琴似発寒川から

エプイ/ヘポイ=三角山(311m)

 三角形だが、円山と呼ばれた歴史も長い。今は丸い中央区(サッポロ)の円山と覇を競うを西区(コトニ)の三角山である。一等三角点が置かれ、採石による山体喪失の危機も乗り越え、放送局小学校の名称にも冠される、愛される山である。数多くの登山コースがあり、四季を通して子供の歓声が絶えない。冬でも地元の保育園児なども登っている。大倉山・奥三角山に縦走路が続いている。

 高澤(2002)は三角山に置かれた三角点点の記(明治31年)にあった「俗称」からヘポイ(意訳して「小さな頭の山」)をアイヌ語の三角山の名として案内板等に併記すべきではないかと提言しているが、ヘポイは永田方正の伝えたエプィ(ハッサムエプイ)の訛りではないかという気がする。先住民であるアイヌの権利擁護として併記すべきと考えるが、より後のヘポイではなく先行する明治24年のエプイの方が元の意味を伝えると言う意味では適切ではないかという気がする。大正5年の琴似村地名調書には「ヘポイ山とも云ふ」とあるという。

 エプィはアイヌ語の epuy で「蕾」「芽」「種」などと訳され、地形の場合は「ぽこんと盛り上がった小山」とされる。意味上、文献上の古さに捉われず、「ヘポイ」を、より現代に近い時代の音として優先して表記するのもありなのかもしれない。

 三角山の山頂には昔は恐ろしい感じのする巨岩があったという。三角山が「ぽこんと出た小山」であることに異存は無いが、このことからエプィ/ヘポイという音は e- pu o -i[その頭・倉・ある・もの]などは考えられないだろうかと考えてみた。

 永田方正の北海道蝦夷語地名解には幾つかのエプイに関わる地名があり、山田秀三(1965)が札幌市内のそれらの場所を検討している。いずれも山の上に倉(pu)と呼べそうなものが乗っている山というわけでは無いようである。永田地名解では積丹岳のような大きく、ぽこんと出たと言うには雄大な積丹岳も epuy とされ、三角山 = epuy[蕾]説に釈然としないものが残るが、積丹岳の山頂にも pu と呼べそうな岩があるわけでないので、三角山のエプィは epuy であると考えておく。

参考文献
1)高澤光雄,三角山の名称とその変遷,わが街・札幌の「三角山」,柴田直毅,柴田直毅,2002.
2)永田方正,地理,札幌沿革史,札幌史学会,北海道出版企画センター,1979.
3)永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
4)山田秀三,札幌のアイヌ地名を尋ねて,アイヌ語地名の研究(山田秀三著作集)4,山田秀三,草風館,1995.



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(2010年3月7日上梓)