オキシマップ山 新歌別から |
オキシマップ山(896m)
日高山脈南端に近い最後の1000mを超える三枚岳連山の一峰で豊似岳の前衛峰のような位置付けだが、国道336号線からは、国道に近いことにその形の良さも合わせて三枚岳連山の主峰のように見られてしまうこともあるようだ。豊似岳へ縦走した。
★上歌別〜オキシマップ山
国道336号線の上歌別から登った。上歌別川は僅かに増水している雰囲気で、上歌別川左岸の林道はすっかり雪が溶けていた。林道の横を流れる小流には谷地坊主が点々と連なっていた。
上歌別川の本流の袂に出ると右折する枝道があるが、見送って道なりに進むと九十九折で標高300m弱の台地に上がる。本当に平坦な台地である。今年は寡雪暖冬とのことで台地に上がっても林道脇に僅かに除雪された雪が見られるだけだった。
当初は470m標高点を通って、南西の尾根で登ろうと考えていたが、雪が現れないので南麓の林道を辿り続け、オキシマップ山の真南で牧草地の北縁の林道から入山した。それも針葉樹林下に薄く雪があっただけだ。広葉樹林下になると雪はなくなるので雪の残っていそうな谷筋へ移動したりフラフラと効率の悪い登り方をしてしまった。谷筋は岩礫がガラガラと雪の中から顔を出していて、これもスノーシューでは登りにくかった。途中、何度か水平の作業道跡を横断した。
670m標高点の南東の尾根に上がると殆ど樹木がない草原だった。また、雪も全くなかった。スノーモービルが雪のない状態で走って大量に落ちている鹿の糞をグチャグチャに擂り潰した跡を見て笑うも、自分の靴の裏も同じようなものだ。植生を剥いでまで潰していないことに自己満足するだけだ。眼下には襟裳岬や海岸線と太平洋の白波、平らな台地に広がる牧草地の光景が広がる。
上歌別川支流の 谷地坊主 |
谷筋で この程度の残雪 |
標高600m付近の 笹原 |
670m標高点の南側斜面は草原で、十勝坊主(アースハンモック)が散在している。氷期には今の大雪山の山上の風衝地のような光景がオキシマップ山の南面にも広がっていたのだろうと想像してみる。ここの十勝坊主は状態が悪く、崩れかかったり坊主頭の上に潅木が生え始めたりしている。気候変動の影響か、鹿やスノーモービルが増えていることの影響かなど、いろいろ考えてしまう。670m標高点で稜線に上がると十分な雪堤があった。700mより上では一面を覆う十分な残雪があり、ほどほどの傾斜の樹林の中を気持ちよく登っていくと山頂の僅かに東側に出た。山頂付近のみはブッシュがややうるさい。山頂ではナキウサギの声が響いていたが姿は見えなかった。
十勝坊主と ストック |
670m標高点付近から見下ろす 十勝坊主の斜面と牧草地 |
山頂が やっと見えてきた |
オキシマップ山山頂 |
1093mへの稜線 |
豊似岳 |
★オキシマップ山〜豊似岳
鞍部までは広く一定の傾斜の歩きやすい斜面であった。ナキウサギの声は相変わらずいろいろな方向から聞こえるが姿は見えなかった。850m付近に樹林に覆われた小さな岩場がある。両脇は急傾斜でスキーなら問題なくトラバースできそうだが、スノーシューでは難しかったのでツボ足でキックステップでトラバースして岩場の登りやすそうな部分に取り付いた。
850m付近の 岩場 |
969m標高点の手前の 砲台状の岩 |
砲台の上からルチシ山 険しい |
オキシマップ山を 振り返る |
969m標高点に 向かう |
痩せた969m標高点を 振り返る |
969m標高点周辺は痩せ尾根でスノーリッジになっていた。一部、岩場やハイマツの上を歩く部分もあった。最後の登りは斜面も広くなり傾斜も緩くなり歩きやすい。標高1000mを超えると霧氷が付いていた。1093m標高点のピークまで上がると日高山脈の遠望が得られた。まず目に付くのは楽古岳である。南日高の盟主と言って良い姿だ。1839峰・ヤオロマップ岳まで確認できた。
豊似岳までは広い稜線歩きだ。豊似岳(1104.6m)から見ると1093mのピークの方が高く見えるが、1093m側から見たら、やはり豊似岳の方が高く見える。
1093m標高点から 北方へ伸びる 日高山脈 |
1093m標高点から豊似岳へ 向こうの方が高く見える (実際高い) |
豊似岳から1093m標高点を 振り返る 向こうの方が高く見える・・・ |
969m標高点は スノーリッジ |
オキシマップ山を 振り返る |
明治時代に北海道庁の発行した北海道実測切図では「オキシカヌプリ968m」1)とあった。
okiska オキシカには、鹿などの尾の意味があるようだ2)。房状の狐の尾や、丸い兎の尾と区別された尾の呼び方だそうだ。確かに三枚岳連山全体に対して鹿の尻尾のようにツンとしている形状(と位置)の山ではある。しかし少なくとも私は類例を知らない(オキシカが地名で使われているのを他に知らない)アイヌ語地名である。okiska nupuri[(鹿の)尾・山]か。
えりも町史3)はオ-キシマ-プ[裾・引き締まった・もの]と解く。
この解の o(オ)に名詞としての「裾」の意味は近年のアイヌ語辞典2)4)5)には見られない。項数を変化させない接頭辞として「〜の末端」と言う意味なら「裾」に似た意味になるが、kisma は二項動詞4)なので、最後に形式名詞 p が一つ付いても文法的に破綻する。この解はアイヌ語として成り立たない。
okes を「裾/ふもと」とする辞典6)もあり、それを生かすと okes oma p[麓・にある・もの]として、豊似岳に対して前衛峰であるオキシマップ山を指せないことはないように思われる。だが、カタカナで表すとオケソマップになってしまう。
okcis oma p[峠・にある・もの]の聞き誤りと言うことはないのかと思う。okcis[ぼんのくぼ/峠]6)は類例としては根室の落石岬の付け根のような地形を峠として指す。襟裳岬周辺の追分峠より南側を後頭部とみなせば、追分峠はウナジとみなせないこともないように思われる。ただ、追分峠・襟裳岬周辺は落石岬より規模が大きい上に、水平的な地形の形状も異なるので単純に似ているとは言えない。
現行の地形図(2009年3月現在)でオキシマップの地名はオキシマップ山の他に山麓を流れるオキシマップ川で用いられているが、この川は前出の明治の地図ではシロツミだった。えりも町史ではシロツミを、原名 sir o cimi nay[山・そこで・左右に分ける・川]としている。cimi が不完動詞とされるので文法的に怪しい解釈である。o を「その尻」と訳せば文法的に良さそうである。オキシマップ川の落ち口で、歌別川の河谷は歌別川と上歌別川に分かれている。シロツミは sir o- cimi[(河谷の視界の)見える有様・その尻(が)・を左右に分ける]で、オキシマップ川という呼び名はオキシマップ山の麓を流れる川ということで、後から付けられた川の名なのではなかろうか(sir o- cim -i[見える有様・そこで・分かれる(?)・所]かとも考えてみたが直に支流の名になるのか怪しい気がした)。だが、「麓にあるもの」ならばオキシマップ山に限らず、支流の中では山の麓まで短いオキシマップ川でもこの意味で指せそうな気もする。
(補記2010/3/8)
留井さんより掲示板を通してオキシマップの解を教えていただいた。
この山の南端にある支流(現オキシマップ川)の地形が、元浦川のo-cis-ne-i(現ウチシナイ川)とよく似ていることに気が付きました。そのことから下記の解釈を考えたのです。
o-cis-oma-p 「端がくびれの部分から出ている山」
o-cis-ka-o-nupuri 「端がくびれの部分の上にある山」
地名における o と u の混同及び u と i の混同があることから考えれば so/syo が「シ」に変化するのも不自然ではないようです。和人の方言に影響されて「チ」と「キ」の混同が起こり o-cis- が「オキシ〜」という発音になったのではないかと考えました。オキシカヌプリを okes-ka-o-nupuri と解釈すると「麓の上にある山」という意味になりますが、山が麓の上にあるのは当たり前なのでそのことが地名になるとは思えないのです。
------------
なるほど、ありがとうございました。
参考文献
1)北海道庁地理課,北海道実測切図「襟裳」図幅,北海道庁,1893.
2)田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
3)渡辺茂,えりも町史,えりも町,1971.
4)中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
5)萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.
6)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
トップページへ |
資料室へ |