モラップ山(約510m)
支笏湖畔に立つ小山。ピスンモラプとキムンモラプがあり、ピスンモラプの方が高く、こちらのみ山の名が「モラップ山」と地形図に振られる。ピスンモラップにはかつてスキー場があった。キムンモラップは国民休暇村の野鳥の森となっている。2010年2月に登った。
南側のピスンと北側のキムンの間から山名の振られるピスンの方に登った。スキー場の跡は細い木が茂っている。北の尾根を辿った。山葡萄の蔓が多い。三角点は最高点とは多少ずれていて506.6mの三角点よりは3mほど最高点の方が高いと思われる。三角点の南、南斜面の一角に木の無い斜面があり展望が開ける。眼下にモーラップキャンプ場、支笏湖の湖面の上に樽前山・風不死岳が大きく見える。鹿の足跡が雪面に多かった。
キムンモラップ山を合わせて登ってこなかったことが心残りである。
モラップ山から 風不死岳を望む |
地形図での山名は「モラップ山」であるが、キャンプ場・スキー場の名では「モーラップ」と音が伸びる。
松浦武四郎は安政4(1857)年の蝦夷地調査の記録で、南からペンケモラフ・モラフと記した。「小石浜なり。平山の崖、是より伝ひ来るや凡一里計にて川口え来るとかや」の記述ではモラフが何を意味するのかハッキリしない。支笏湖の落ち口で案内したアイヌの人が指差しての教示であり、「遠く指差し教示されしによつて、却て手前の岸は聞訛(誤)りしもあらんと覚ゆ」と保留を付けている。スケッチの中でも支笏湖の絵の中でモラフ・ペンケモラフは端に岸の一地点としてしか描かれていない。また、アイヌの人への聞取りや考察の地名解は書かれていない。ペンケは上手を意味する。この記録を元にして一般向けにアレンジされた夕張日誌ではベンケモラプとバンケモラフが「小川」として登場している。
永田方正(1891)はモラプ(翼岬)・ポンモラプ(小翅岬)を記した。また、モラプウト゜ル(翼岬ノ間)があるという。キムンモラプ山、ピスンモラップ山は支笏湖に山の斜面を突き出して岬のようであり、支笏湖の湖面を越してこの二山を見れば翼のように広がっている。rap に翼の意味があるが、mo が付く事でどのような翼を意味することになるのかはよく分からない。
明治24(1891)年の北海道庁による縮尺20万分の1の地形図である北海道実測切図では、北からキムウンモラップ山・ピシュウンモラップ山と書かれていた。
長見義三(1976)は「ちとせ地名散歩」の中でモラップを「mo-ra-p 小さな・低い・もの」として、二つの小山のこととする。松浦武四郎の夕張日誌にあるモラップ沢(ペンケモラップ沢・パンケモラップ沢)については山の名が移ったものだがその沢筋はどこだか特定できないとしている。モラプウト゜ル(モラプウトゥル)は二つの小山の間としている。更にオキムネアンモラップ・オピスネアンモラップという呼び方を知里真志保の地名アイヌ語小辞典を引用して記し、その意味はキムンモラップ(山手のモラップ)とピスンモラップ(浜手のモラップ)と同じであり、この浜手とは支笏湖岸の浜手でなく海(太平洋)としている。アイヌ語の ra は、地名アイヌ語小辞典・アイヌ語千歳方言辞典等で「低い所」などとされる位置名詞だが、「低い」という動詞/形容詞ではないので、mo-ra-p[小さな・低い・もの]という解釈はアイヌ語の解釈として不適切と言うことになりそうである。萱野茂のアイヌ語辞典では ra で「下る」の意が挙げられており、この「下る」が「下になる」というような継続や完了の観念を含んでいるのなら形容詞的に「低い」ともとれそうだが、同辞典では ram の項に他の辞典と同様に「低い」とある。ram は ri[高い]の反対語とされる。動詞 ra[下る]で継続や完了の観念は無かったのではないか。
知里真志保(1956)は地名アイヌ語小辞典に千歳で採録された言葉として okimne-an-morap[山の方に・ある・小山]と opisne-an-morap[浜の方に・ある・小山]を用例として挙げている。副詞 okimne/opisne を、o-kim(/pis)-ne(尻が・山の方(/浜の方)・になっている)と分解している。この中の ne は格助詞と解釈するようである。morap が「小山」と訳されているが、地名アイヌ語小辞典に morap の項は無い。rap の項で意味の一つとして「=tapkop」を挙げている。mo rap=mo tapkop[小さな・円山/コブ山]といったところかと考えてみたが、mo pet の地名で使われる大小関係を伴わないアイヌ語の moは「静かな」「静かである」と訳すのが適当との指摘が扇谷昌康(1998)にある。モラップの場合もシラップやオンネラップ、ポロラップや単にラップという地名は伝わっていないので大小関係を伴わない mo の使用例と考えられる。rap が tapkop と同じ意味だったとして、「静かな・コブ山」と訳すべきかと考えてみるが、川の流れなら「静かな」という形容は容易に想像がつくが、「静かなコブ山」とはどういうコブ山を指しているのか、どうもよく分からない。
増補千歳市史(1983)はモラップを山の名として「小さな・低い・もの(山)」とし、長見(1976)をほぼ踏襲している。元々は山名であったが今は付近一帯の地名となっているとしている。
山田秀三(1984)は「この解には閉口していた」と永田の解に困惑を示しながら、rap に tapkop と同じ意味があるとする知里真志保の地名アイヌ語小辞典を受けて mo rap[小さい・たんこぶ山]、また、アイヌ語の rap が ran[下る]の複数形であり、ran が坂を意にも使われたということで、この浜に下る坂を mo rap[小さい・坂]と呼んだかも知れないとしているが、「要するにこの地名も分からなくなった名なのであった」と、まとめている。近年発行の新しいアイヌ語辞典には rap を tapkop と同じ意味としているものは見られない。また、「両翼を張ったように突き出ている出崎」の意味も見られない。
榊原正文(2002)は kimun mo rap us i と pisun mo rap us i を支笏湖へ降りる沢筋の地名とし、mo rap を「穏やかな・(大勢で)降りる」と訳して、morap uturu[モラップ・の間]を現在のモラップ山としている。kimun mo rap usi がキムンモラップ山とモラップ山間の谷であり、モラップ山の南側の谷が pisun mo rap usi と言うことのようである。si rap や si rap usi といった rap を含む後半を名詞とみなして対になる記録を見ない中で一項動詞の mo と rap がそのまま繋がる文法的な問題と、最後にシが付く記録が見られない点に疑問が残る。下りる(複数形)だとしても、どこに、どこから、何がといった事を何も言わなくても地名として意味があるのかどうかについても多少疑問が残る。
kimun、pisun に関しては支笏湖の湖岸ではなく太平洋側の海岸を念頭に置いた呼び方のようだ。支笏湖を含む千歳川水系は石狩川に合流して日本海に注ぐので千歳川から見た山側・海側ではない。二つのモラップ山の間の谷筋も、南側の谷筋も太平洋に注ぐ勇払川の水系である。
支笏湖の、千歳川の落ち口からモーラップキャンプ場にかけてを一つの入り江とみなしての、支笏湖畔から石狩平野や勇払平野に下りるルートのそばにある moy ra o p[入り江・の下の方・にある・もの]を二つの小山の名として考えてみる。下の方とは言ってみたものの、湖水が川となって流れていく方角にあるとはいえ、ずいぶんと平面的な下の方ではある。まだ考える必要がある。
モーラップと音が伸びることもあるようなので、単に moy or o p[入り江・の所・にある・もの]だったのではないかという言う気がしている。y が w に転訛するか脱落していたのではあるまいか。
参考文献
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1982.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集4 巳手控,北海道出版企画センター,2004.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
北海道庁地理課,北海道実測切図「樽前」図幅,北海道庁,1891.
長見義三,ちとせ地名散歩,北海道新聞社,1976.
松浦武四郎,吉田武三,松浦武四郎紀行集 下,冨山房,1977.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.
知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
扇谷昌康,モペッ・モンベッのアイヌ語地名 ―その語源についての試論―,pp79-90,70,北海道の文化,北海道文化財保護協会,1998.
千歳市史編さん委員会,増補 千歳市史,千歳市,1983.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
榊原正文,データベースアイヌ語地名3 石狩U,北海道出版企画センター,2002.
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