様似山道の位置の地図
様似山道
さまにさんどう

 江戸時代の北海道の外周を結ぶ道のひとつ。日高耶馬溪と呼ばれる様似町の断崖絶壁連なる海岸線を迂回するために中村小市郎などの尽力によって作られた。明治2(1869)年になって、電話線の為に後に電電公社が手入れをしていたことはあったようだが街道としての整備がされなくなり、更に明治24(1891)年の海岸線のトンネル開通後は忘れられて廃道となっていたが、美しい花が多く見られる道として知られるようになり、復活してハイキングロードとなった。


様似山道西側の地図様似山道東側の地図

 幌満の東口から歩いた。バス停から幌満川を幌満橋で渡り、橋の西詰から海岸側に下りて橋をくぐり、幌満川の上流側に右岸を少し歩く。すぐ先に階段と入山ポストがある。階段はすぐに登り終わり、その先はワヤシノナィの小沢沿いを登っていく。踏み跡はハッキリしないが、道の路盤が残っている箇所もあり、残っていなくても岩が滑りやすいと言うことはない。水量は少ない。沢沿いにはエゾオオサクラソウがたくさん咲いていたが、もう旬は過ぎていたようだ。登るに連れて周りの森が針葉樹の植林となり水が消えるかと言う頃、左に山へ入るしっかりとした道が現れる。


幌満トンネルから下りる
更に橋の下をくぐる

幌満川沿いへ
下りる

入山ポストと
階段

ピラウンナイ
源頭間近

沢を離れる

 少し登ると峠に達し、その後は緩い台地の下りが続く。その後、急にジグザグの急な斜面に切りつけられた道(十七曲)となり、沢へ下降する。ルランベツの沢である。ルランベツは二股のすぐ上で渡渉するので二回渡渉することになる。西側(二回目)が少し泥崖でロープが張ってあるが大した高さはない。水も少なくごく浅い。その後、再びジグ(十曲)を切って台地に上がる。上がりきったところは本当に平らでルランベツ地区の家が少し見下ろせる。踏み跡が急坂(念仏坂?)を海岸へ下りているがロープが張られ、通行しないようにとされていた。少し道から離れて海岸側を見下ろしてみると幌満トンネルの西口や鵜の鳥岩、昆布を採る漁師の人々が見えた。この台地には土留めの網のアンカーがたくさん打たれていた。こんな小さなアンカーで崖のネットが留められていたのかと目の当たりにすると驚いてしまった。意外と崖のすぐ脇だ。でもきっと深く打ち込まれているのだろう。

 道沿いには時折電柱に取り付けられる絶縁用の碍子(ガイシ)が落ちている。木の電柱も見られるが、どういうわけか切り倒されている。


ルエランベツ
渡渉点二回目

海岸
西側

海岸東側と
鵜の鳥岩

昆布を採る
人々

アンカー

割られたガイシ

切り倒された電柱

 ルエランベツの展望から先はまっすぐで細く平らな尾根上を歩く。細尾根が広い尾根に吸収されると左にそれる。植林地も見られる。少し下りだすとまもなく看板があり、原田旅宿跡である。今は建物は何も残っていない。わずかに礎石と言われる石が散らばるのみ。またこの辺りの木々には木の名前を示す札が付けられている。礎石散らばるすぐ下にもチョロチョロとわずかな水が流れていたが、原田旅宿ではその1分ほど先の小沢で水を取っていたのだろうか。この沢はコマモナイと言われる。

 その後、すぐ尾根を乗っ越してジグを切って大きく下る。今度の沢はオオホナイ。アイヌ語では「深い沢」と言う意味になりそうだが特に問題のある渡渉ではない。明るくきれいな沢だ。深いのはもっと海側のことだったのだろうか。再びジグザグに登りきると木の間にアポイ岳が望める台地に上がる。昔はこの台地の上で合流するアポイ岳の登山道があったように地形図に書かれていたが今は何も感じない。少し進むと様似山道の中間点を示す標識がある。この先そのまま尾根上を下りると山中の集落に出るようであるがはっきりした様似山道を更に辿った。


原田旅宿跡礎石?

アポイ岳が見える

中間点の標識

 次に渡るはオイオイノ沢である。この沢もルエランベツ同様に二股のすぐ上で渡渉するようになっているので二回に分けて渡渉する。立派な看板が沢の両岸にあり、渡渉の概念図付である。オイオイノ沢とは変わった印象の地名だが江戸時代より記録のある地名である。ここではかなり海岸の国道から自動車の音が聞こえる。

 この先、少しぬかった部分を通過し、磯の香りするようになるとまもなく下降し、台地の上の昆布干し場の一角に下りる。ここは自動車も入るアスファルト舗装の地である。昆布干場に挟まれた直線のアスファルト道を過ぎ、T字路の川(ことに川)を渡り、再び昆布干し場の台地上に出るとその突き当りがコトニ小休所跡である。芝生の広場に看板がある。古代の遺跡もあるようだ。眺めの良いところで西側から歩いてきた旅人が東側の難所に備えて一休みしたのだと言う。


オイオイノ沢看板

昆布干し場へ下りてくる

昆布干し場

昆布干し場越しの
アポイ岳

コトニ小休所から
冬島を望む

エゾオオサクラソウの
群落

 小休所から再び山道に入る。この辺りは林道や作業道も錯綜しているようで、本来の様似山道だったのか怪しさを感じてしまう。登り切ると草原の斜面を横断する。すぐ上では造材が行われていた。草原には蛇紋岩植物が少し見られた。その先、道には水が流れてすぐ横を新しく刈り分けて歩くようにしていた。周りは植林帯で雨裂も大きくちょっと雰囲気が悪い。海岸側からコンクリの法面が近付き谷の上に飛び出す。オソフケウシの谷である。かつて難読地名として「嘯牛」と書かれた事もある。この谷にジグを切って下りると砂防ダムがあり「様似山道西口」の大きな看板をつけたギャンブレル屋根の建物の裏に出て海岸の国道に降り立つ。冬島のバス停までは歩いて15分ほどである。地図上ではここまでの途中で山の中を冬島の街中まで歩く点線が描かれている。この道も辿ってみたい気がする。


最後の山道

オソフケウシの建物
様似山道西口の目印
手前の橋は「押木橋」と
超略で宛て字されて
名づけられている

地名考(子頁)

参考文献
1)様似町史編さん委員会,様似町史,様似町,1962.



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(2008年5月31日上梓 2017年6月14日URL変更 7月30日地名考を分割)