富岡から

手宮富士(ca.140m)

 小樽市街の手宮と長橋の間の郷土富士。かなり地形が改変されている。ネットで検索するとケツ山とかケッツ山と言う呼称もあるようだ。鉄道で小樽に向かうと、札幌側から小樽駅に列車が入る時には正面に聳え列車は手宮富士に突っ込むかのように小樽駅に進入する。余市側からはオタモイ峠を越えた気動車が滑るように小樽駅に向かって下りて来る時に、車窓の左前方に聳える。逆の立場で、かつては鉄道撮影(山線のSL・特急北海等)の好適地であったというが今ではネマガリタケが茂って完全にヤブ山。山腹に全道戦没者殉職者英霊塔建設地の古い柱が立っていたが中止されたような雰囲気。

 展望は比較的良い。北側の手宮方面は樹林が茂っているが南方の長橋〜色内方面は開けている。SLは走らなくなったが、JRの気動車や電車、勝納埠頭や第三埠頭にフェリー、コマゴマと走る自家用車と赤い中央バス。斜陽という言葉もあるけれど、歌ふことなき人人の声の荒さはまだ立ち上っている気がする。

 初訪時は石山中学校から残雪期に登った。石山中学校跡は一昔前の北海道によく見られた円形校舎。稜線が痩せていて雪稜が歩きにくかった。再訪時はヤブ漕ぎで北本願寺から登った。北本願寺は江戸時代文化年間の番屋を移築したものとのことで、黒塗り一部瓦葺の風格のある建物であるが、周りを取り囲んでいた市営住宅が撤去されてしまって少し寂しい。昔の路盤が手宮富士の南麓に伸びているが、ネマガリタケとヤマブドウが茂っていてとても歩きにくかった。

 南斜面は草付きで全道戦没者殉職者英霊塔建設の準備だったのか、整地されていたような印象を受ける荒地である。東稜上には浄応寺の坂が通り、更に東のピークは荒巻山・石山・石切山と呼ばれ、小樽運河の工事の際に石を切り出したようだ。今でも荒々しい石切り場の雰囲気が残っている。それより昔の高島運上屋の頃の海に突き出しただけの岩山の雰囲気も同時に感じるのが不思議である。英霊塔予定地も砕石の跡のようにも見える。

手宮富士の地図


北本願寺

山頂の様子

小樽港が一望

毛無山・小樽駅

天狗山

長橋・オタモイ

英霊塔建設予定地標柱

山頂には標石

参考文献
石川啄木,石川啄木全集 第1巻 歌集,筑摩書房,1978.



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(2010年5月16日上梓)