ノ谷峠とも呼んだようだ。

 炭焼き釜から河谷の奥、東田ノ谷へ向かう地形図上のトラバース道は少し荒れている。更にいくつかの炭焼き釜の前を過ぎて下り始め、最初の谷を横断する辺りがはっきりしない。しかし河谷の奥から東田ノ谷方面への道と合流すると、荒れてはいるものの幅が広くはっきりしている。


炭焼き釜跡

穴が開いていた

こちらは天井無し

 鞍部から深山林道へは緩やかで広い斜面をすぐである。山側は植林、谷側は雑木林。鞍部から進路を府県界の稜線を北に取り、植林の中を進むとまもなく北側の福知山市側は雑木林となる。ちょっと急傾斜。傾斜が緩んでくると南側の植林が明るい。鹿倉山南斜面の山肌に大文字の電飾をつけたようで、木が生えておらず何やら電線が多いが南東の桑原・遠方方面の展望が開ける。

 その上で植林は終わり、440mの台地の上で気持ちの良い天然林。限りなく平坦で道はコナラなどの落ち葉に覆われてハッキリしないが、ひたすら西進する。気持ちの良い山の中。府県界が南に折れるところで道標があり、最後の緩やかな登り。ケヤキやカエデの涼やかな森やアセビの森。最後にポンと山頂広場に飛び出す。


鞍部の標識

大文字から東方
ゴルフ場が見える

大文字から南方
多紀アルプス

参考文献
1)内田嘉弘,京都丹波の山(上) ―山陰道に沿って―,ナカニシヤ出版,1995.
2)西紀町史編纂委員会,西紀町史,兵庫県西紀町,1987.
3)慶佐次盛一,兵庫丹波の山(下),ナカニシヤ出版,1992.



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(2010年12月31日上梓)